【メモ(memo)】許せない気持ちを手放す
許せない、と思うことは日々あるものですね。
それは、何か偶然の出来事に対してであったり、周りの誰かだったり、または、自分に対してだったり。
怒り狂うときもあれば、静かに許せない気持ちをためていくときもあります。
あなたは、許せない!と思うとき、どうやってその気持ちを処理していますか。
許せない気持ちは、私たちが持っている中でも、とくにネガティブで、消耗させてしまう感情のひとつ。
持っていても、あまり良いことを招きません。
ですから、許せないとひととき、思うことはあっても、できるだけ早く、浄化させるなり、リフレーミングするなり、手放せるようにトレーニングしていきたいものです。
■時の価値を知っているから、そこで立ち止まらないで、次のことを考える思考回路に切り替える。
■許すことで過去を変えることはできないが、間違いなく、未来を変えることはできる。
■自分の過ちは素直に認めて、過去から未来へ気持ちを切り換える。
許せないと思っていて、一番疲れているのは、誰かよく考えてみれば、それは、自分に間違いありません。
許せないという気持ちで怒り続け、消耗し、大切なエナジーを失って、本来ならそのエナジーを注ぐべき対象から、フォーカスがずれていきます。
疲れるだけでなく、損ですよね。
人生は、損得だけではないですが、許せなくても、とくに何も変わらないのが事実です。
そして、許せない人は、多分、痛くも、痒くもないでしょう。
悔しいかもしれませんが、こんなときは、自分を大切にする気持ちを思い出して。
許せないと思っていても、自分のプラスにはならないのだ、ともう一度実感してください。
もし抵抗があるなら、許すことが何を意味するのか、もう一度考えてみましょう。
許すことは、負けることとか、屈することだとか、そんな思い込みはないでしょうか。
もし、そうなら、その思い込みを書き換えてみてください。
許すことは、逆に、強さの証です。
そう思って、許せない気持ちの代わりに、許す気持ちを持ってみましょう。
その瞬間、自由になれて、本当に大事なことにエナジーが向けられるようになります。
それから、許せない対象が、自分である場合には、もっと大変ですね。
許せないという感情で疲れているのに、許せない対象が、また、自分自身なのでダブルパンチです。
私達のストレスの半分くらいは、こうして自分で作ったものではないでしょうか。
正義感が強くて、許せないと思っていても、自分が疲れているなら、その優先順位を、もう一度見直すべきです。
自分で自分を許せない状態をいつまで続けたら十分なのか、考えてみてください。
1年?
3年?
5年、10年、20年?
その間に無駄にする時間、エナジーを考えたら、本当に勿体ないですね。
自分を許せない、と思っていても、結局、自分のためにならない、自分のためにならないなら、回りまわって周囲の人たちのためにもなりません。
許せない気持ちを手放す。
自分の気持ちだから、自分でコントロールできます。
難しいと考えないで、手放そう、と思うことから始めるだけでいいのです。
【今日の短歌】
何(なに)となく、
案外に多き気もせらる、
自分と同じこと思ふ人。
(石川啄木『悲しき玩具』より)
仕事場の
小さい窓から覗かれる
灰色の空が自分の心だ
(渡辺順三『貧乏の歌』より)
「三角定規で平行の線を引くときの力加減で本音を話す」
(竹中優子『輪をつくる』より)
「黙ることは騙すことではないのだと短い自分の影踏みながら」
(山本夏子「スモックの袖」(「現代短歌」2018年7月号)より)
「真剣に聞くとき自分をぼくという君の背筋のあたたかい月」
(山内頌子『うさぎの鼻のようで抱きたい』よち)
横山未来子/第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』
