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ドラマにみる「性」の描き方

今期は「着飾る恋には理由があって」「大豆田とわ子と三人の元夫」を中心に、毎回ではないが他何本かドラマを視聴している。見ていて思ったのが、普通の恋愛ドラマがなくなったな、ということ。このような意見は既に出ているが、今回は私の視点で書く。

私が20年ぐらい前に見ていた恋愛ドラマは、大抵流れが決まっていた。主役の二人の男女が出会う、いろいろな出来事を乗り越え、精神的な距離が縮まり、付き合うことになり、身体の関係を持つ。その後、二人を引き離すような事件はあるが、最終的に絆を強める、結婚する、もしくはニューヨークなどに飛び立ち、数年後に再会する。または本当に別れて別々の道を選ぶ結末もあったと思うが、何が言いたいかというと、付き合う先に必ず性行為をしたと思われるシーンが生々しくあったのだ。

特に覚えているのが北川えつ子のドラマだ。彼女は「恋愛ドラマの女王」と言われているが、同時に一時期、障がいを扱うドラマをかなり描いていた。

「愛しているといってくれ」男性が聴覚障害。付き合い、海にデートにいき、その夜に関係を持つ。ベッドシーンあり。

「オレンジデイズ」女性が聴覚障害。付き合い、その後に性的関係を持つ。二人が裸でベッドの中で朝を迎えるシーンあり。

「ビューティフルライフ」女性が難病で車椅子。よく覚えてないが、男性が「いい?」といって誘い、女性がOKを出し、ことがうまく済んだと示唆するシーンがあったと思う。

3作品で見せたかったのは、障がいがあっても、普通に恋愛をして、その過程を踏んでいるということだ。今もそうかもしれないが、当時は男女の付き合いの「普通」は、付き合ったら、性的な関係を持つことを意味した。障がいがあっても、それは同じだと言うことを、北川えつ子は伝えようとしていたのだと思う。本人のインタビュー記事でそのような発言を読んだ記憶もある。

その「普通」は世間が先に作ったのか、メディアが先に作ったのか分からないが、私はそれが「普通」とされた20代のとき、あまり良い思いをしなかった。

メディアはその「普通」を描きながらも「純愛」、要するにプラトニックな恋愛映画やドラマを打ちだしてきた。すると「普通」に飽きた人々、違和感を持っていた人に大ヒット。純愛ブームがやってくる。

その後、恋愛ドラマや映画自体が減ってきたように思う。いや、恋愛映画は変わらず作り続けられているが、どうも「純愛」よりな気がする。また「純愛」は難病と相性がいいのか、やたら「純愛」✕「難病」映画の宣伝をよく見る。要するに、健康な男女が付き合うには性行為が伴う、故に「純愛」には繋がらないということだろうか。

前述のドラマに戻る。「大豆田とわこ〜」は内容を追いつつ、視聴は途中からだが、キスシーンはあってもそれ以上はないようだ。劇中、オダギリジョーと松たか子が心通う瞬間もあったし、何なら押し倒すタイミングもあったが、その流れにはならなかった。

「着飾る〜」は、「大豆田」よりも、より恋愛要素があるドラマだと思って見ている。今、三角関係の最中で、ヒロインの川口春奈が、どちらの男をとるか、そこを物語のメインに持ってくるのかなと思えてきた。以前の恋愛ドラマだったら、三角関係は終え、ベッドシーンを終えてもいい頃合いの回数だと思えば、大分進みが遅い。

物語の中で、川口春奈は流星を選ぶだろうが、半裸でベッドに入るようなシーンはないと思う。夜、一緒の部屋で語りあっていたかと思えば場面は朝になり、目玉焼きを焼いたり、二人でパンを食べたりするシーンになると思う。「恋つづ」のように。

近頃は、恋愛ドラマであっても「性行為」を描くことが減ってきたように思う。話の流れ上、必要なくなった、視聴者が求めなくなった等、理由は多々あると思う。今後は、愛はあっても性行為を望まない男女が「普通」に出てきても良いと思うのだが、どうだろう。



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バジル
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