
Tunge mørke natteskyer【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》
ニールセン (C.Nielsen) 作曲
Tunge mørke nattesker (CNW250 /1917年)
J. Knudsen 作詞
重く暗い夜の雲
※この再生リストは未整理なので、限定公開であることをご了承ください。
昨朝、気がついたら、YouTubeでこんな動画があがっていました。
あッ……よくみると、背景に、若き日のニールセンの変顔写真のうちのひとつが飾ってありますよ。ナイス!
変顔その他、ニールセンの写真はこちら↓。
ページ内の写真をスクロールすると出てきますが……カラー化された写真が以前より増えてるのかな!?
ニールセンのつくるメロディーは、暗い歌より明るい歌が圧倒的に多い……すくなくとも、有名なものについてはそうなのですが、これは、めずらしく、タイトルのとおり真っ暗な歌です。
いつもなら、「暗いよー、重いよー、ながいよー(なんせ、この調子で5番まである)……」と、あきちゃうんですけど、昨日は思わず泣いてしまいました……。
なんかねー、
こんなときだから、ちゃんと悲しみなさい。
ちゃんと泣きなさい。
ツラいものはツラい、と口に出したらいいんです。
我慢しなくていいから。
と背中から抱きとめられた感じがしました。
ずっと、あんな変顔をいくつも写真にとって残すほどそこぬけに明るいニールセンが、なんでこんな暗い歌をつくったのだろう、と不思議に思っていたのですが。それは、いま現在の、新型コロナ第3波の先が見通せず、しかも、暗い見通ししかもてないような、こんなときのためだったのですね。
目の前の不幸や不安を受け止めて、きちんと悲しんで、しっかり泣いて、前をむきなおすために。
そのために、この歌を準備してくれていた。
この歌は、セラピーのための歌だったのですね。
遺産の偉大さに、感謝しかありません。
良いときも悪いときも、その時にもっとも必要な歌が、ちゃんと用意されている。そんなデンマークは、幸せな国だと思います。そして、DR のような放送局が先頭にたって番組を作ったり、コンサートをひらいたりして、次世代に継承していこうという意識が高い。
日本にいる自分にとっては、うらやましいかぎりです。
こっちの方は、新型コロナの第1波こそヤバかったけど、第2波は多少感染者が増えたていどでやりすごし、おかげさまで、都市部とくらべたらずっと心安らかに暮らすことができていました。なによりも、第1波以降、死者の数の変動の無いことが、いちばんのよろこびでした。
しかし、11月末から感染者が出だしたとおもったら、突如、新規感染者が増加し、文字通りにあっという間もなく、連日ふた桁となりました。それがまだ続いています。経路不明も、第1波より多いような気がしています。
この、たった1週間ほどで、一気に病床や宿泊所が埋まり、危機的な状況に陥りました。先日はついに、重傷者がひとりでました。
第1波のときのようにメンタルに打撃を受けたくないので、ニュースはあまり見ないようにしていますが、どうしても不安は拭いきれません。夫の職場も、売り上げに影響がでてきはじめて、踏ん張り時をむかえています。
だから今日も、気がつくとどこかがひりひりしています。
私はこれ以上「新型コロナがなかったら無事に1年、歳をとれていたお年寄り」が、せめて県内では増えてほしくありません。
いま、入院や隔離をされている人たちも、これからの人も、命だけは助かったと、笑顔で帰ってきてほしい。
同じ県民である医療関係者が、心を殺し、涙の決断を迫られるような事態は、絶対にきてほしくはありません。
「都内は飲食やイベントが制限されてつまらないから、年末年始は GoTo つかって地方へいこうかな」みたいな文章をみせられたら、さすがの私もわざわざバイクに乗って川原に拾いにいって、全力で石を投げつけたくなります。
こちらにはこちらの暮らしと思いがあります。
地方はそもそも都会人の娯楽と消費のために存在しているのではありません。
デンマークでも新型コロナの感染拡大が止まらず、クリスマスを目前にして、集会に制限がかかるようになったそうです。そして、先だっての、全ミンク殺処分に関するゴタゴタで、政府と国民の信頼関係もゆらいでいるようで。
それをいつわりの明るさで誤魔化すのでなく、ツラいものはツラい、とまずは受け止めよう……番組自体は春に放送されたものらしいですが(調べてみたけど、放送日がわかりませんでした)、この Tunge mørke natteskyer の動画が今アップされたことに、そんなメッセージを感じました。
かつてのスペイン風邪は、デンマークでも猖獗をきわめたことと思いますが、同時代人としてのニールセンの目にはどううつっていたのでしょう。スペイン風邪の流行は、作曲の翌年の1918年からです。
また、第一次世界大戦という、明日の見えない大きな不幸のさなかにつくられた歌であることも、興味をひかれます。