【収録歌より】
あたたかき闇に背中をあづくるにふと外されて現(うつつ)へかへる
あをき血を透かせる雨後の葉のごとく鮮(あたら)しく見る半袖のきみ
シャツの背に五月の光硬ければ追ひかくる日のなしと思へり
スポークに夏の夕光散らしつつ少年の漕ぐ自転車過ぎつ
とりどりの紅葉捉へて凍りたる湖(うみ)のごとくに生き来しひとか
ふつつりと置き去りにされ乱れたる飛行機雲を風のきよめぬ
ボート漕ぎ緊れる君の半身をさらさらと這ふ葉影こまかし
ゆたかなる弾力もちて一塊の青葉は風を圧しかへしたり
一生のうちのひとひのひとときを夕雲に薔薇いろの湧き消ゆる
鬼百合のつぼみの爆ぜむ力もていつかひとりへ向けたき言葉
胸もとに水の反照うけて立つきみの四囲より啓(ひら)かるる夏
月と藻のゆらめきまとふ海馬(うまうま)となりたり君の前にうつむき
胡弓の音凪ぎたる後もふるふ闇わが諦めはかりそめならむ
昏れかかる大樹にはかに身をゆすり砂塵のごとき鳥放ちたり
砂浜に流木ふかく埋もれをりつねに渇きて午睡より覚む
視野の端(は)に君みとめつつ振り向けぬわれを真冬の海星と思ふ
時かけて髪を梳(す)く朝ある夢にこばまれたりし記憶のこれり
手渡さぬままのこころよ口中のちひさき氷嚥みくだしたり
秋草のなびく装画の本かかへ風中をゆくこの身透くべし
瞬間のやはらかき笑み受くるたび水切りさるるわれと思へり
水に差す手の屈折を眺めゐる夏のゆふぐれや過去のゆふぐれ
水煙しろき夜明けの湖(うみ)にきて向う岸なるひとと呼びあふ
澄みとほる湖(うみ)に毬藻のそだちゆくゆるやかさにてひとを忘るる
青草に膝をうづめて覗きこむ泉にわれは映らざるなり
昼と夜を経てふりむかば硝子器の影のあはさとならむ逢ひかも
張りつめてゐたる水面に葉の降(お)りて葉のかたちなる波紋ひらけり
冬の水押す櫂おもし目を上げて離るべき岸われにあるなり
冬芽もつ枝くぐりつつ再会を薄日のやうに恃みてゐたり
冬眠より目ざめて四肢を伸ぶるごと初めて顔をちかく仰ぎぬ
薄様(うすやう)の端を互ひにもつやうにひびきたるもの昨日はありき
秒針の響きくぐもりゆくほどにやはらかく身はねむりに添へり
風に乗る冬の揚羽にわが上に一度かぎりの一秒過ぐる
風中へ紙ひかうきを押し出すやうに断ちたるもののありしよ
抱へもつ壺の内にて水は鳴り予感せりとりのこさるる日を
眠られず君は寝がへりうちゐるかわが夢の面(も)のときに波立つ
木の生きし月日は残り背後にてうすむらさきに地を覆ふ光(かげ)
両腕をひらきて迎へゐるわれをまつすぐ透過してゆくひとか
横山未来子/第二歌集『水をひらく手』
【収録歌より】
「おぼろ月夜」小声で誰と歌ひしか昼は絵の具のいろの菜の花
「好きだつた」と聞きし小説を夜半に読むひとつまなざしをわが内に置き
いきものの体のすべて撫でをりてをさめゐる爪の硬さに触れぬ
きみに与へ得ぬものひとつはろばろと糸遊(いとゆふ)ゆらぐ野へ置きにゆく
くずれなき言葉と声をいとほしみまた寂しみてきれぎれに逢ふ
こゑにあるゑみを捉ふるわが器官金箔のふるへのやうに
こゑのみにて人と繋がりゐる時間 葉の揺れて雨の始まり知りぬ
さりりさりり雪へと育つ雨の朝終りなき関はりといふものあらば
握り締めたる指ひとつづつ解くやうに失くしたしこゑも名前も影も
家族とふ樹の作る影やはらかき北国へきみ帰りゆきたり
果実のごとく女の顔を包まむとおほき男の手は画かれたり
河に小石投げては音を待つやうにゐたりし冬よ陽は動きつつ
桐の木のありたる場所に木はあらず根もあらずアスファルト黒く湿れり
空白を忘れしやうにゑみあひて髪型の変はりたるは訊かざり
君が熱を出してゐるとふ夜に聴くピアノの音ひとつひとつの水紋
君ゆゑに独りのわれか繰りかへし硝子にあたる蜂の羽音す
今日を待ち張りつめてゐし胸ならむ魚跳ねて水のひかり割れたり
