「何が起こる?」 "What happens?"
『ストッキング』(村上春樹著)という超短編が好きです。『夜のくもざる』(単行本は平凡社刊/文庫本は新潮社刊)に収められています。ちなみに新潮文庫のカバー裏の紹介文には「ストッキング」は「読者が参加する小説」と書かれています。「よろしいですか、想像してみてください。」から始まり「十五秒で答えてください。ちくたくちくたく。」で終わります。文庫本では158頁から164頁までです(そのうちの162頁から163頁は安西水丸さんのイラストです)。ストーリーの詳細はあえて省きますが(私の要約よりもあなた自身が読んだ方が面白いから、それに立ち読みできる短さですから)実質たった5頁に中で、ある場面が描かれます。登場人物がいて、小物類が開示され、動かない背景と流れる時間。私はこれを読んだとき、あれを思い出しました。あれ、とは『ラスト・タイクーン』です。
『ラスト・タイクーン』は小説であり、映画です。
まず小説の方から。これは、フランシス・スコット・フィッツジェラルドの長編小説(遺作で未完)です。ちなみに角川文庫のカバー裏の紹介文には「ハリウッドでその名を知らぬ者はいない大物プロデューサー、モンロー・スターの栄光と挫折」と書かれています。この紹介文によれば、作者は自作『華麗なるギャツビー』を超えたいと全力を傾けましたが、心臓発作で急逝したため未完で終わったそうです。紹介文は「未完の最高傑作」と結んでいます。物語は、映画界の裏話、赤狩り、プロデューサーの情事などが、いろいろと展開します。もっと時間があれば、さらにブラシュアップをしたかっただろうな、とフィッツジェラルドに同情しました。一読者の個人的な感想としては「面白いがギャツビーは超えていない」というところでしょうか。ちなみに原題は「THE LOVE OF THE LAST TYCOON」(以前は単なる「THE LAST TYCOON」で、改題の背景には作者の生前の意思が尊重されたそうです)。この「TYCOON(タイクーン)」とは「大君(たいくん)」のことです、念のため(大物プロデューサーだからですね)。
映画の方は、エリア・カザン監督(1976年制作、日本公開1978年、これも遺作)、ロバート・デ・ニーロ主演。その他、誰もが知っているような往年の豪華俳優陣が勢揃いしています。映画は、ほぼ原作通りだと記憶しています。私は残念ながら映画館で観ていません(今から30年くらい前の深夜のテレビで観ました)が、あるシーンがとても印象に残っています。プロデューサーのモンロー・スター(デ・ニーロ)が、作家のジョージ・ボクスリー(映画ではボクスリー、文庫本ではボクスレー。演者はドナルド・プレザンス)をシナリオライターに仕立てていくシーンです。どうやって? スターはこんなふうに語り始めます(以下の文章は、文庫本の63頁から65頁にあります。)「…想像してみましょう。あなたのオフィスにはマッチで点火するストーブがありますか?…あなたがオフィスにいるとしましょう。」とスターはボクスリーに、ある場面を語ります。映画なら、わずか数分。登場人物がいて、小物類が開示され、動かない背景と流れる時間。それを言葉と身振りで語るスター。それを黙って聞くボクスリー。突然話をやめるスター。「つづけて」「何が起こる?」とボクスリーは知りたい様子です。スターは答えますが、あえて、ここには書きません(私の要約よりもあなた自身が読んだ方が面白いから、それにこのシーンだけなら、立ち読みできる短さですから)。ちなみに、この段落のカギカッコ内の文章は文庫本からの引用です(大貫三郎さんの訳を転記させていただいています)。リライトはしていませんが少し省略しています。悪しからず。
そして、また「ストッキング」に戻ってきました。私はここで村上さんとフィッツジェラルドの類似性を語りたいわけではありません。村上さんはフィッツジェラルドの著作を数多く翻訳されていますし、ファンであることも語っています。影響を受けているのは当たり前で、それよりなにより、そんなちょっとしたシーンの面白さや奥深さに気づく、そして、それを自作に取り込む、作家の底力を垣間見た気がしました。この記事は、そのことをあなたに伝えたくて書きました。機会があったら、私が指摘した頁だけでも読んでみてください。そして感想を聞かせてもらえると、とても嬉しいです。
追伸
蛇足ですが、ボクスリー役のドナルド・プレザンスは、ウィキペディアによれば『刑事コロンボ』の「別れのワイン」で犯人役を務めたそうです。『刑事コロンボ』ファンの私ですから、もちろん、あの回も観ています。なかなか重厚な演技だったことを覚えています。機会があれば、また観たいものです。