・◇・◇・◇・
歌詞や内容については、こちら↓で。
Google翻訳も、数年前よりは格段にましになってます。
1番の歌詞の冒頭は、
Tunge, mørke natteskyer nat = 夜
op ad himlen drager, himlen = 空
hjem til skovs af marken fly'r fly'r = 飛ぶ(たぶん…)
hjem = 英語の home skovs = 森 marken = 野原
hist de sorte krager; sorte krager = 黒いカラス
単語をひろいよみするだけで、「辺り一面に垂れ込めた」という言葉がわいてきて、暗い雲に胸を塞がれそうです。
夏が終わり、秋になって、急に日が短くなって、1日のうちで圧倒的に夜が長くなって……ただただ、光の季節、春の再来を待つしかない長い冬の夜のイメージと、終わることのない不安、そして神様への祈り。それがこの歌の内容です。
そして5番では、きざしだけですが、明りがさします。
Tung og mørk den tavse nat = 重くて暗い、静かな夜
over jorden spænder, jorden = 英語の earth = 大地
……略……
lyser op den mørke død, lyser = 照らす død = 死
tak, du lysets Fader! tak = 感謝する、ありがとう
du = 英語の you Fader = 父親、つまり、父なる神
tavse nat = 静かな夜、と、かすかに安らぎが感じられるものになり、最後に lys = 光にかかわる言葉が2つでて、父なる神様に感謝して終わります。
・◇・◇・◇・
この歌では、ニールセンはめずらしく前奏を付けています。
このページ↑の、歌のタイトルをポチると、楽譜が出てきます。
前奏といっても、たったの1小節だけど。
しかも、この歌については、毎回前奏からはじまるように指示されているんですよね。めずらしー。
ちょっと、この録音↓で、たしかめてみてくださいな。
それと、おもしろい、ていうか、へんなのは伴奏の右手。
Tunge, mørke natteskyerの部分には、「たららたらら」と八分音符がたらたらと連続してつけられて、しかもまるっとスラーでつながれているのに、
op ad himlen drager,にきたら、「(ん)たら(ん)たら」と休符がさしはさまれていることです。
で、このノリで、「たららたらら」と「(ん)たら(ん)たら」が、詩句の1行ごとにかわるがわるでてきて、最後の最後までこのノリでたたみかけていく。
メロディーの末尾は長調で終わってるらしいのですが、明るさがかすかすぎて、長調感がほとんどありません。
で、ひととおり終って落ち着いたとおもったら、また前奏から「たららたらら」がせまってくる。
これは、不安や恐れといったネガティブな感情がすっと忍び込んできて、ぐわっと盛り上がって、おさまって、盛り上がって、おさまって……すこしは落ち着いたとおもったら、またじわっと……みたいな、静めようとも静まってくれないネガティブな感情の波だちの終わりのなさをあらわしている、と一般的には解釈できると思います。
だけどそれ以上に、
まわりの音がおおきければ歌声もおおきくなる
まわりの音がちいさければ歌声もちいさくなる
という、実用的な意図でそうされている、と私は思っています。
そもそも音楽なんて習ったことのないふつうの人たちに、ここはピアノ、ここはフォルテと書いて示しても、どだい上手くこなせるわけがありません。
それならば、自然と声をはり、自然と声をひそめたくなるような仕掛けを、さいしょから音楽に組み込んでおけばいい。
休符は、まずは、伴奏の音量を下げるためにはさまっている。伴奏の音量がちいさくなれば、自然とみんな、声をちいさくしたくなるはずですから。そして、気持ちよくカンタービレして、ついつい大声になってしまわないよう、メロディの流れをちいさくちいさく堰き止める役割もしています。
そして、毎回つけられる前奏は、感情の波が、小声と長調でいったん終息したところから歌い手の気持ちを切りかえて、ふたたびわいてきたマイナスの感情に同調し、歌い出しに「じわっと」吐き出すための、準備のための時間稼ぎ、であり、歌い手の口から「じわっと」歌声を引き出すための導きの糸でもあります。
こうやって歌声に強弱がつけば、「静めようとも静まってくれないネガティブな感情の波だちの終わりのなさ」を表現することは、おのずと達成されます。
ところで。
これは事故なのか、そういうバージョンの楽譜があるのか、2番以降の前奏が省かれている演奏↓。
結果的に、「前奏のピアノ→伴奏のピアノ+歌声」という音量が物理的にも「じわっと」増える感がないまま、いきなり歌い始めることになってしまい、歌自体もどことなく凡庸に聴こえてしまいます……Bertelsen 自身はとてもいい歌手で、私は好きなのですが。