今年の花を見て来たる午後ねむりゆく身に歳月の水は巡りぬ
昨日(きぞ)われが失くししものよさやさやと水絵の空の色流れたり
若き父にならむと思ひ見しきみもわれも濃緑の生に入りゆく
樹の見えぬ空間に葉は降りながらみじかく永く夕映えのあり
小鳥もひとも動き始めつ一日(ひとひ)とふつめたく深き時を汲みつつ
盛り上がり水くづれたり老いながらまたあたらしく明日へ運ばる
草叢にあまたの光ちりばめてしづかに雨は朝を離れつ
茸、セロリ、豆腐など手に持つわれがわづかに冷ます白日の都市
土の下の種よりしろき根の伸ぶる音聞くやうに雨夜ねむりつ
鳩の群れ泡だつやうに飛び去りてその場所に生まれ出でたるひとり
皮剥けばま白なる蓮はしはしと切るたび腕に冷えひびきたり
風ひとすぢ頭上を抜けつわづかなる時間差ありて葉擦れ湧きたり
変はり得ぬわれを率ゐて十月と九月をつなぐ真夜を渡りつ
忘るとは解かるることと知りたるにみづから紐を結びなほせり
截られたるレモンの香り明るめばしばらくののち戻り来る夜
横山未来子/第三歌集『花の線描』
【収録歌より】
あらずともよき日などなく蜉蝣は翅を得るなり死へ向かふため
きのふに似る今日と思へる黄昏の窓の傍への塩のあかるさ
けふ冬となれる光よ音たててわれの行く手をに熟柿は落ちぬ
しばらくを蜜吸ひゐたる揚羽蝶去りゆきて花浮きあがりたり
たちまちに萩乾びたり明け方の風に吹きはらはれて消ゆべく
てのひらに湿りて在りし夏蜜柑の色ながれ出づ視野をはなれて
なだらかに冬陽うつろひ手から手へやさしきものを渡されてゐつ
ひと夏の時間の縁(ふち)にわがありて水撒けば草を発てる昼の蛾
まばたきの間に暮れゆけるけふの日のわが掌のうへの赤き鶏卵
やさしさを示し合ふことしかできぬ世ならむ壁に夕陽至りつ
一日のなかば柘榴の黄葉のあかるさの辺に水飲み場みゆ
羽収めて落ちながら飛ぶ鳥の影ゆだねむわれをわれの見ぬ日へ
卯の花の咲き撓みゐるゆたかさよ誰(たれ)もたれもが時をこぼせり
餌(え)をねだりゐし燕の子らの眠りゆき夜の空気のうつくしき町
燕よぎり燕のかたち失せし空うつくしければ悲しと思ふ
温室にひとつの朝と夜は来てうつぼかづらの中に蠅ゐず
夏草をからだの下に敷きながらねむり足(た)りたれば服濡れてをり
鴨のからだの通りしほそき跡のこし薄暮の色にしづみゆく湖(うみ)
去年の冬のわが知らざりしわれとして来て蝋梅の香(かう)にまじりぬ
見えぬものを遠くのぞみて歩むとき人の両腕しづかなるかな
五月の樹をゆるがせて風来たるのち芯までわれを濡らす雨あれ
行きたき場所見たきものあらばわが猫をわが傍らにひきとめられず
咲き重る桜のなかに動く陽をかなしみの眼を通して見をり
時の重みおのおの負ひて地中へと入りゆくごとき雪を見て経る
首筋に浅く嚙まれし跡あるを見をればかなしけものの雌の
傷に指を差しいれその人をその人と確かむるまで向きあひてゐむ
植樹されし枝垂れ桜の寒き枝にしばし薄紅色のかげ見つ
神の息のごとくに風の鳴れる朝しんしんとひとは行き交ふ四方(よも)を
人あらぬ春の白日花びらに時の至りて土へ落ちゆく
水に乗る黄葉の影よろこびは遠まはりして膝へ寄り来つ
石の芯もあたためらるる秋の午後何を離れてわれは座しゐる
雪を残し今朝のあかるさ漆黒の翼ひろぐる鳥流れたり
浅き皿に水浴みに来る鳥のごとをりをりこころ降るる場所あり
対岸に昏れそむる樹をおもひつつ窓を覆ひつおのが夜のため
地のうへの枯れ葉踏みゆく音しるく湖の縁冷えはじめたり
彫像の背を撫づるごとかなしみの輪郭のみをわれは知りしか
鳥にわづか果皮剥かれたる柑橘の冬の空間に重くみのれり
天上とおもふ位置より降りて来ぬ冬の小鳥の嘴を出づるこゑ
冬毛に雨をはじきて帰り来りしが飢ゑていらいらと甘嚙みしをり
逃れられぬわが輪郭の見ゆる日を影もろともに動かむとせり
銅像の瞳のなき眼みひらける日日を海へと押されゆく河
