【3分読書メモ】「教養としてのゲーム史」(多根清史)を読んで
■基本情報
書名:教養としてのゲーム史
著者:多根清史
出版元:筑摩書房
出版日:2011年8月
ジャンル:ゲーム/サブカルチャー
読書メーター:https://bookmeter.com/books/14905459
■書籍内容(BOOKデータベースより)
「名作」「傑作」とされるゲームはいったいどこがスゴかったのか。新しいゲームジャンルはどのように誕生するのか。―それは、ゲームの歴史を「アイディアの進化史」としてとらえることで見えてくる。『インベーダー』『ゼビウス』『スーパーマリオ』『ドラクエ』『ときメモ』『ラブプラス』…数々の歴史的作品は、「創造性」「大衆性」「技術とアイディアの関係」などについて、大きなヒントを与えてくれる。ゲームを「学ぶ」時代の幕明けだ。
■気になったポイント(引用文+コメント)
『ポン』が高等技術を使わずに普及していたパーツで作られていたことだ(中略)アイデアと多少のコンピュータ知識があれば、大学の研究者や専門家でもない市井の人が街で調達できる部品だけで組み立てられていたのである。
<メモ>文化の初期段階における”定着”のためには、まず「再現性」と「模倣性」が重要である。
他者性=人間の思い通りにならない自律的なシステムは、ゲームが現在のように「ひとり遊び」になる上で欠くことのできない要素である。
<メモ>コンピュータゲームの始まりは対戦(ポン)だが、人間ではない他者性(ブレイクアウト等)が導入されたことで、人間と仮想の対戦相手(インベーダー等)が戦う人利用ゲームへと枝分かれした。
業務用ゲームの元祖『ポン』以降、しばらくはビデオゲーム=対戦ゲームの時期が続いたのである。
<メモ>コンピューターキャラの実装が技術的に難しかったビデオゲーム黎明期の話。
インベーダーがブロックから「進化」した最たるポイントは「能動的に攻撃してくる」ことだ。インベーダーは大人しくやられる的ではなく、弾を撃って攻撃してくる。倒すか倒されるかという「攻防」が、それまでのゲームとは比べものにならない緊張感をもたらすのだ。
<メモ>コンピューターとの駆け引きが、ゲームさらに進化させた。しかし対戦(つまり"対人戦")の駆け引き自体はビデオゲームの誕生と共にあった(『space war!』とか『ポン』とか)ので、正確には「一人用ゲームにおけるCPUとの駆け引き」が人々を感動させていたのではないだろうか。
『パックマン』の核となるのは、「食べる」という動詞だ。全人類にとって「食」は生命活動の中心であり、女性でも興味を抱くはず。主役・パックマンの造形も、昼食で一切れだけ食べたピザの形が、口を開けているように見えたのがモデルだという。
<メモ>『パックマン』の誕生経緯は、女性ウケを狙った当時の開発環境がルーツ。
もしも思いのままにすべがて叶えられるなら、乗り越えるべき困難もなく、達成感もない。一定のルールによる「不自由」を創りだすことが、試行錯誤に意味を帯びさせ、プレイヤーにやりがいをもたらす。
<メモ>制約(課題)を乗り越えるからこそ、プレイヤーは達成感を味わうことができる。しかし、制約は厳し過ぎてもいけない。程よいバランスが大事であり、レベルデザインの妙が開発者に問われる。
『ウィザードリィ』的なものと『ウルティマ』的な要素を、解像度の高くない家庭用ゲーム画面に詰め込んだとすれば、情報がひしめきすぎて遊びにくくなる事態は避けにくい。『ドラクエ』が優れていた点は、二つを単純に「集約」したというよりは「編集」した点にある。
<メモ>まだRPGに馴染みのなかった国内ユーザーに向け、堀井雄二は『ウルティマ』と『ウィザードリィ』の要素を合体させただけでなく、とっつきやすいように”編集”を加えた。でないと、当時のRPG(PCゲーム由来)はシステム的にも難しく、そのまま移植すると人々から敬遠されかねなかった(ファミコンのメインユーザー層を加味した結果)。
願望を満たすツールとしてのSLGは「文化」を前提としている。だから、日本でSLGが普及するきっかけが歴史小説や大河ドラマで語られてきた「われらの歴史」をベースとする『信長の野望』だったことは自然ななりゆきだろう。
<メモ>SLGが”現実の模倣”という点を踏まえると、国内で『信長の野望』が発売されたのは必然だったのかもしれない。海外の場合だと、史実の戦闘や神話由来のファンタジー風SLG、ウォーゲームをそのままゲーム上に再現したタイトル等が発売されていた。
【こんな人におすすめ】
・1980年代~2000年代までのゲーム史を体系的に学びたい人
・ビデオゲームの勃興期についてサワリを学びたい人
・ビデオゲーム市場の成長過程に興味がある人