そして、伴奏や前奏につられて強弱をつけるうちに、強弱をつけるとは、ああそうかなるほどな、と合点がいくようになればいいし、あるいは、強弱をつけるべきポイントが見分けられるよう、メロディーをよむ力がつけばなおよろしい。
歌とは、音楽とは、こうすれば生きてくるのか、ということがおのずと会得されるための装置としてこの伴奏は装着されている、と私は解釈しています。
おまけ。
実際に、頭のなかで伴奏の「たららたらら」と「(ん)たら(ん)たら」を意識して、それに寄り添って「大きく流れて山を描いて」と「細かく刻みながら波打つように」を交替しながら歌ってみると、これは別人か、というくらいメロディがいきいきします。
それどころか、ちょっとモダンで、キャッチーな感じすらして、伴奏はアコーディオンでいいんじゃないかな、なんて気すらしてきます。
この伴奏にあわせてシャンソン歌手が歌ったら、「大正ロマンの流行歌」みたいな雰囲気の歌になるかもです!(*゚Д゚*)
以前の記事で、「ニールセンの音楽は、音楽のふりをしたプログラムではないか」というようなことをのべましたが、
この Tunge mørke natteskyer では、人間がメロディを操るのではなく、楽譜にかいてあることが人間を操っている。楽譜を人間という「歌うマシーン」に入力したら、ニールセンが描いた通りの音楽が出力される、というイメージです。
そうなんだけど……そこに機械的なつめたさはなく、人間が飲み込んで吐き出すからこそ、音楽は生命を得ることができる。むしろ、新しい生命体を生み出すためのラボがそこにある、という感じです。
そして、飲み込むプログラムは同じでも、人間というマシーンは、一体一体微妙にちがう。だから、それぞれがニールセンの意図通りに動きながらも、同じなのにまったくちがう歌が、人の数だけ生まれてくる。
そしてこのプログラムは、確実に歌い手の技量を育てていく。
このプログラムとマシーン感が、日本の「○○道」とつくものや、伝統芸能の「型を習得する」というやり方にすごくにている気がするし、実際に、「まずは、Aksel Schiøtz の歌い方を完コピせねば。自分らしさはそれから」と感じることの理由かな、といま思いあたりました。
※Aksel Schiøtzは、デンマークの国民的テノールです。後に、病気により、声域がバリトンに変わる、という、数奇な運命に翻弄された歌手でもあります。
ニールセンについては、お手本、ともいうべき完璧な歌唱を聴かせてくれます。
この再生リストにははいってないけど、絶唱、ともいうべき録音がこちら。
聴いていただいたらおわかりのとおり、Schiøtz は、歌声も歌唱もすばらしい。でも、だからといって「完コピ」は普通しないし、しようとも思わない。
いくら名手だとしても「バレンボイムのベートーベンを完コピします!」なんて生徒がでてきたら、たいがいの先生は全力で阻止すると思います。学ぶことは奨励するとしても、です。私も、どんなにグールドのバッハが好きでも、あれの完コピなんかするもんじゃない、と分別はつきます。
にもかかわらず、「Schiøtz のニールセン」は、「完コピせねばッ!」という焦燥にかられる。ほんとにへんです。
だから、なんかもう、ニールセンについては「楽譜をよむ」とか「歌う」という行為が、ふつうの感触とちがう。
うーん、でも。まだうまくいえません。
・◇・◇・◇・
デンマークの音楽家は、ニールセンにかぎらず、あらゆる歌を、時代や自分のスタイルにあわせて魅力的にアレンジし、新たな命を吹き込んでくれています。もう、ジャンルなんて、クロスオーバーしまくってます。
それはそれ自体ですごく楽しいし、新しい歌を知るためのとっかかりになります。
この動画は、Tunge mørke natteskyer の魅力を教えてくれた演奏のひとつです。
なーんだか、ひさしぶりに思い出したけど。Tunge mørke natteskyer について調べてたころって、ニールセンについて全然手がかりがなくって、ほんとに闇を手探りするような思いで YouTube を検索して、Google を検索して、Google 翻訳にかけてました。
しかも、デンマーク語の綴りになれてないので、YouTube の画面にならんだ動画のタイトルを見るだけで脳が死んでたし。「これは英語でなくてデンマーク語!」と切り替えるだけでいっぱいいっぱいでした。
それどころか、デンマークオリジナルの「ø」の出し方がわかんなくってねぇ……しかたないので、Google でさがして、ひと文字だけコピペしてました。
なので、さいしょは、調べながら新しい演奏家を見つけたり、さまざまなアレンジを楽しむのがメインでした。だけど、なんでこんな伴奏なんだ?と疑問に思う歌があって、それをきっかけに、楽譜を見ながら伴奏もチェックするようになっていきました。
ほれ。これなんですけど。
なんで伴奏が歌とカノンしてるの?……って、不思議じゃないですか?