日向なる髪あたたかし遠ければ方位つかめぬ鳥のこゑする
熱のなきひかりを生みて手底(たなぞこ)に在りぬあらざるごとき軽さ
白昼に覚めたる眼(まなこ)ひらきつつ舟の骨格を見わたすごとし
薄紙は椅子にかかれり春の花を巻き締めてゐし疲れを残し
表紙に花の線画ゑがかれたる文庫残してひとは帰りゆきたり
風は遠きかなしみを連れめぐりゆき晴れやかに朝の戸を叩くべし
覆ひえぬ顔のつめたき夕刻に絹のやうなる梅の香に触る
粉のやうに薄日にひかる秋雨の甕を満たせるまでのわが生
壁にのこる蔦の蔓にも影うまれ朝は来りぬかなしむ子等へ
野分過ぎし道に黄葉(もみぢば)乾きをりひととせはわれを此処に連れ来つ
立てかけられし斧の柄も朽ちゆくほどに永き日花の影は揺れゐつ
壜のなかの油の白く凝る見てかへりたるなり泣きし記憶に
踵より離れぬ影をひきてゆく人びとの群れにわれも入らむか
隧道をいくつか通り来しやうにあかるく暗くなれり心は
横山未来子/第四歌集『金の雨』
【収録歌より】
うつむきて髪洗ひゐつ一群の馬ゆき過ぐるごとき雨の間
かなしみに溺れつくしし日のわれに降りき鱗のごとき花びら
ころがりてそこに留まる柑橘の鮮やかにして昏れそむる道
もう同じわれなどをらぬ街に来て苺つややけき菓子を食みたり
わが産みしものにあらぬに抱きすくめ〈わたしの猫〉とわれは言ひたり
巻貝のかたちに我のねむるときあかるき金の雨となりて来よ
旧訳版選び読みたり時を違へひとりびとりに来む死おもひて
湖(うみ)に向きてみな立てるとふ観音のかなしみをおもひ本を閉ぢたり
湖に向きてみな立てるとふ観音のかなしみをおもひ本を閉ぢたり
紅葉のきはまれるとき葉を垂るる花水木ゆゑこころ翳りぬ
深きより背の見ゆるまで浮かびくる魚の鱗のひかる夜なれ
日蔭なる草にとまれば植物のしづけさとなり蝶かくれたり
風荒びたりし夜ののち草折り敷きなにかねむりてゆきし跡あり
塀を這ひのぼれる蔦の葉の赤をくるしきものとけふの眼は見つ
夢に詩を読みあげてゐつたたまれたる闇より闇のひらくごとき詩を
夜が昼へかはれるごとく蕾裂き反りかへりゆく沈丁花見つ
流れゆく午前のひかり白木蓮のひろき若葉の下より見たり
蜻蛉(とんばう)の水中をゆくごとく飛びひとのかなしみの消えぬゆふぐれ
横山未来子/短歌日記『午後の蝶』
【収録歌より】
あたらしき石鹸を泡だつる夜ひとの哀しみをとほくおもひぬ
うつむきてきみが眠りへ降(お)るる頃のわれの上なる硬き三日月
けふといふ日の終はるころ暗がりの水にしづめる匙の光りぬ
ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを聴きをり小さき部屋に
さやゑんどうの莢に透きたるかなしみの萌しのごとき丸みにふれつ
スマートフォン夜の机上に点りをりこのあかるさを恃みし日ありき
ちぎれたる枝葉にまじりかなぶんの光沢ありぬ朝の舗道に
てのひらに冬の陽ざしを溜むるごと幾たびちさき逢ひをなしたる
とほき世に眉をゑがきしをみならの映ることなき手鏡ぬぐふ
ひのくれまでねむれるわれをゆりおこすわれをみてをりあけのねむりに
まふたつにされし蜜柑の断面の濡れをりいまだ小鳥来らず
マラソンの小学生の息の音ひと群れすぎてまた冷ゆる道
もう二度と触れえぬもののいくつかをおのおのもちて昼の月見つ
ものの芽の湿れる朝(あした)よこたはりうすきからだのうへに手をおく
ゆるやかに西日の充つる公園に立葵ひとの影のごとあり
わが影のかぶされるとき三匹の冬の金魚のとろりと浮き来
愛づるのみにてつかはぬ硯あるといふをかはたれどきに覚めておもひぬ
貝合はせの貝のうちなる梅の花次なる春のひかり待つべし
傘をうつ雨くぐもりてひびきをり電話のなかのこゑの向かうに
紙の袋にからだををさめたる猫のおのがぬくもりのなかにやすらふ
手におもき梨を剥きをりここにをらぬだれかのために剥きたき夜に
