【3分読書メモ】「群集心理」(ギュスターヴ・ル・ボン)を読んで
■基本情報
書名:群集心理
著者:ギュスターヴ・ル・ボン(櫻井成夫 訳)
出版元:講談社
出版日:1993年9月
ジャンル:政治学
読書メーター:https://bookmeter.com/books/12426127
■気になったポイント(引用文+コメント)
民衆の想像力を動かすのは、事実そのものでなくて、その事実の現れ方なのである。それらの事実が(中略)いわば凝縮して、人心を満たし、それにつきまとうほどの切実な心象を生じねばならない。群衆の想像力を刺激する術を心得ることは、群衆を支配する術を心得ることである。
<メモ>味気ないデータでは人心は動かない。脳裏に焼き付くような、キャッチーさに富むセンセーショナルなイベントを起こすことが重要だ。
普通の意味で、群衆という言葉は、任意の個人の集合を指していて、その国籍や職業や性別の如何を問わないし、また個人の集合する機会の如何を問わないのである
<メモ>国籍・出身地・身分・集合のタイミングを問わず、個人が集まった時点で「群衆」が形成される。
すなわち、群衆中の個人は、単に大勢のなかにいるという事実だけで、一種不可抗的な力を感ずるようになる。これがために、本能のままに任せることがある
<メモ>人間は不特定多数から成る群衆に取り込まれた、あるいは意図的に参加した場合に、理性的な意見を示すのではなく、感情と本能に任せて行動するという見解。
群衆の精神を常に支配しているのは、自由への要求ではなくて、屈従への要求である。服従に対する渇望が、群衆を、その支配者と名のる者へ本能的に屈服させるのだ。
<メモ>なぜ屈従することを望むのか。それは、自分で物事を考える労力を省きたいからではないだろうか。
聴衆に甚大な影響を及ぼしたある演説を読んでみて、往々その弱点に驚かされることがある。しかし、それは、その演説が哲学者に読まれるためではなく、集団を勧誘するためにつくられたものであることを忘れているからである。
<メモ>つまり、集団を説き伏せる(納得させる)ためには、難しい理屈を長々と解説するのは逆効果ということである。全員の気持ちを同じ方向へ向けるためには、ある程度の一般化を経て分かりやすく示すことが必要だ(単純化)。
群衆は、弱い権力には常に反抗しようとしているが、強い権力の前では卑屈に屈服する。権力の作用が、あるいは強くあるいは弱く働く 間歇 的なものであるときには、常にその極端な感情のままに従う群衆は、無政府状態から隷属状態へ、隷属状態から無政府状態へと交互に移行するのである。
<メモ>群衆に反抗されない為にも、支配行動を実践する際は強い権力+強気な態度を誇示しなければならない。
議会の集会にあっては、演説の成功は、たいていは弁士の威厳によるのであって、少しも弁士が提出する論証によるのではない。
<メモ>少々強引な説だと思われるが、確かに全て理屈で言いくるめようとしても群衆はなかなか話を聞かないだろう。威厳が重要だ。そして威厳を醸し出すには外見の厳かさが不可欠である。
群衆は、ただ過激な感情にのみ動かされるのであるから、その心を捉えようとする弁士は、強い断定的な言葉を大いに用いねばならない。誇張し断言し 反覆 すること、そして推論によって何かを証明しようと決して試みないこと、これが、民衆の会合で弁士がよく用いる論法である。
<メモ>影響力のあるアルファブロガーやインフルエンサーの発言は、総じて断定型である。「~なのだ!」「~に違いない!」と言い切られると、「そうなのか…?」納得してしまう人間も多い。
【本書の感想】
フランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボンによる古典だが、100年以上前の学説ながら、現代人にも刺さる本質の捉え方に驚かされた。集団に加わることで思考が単一化し、良くも悪くも大胆な行動に走る危険を招く。「ペルソナ」(ゲーム)シリーズを遊ぶならぜひ読んでもらいたい一冊。
【こんな人におすすめ】
・民主主義(ポピュリズム)に疑問を感じる人
・権力者の人心掌握術に興味がある人
・個人が集団に取り込まれた際の心理状態に興味がある人