こっちと聴きくらべてみてくださいな。
ね。全然ふんいきちがうでしょ。
これはバイクにのりながら鼻歌してて、
あれ、なんでわたし、Jeg ved en lærkerade と、
インベンションの8番を交互に歌ってんだ!?
と気がついたら、次の角にさしかかった瞬間に、
ちがう。
カノンなのは、この歌がインベンションの8番やからなんや。
この歌が、ちいさなバッハ、なんや!
って。
これが、歌だけでなく、伴奏にも、教育的配慮が込められていると気がついた記念すべき瞬間。
デンマーク全国民の、なかでも、この歌を楽しんで歌うであろう子どもたちの音楽性を高めるための配慮に、驚愕したし、思わず目がうるんだ。バイクの上で。
いやもう、自宅直前の出来事で、よかった、よかった。
つまり、もしその子が楽器が好きで、バッハに挑戦するようになったときに、
インベンションの8番を弾くときはね。
Jeg ved en lærkerade の歌と伴奏のように、右手と左手でなかよくおいかけっこして歌ってごらん。
それがカノンだよ。
そして、歌のなかの子どものように、小鳥の巣を見守る胸のどきどきを思い出しながら弾いてごらん。
きっと、音楽がよろこぶから。
と導くことができるわけですから。
もしかしたら、インベンションの予備練習として伴奏付きでこの歌を歌い、あるいは、だれかに歌ってもらいながら伴奏を弾いてみる、なんてことも可能かもしれない。
これ以降、楽譜をみるときは伴奏をチェックして、なんだかへんだなぁ、と感じるところを意識するようになりました。
ほかにも、「これはバッハ」な伴奏あるし、「見えない強弱記号」な伴奏あるけど、それはまたいつか。
この Jeg ved en lærkerade がどんなふうにバッハを縮小コピーしているかも、またいつか書けたらいいなとおもってます。
歌は、歌自身のメロディがよくてなんぼ、ではありますが、ニールセンの場合は、意図を理解しありありと歌うためには、伴奏を理解することがさらに重要、ということを指摘しておきたいと思います。
なので、メロディを口ずさみ、さまざまなアーティストの取り組みを楽しむだけでなく、ぜひ、原典であるニールセンのオリジナルの伴奏付き楽譜にも、チャレンジしてみてくださいね。
・◇・◇・◇・
さいごに。
自分がかってに、Tunge mørke natteskyer の続編だとおもってる歌。
同じく Knudsen の詩に、ニールセンと同時代で、ともに Højskolesangbogen の編纂に携わっていた O. Ring がメロディをつけた、Se nu stiger solen (見よ、いま、日が昇る)。
実際に、それぞれ1890年12月、1891年3月、と作詩された時期も近いです。
Ring の歌は、こんないいかたをするのもなんなのですが、このひとばかなんじゃないだろうか……と心配になるくらい、単純で素朴です。駅前で見知らぬひとに「親が危篤で田舎に帰らないといけないけど、切符代がないのでお金かして」といわれたら、うたがいなく20000円くらい渡して、「あぁ、今日はいいことしたなぁ!」とにこにこしていそうな気がするくらい、単純で素朴です……本人の人柄、でなく、メロディが、です。
だけど、ばかがつくくらい単純で素朴だからこそ、Se nu stiger solen という、原始的な力強さをもつ、近代的な土俗のメロディをうみだすことができた。この歌のとなりに並べるとしたら、やはり、アイヌの歌に育まれた伊福部昭しかないなぁ、と思います。
ニールセンのメロディも「民謡的」といわれますが、「原始に通じる土俗性」っていうのは、たぶん、逆立ちしても無理。「地域に根差した陶芸家のお茶碗 vs 縄文土器」みたいなもので、これはニールセンファンとしては、ちょっと嫉妬してしまいます。
ところで。
デンマーク語にもなれて、なんとなく知ってる歌の題やメロディが増えてきたので、今年は、ニールセン以外の作曲家についても調べて、こんなふうに再生リストを作っています↓。
専用のチャンネルもつくったので、おいおい公開していけたらと思っています。これから整理していくところなので、とりあえず今回は、限定公開にしています。
長く暗い夜のあとでも、また太陽が昇るように。
いまの感染状況が、はやく穏やかになることを祈ります。
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