十二月の暦の隅に来年のわれの予定をひとつ書きたり
垂直の壁をのぼれるかたつむり遅れて殻をひきあぐるなり
水たまりに桜紅葉のしづめるを覗かむとするわれの黒き影
待ちゐよと言はれてひとを待つしばし林檎のごときすなほさにあり
池の面へながくかかりて傾きてことしの花の影を映せる
椎の木に隠れてゐたる太陽のにじみ出だせるまでの一分(いつぷん)
湯の沸くを待ちゐるあひだ北の街の雪の予報をながめてゐたり
踏まれたる花水木の実なほ紅しわれも失くししものを数ふる
突きあたり向きをかへたる穂のふくむ墨すべらかに紙を走りつ
白湯に喉しめらせてをり逢ひし日より睫毛やさしきひととおもへり
蜂蜜の壜かたむけてゆるやかにかたよるひかり眺めゐるなり
夢見ずにねむり足りたるわれの身は檸檬をしぼるちから出だせり
遥かより来る風のなか髪切りてかるくなりたる頭(ず)をかかげゆく
横山未来子/第五歌集『とく来たりませ』
【収録歌より】
アルミ箔破らむときに手にひびくあかるさとして星は死にたり
いきもののぬくみわが身にうつりしがまた冷めゆけりまぼろしのごと
かすかなる音を聞きたり紙にあたり折りかへさるる穂先の跡に
かなしみはかなしみのまま透明なる恩寵の降る木の間をゆけり
かなしみを晒すごとくに灯のしたの林檎の皮に刃をくぐらせつ
テーブルの日差しは本をのぼりきて紙にありたる肌理をうかべぬ
ひとすぢに朝光は入り布のうへの黒く熟れたるアボカドの照る
ひとの靴のありにしあたりまはりたる風のかたちに枯葉のこりぬ
ゆふぐれは窓よりにじみゆふぐれを歩みてをらむ人をおもはす
わが脚に鼻おしつけてねむりゆく息の出で入るふるへ伝へて
をさなごの心をわれに呼ぶごとく冬の朝(あした)の窓に手をあつ
稲光をふくみ明滅せる雲をとほく見てをり音のなきまま
花のひかり落つる水面をすすみゆく水鳥に花の冷えは移らむ
外光のふかく入る頃わがまへに置かれたる白きカフェオレボウル
褐色に朽ちたる花もかかげつつ幹ふとき木はわれを仰がしむ
去年の実の黒きをあまた垂らしをりあたらしき香の花のあはひに
肩で傘ささへてあゆむをさな子の後ろをゆけば傘の柄見ゆ
枯芝にまじるひらたき雑草に影ありてわが影につながる
口あけたる無花果の蟻の這ふ日ぐれほろびへ向かふもののこゑせり
座席よりあふぎてゐたり組みあはむとする両の手のごとき並木を
三輪草群れゐるあたりゆるやかにみひらくごとく届く陽のあり
充ちながらそこにあるべき木木のもとへ運ばむとせりけふのいのちを
丈ひくき草に入りたるしじみ蝶薄暮のいろの翅を閉ざしぬ
唇にうすき硝子をはさみつつみづを飲みたり明けがたのみづを
水に触るるごとくにかをりにふれて見る薄日のなかの梔子の白
星に星のふるへつたはり手のなかの万年筆をかちりと閉めつ
卓を垂るる檸檬の皮のゑがかれて螺旋の内にひかり保たる
柘榴六つすべて色づきたるを見ぬ今年の秋にわれは立ち会ひ
八月の夕ぐれの風ひろがりて蜘蛛の巣とほそき蜘蛛をあふりぬ
父親の背せなに眠れるをさなごの靴の片方脱げゐるが見ゆ
滅びむとする夏としてことごとく雨に項垂るるしろき百合あり
木の下の落ち葉は雨にぬれずあり濡るるものよりしろき色にて
夕風のいでたる庭を丈たかき百合揺れてをり花の重みに
【参考図書】
「5メートルほどの果てしなさ」松木秀(著)
「日本史のかたまりとして桜花湧きつつ消える時間の重み」
〈私〉と〈言葉〉の距離は?
〈言葉〉と〈世界〉の距離は?
〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の適当な距離は?
あいだの繋がりを信じて、言葉によって世界を引き寄せるのか?
それとも、言葉に載せて〈私〉を世界へと投げ出すのか?
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