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探求していると探究する人になる

2022年から高校で総合的な探究の時間がはじまる。つい先日、近隣の高校3年生対象に金融教育の出前授業が行われていた。地方の高校は定員割れで間口減少、存続危うい状況が起きている現実がある。だから特色ある授業カリキュラムを導入し、生徒が自分の好きを究める環境を整えることは重要な課題となっている。

たった一度の出前授業くらいで探究する学びには至らないかも知れない。しかし、やらないよりは100倍いい。その1回で興味をもって学びはじめたら儲けもんだから。探究する学習スタイルの基本は、興味を示したら「放す」、言わば「放牧」感覚。そういう学びのイメージをどのくらい現場の先生がおもちだろうか。

探究型の学びとは、どのようなものなのでしょうか。
端的に言えば、子どもたち一人ひとりが自分の関心に沿ってテーマを選択し、自ら主体的に進めていく学習スタイルのことです。
「偏差値やGDPによる争いが終わったあと、「探究型」の学びが必要になる理由」(探究コネクト)noteより


この好きを究める「探求的な学び」は、幼少児対象のフリースクールでは「テーマ学習」という名前で呼ばれている。幼いからといって究めるのは難しいことはない。むしろ興味関心が高いから集中して学ぶ場面に遭遇する。


例えば、箱からすべてのペーパーが引き出されたティッシュの山、ボタボタとこぼされる牛乳の床アート、テーブルの裏側に貼り付けられたガムの塊、クルクル回り続ける行動など。それらは、いたずらではなく、なぜや不思議を探究した「成果」である。中には、これをやったら親はどう怒るかを探究する強者の子もいる。

ただし、本当に極めたいものが見つかるまでは、探求、探し求める状態だ。

昔のドラマ「とびだせ青春」のテーマ曲に、
🎵「君は何を今見つめているの?」
というフレーズがあった。

これは職探しをする大人のようなもので、ウロウロしている状態。

ところがピーんときて、これだーと決めて突き進んで人生変わるなんて話をよく聞く。

自分は今何を求めているのか?
好きなことは?本当にしたいことは何?

問い続けると究める道が見えてくる。

子供を支える大人は子供の行きたい方向を一緒に見つめてあげたらいい。

やめなさいとか、
どうせむりとか、
その言葉の裏には自分の好きへのあきらめがある。

自分の価値感を押し付けることなく、子供が好きを究める様子を見守るのが、楽しい人生が拓けるのではと私は感じる。

そんなことで、自分も探究的な学びの授業づくりにハマっている。教えず、指図せず、見守る中で、創発的に学び続ける授業とは?どんな関わりをすればいいのか?

そんな問いかけをする機会をいただきました。ご興味ありましたら一緒に学びませんか?

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【1月オンライン講座:ユニークな教育をしてきた公立小学校校長先生の探究型の授業設計その1】

https://dialogue4education35.peatix.com



参考までに以下のサイトの記事も探究しています。究めると世の中に貢献できるのだなと。今日はここまで。

探求と探求の意味の違い
https://goiryoku.com/tankyu/


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