【「嗜む」のすすめ】「遊」に焦がれ本を嗜む
私達が密かに大切にしているものたち。
確かにあるのに。
指差すことができない。
それらは、目に見えるものばかりではなくて。
それらを、ひとつずつ読み解き。
それらを、丁寧に表わしていく。
そうして出来た言葉の集積を嗜む。
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■テキスト
「[増補版]知の編集工学」(朝日文庫)松岡正剛(著)
本書刊行時の時代背景と執筆時の思い、そして、今回、増補した制作経緯を明かし、あらためて「知の編集工学」で問おうとしたメッセージを、以下の5つの視点で解説しています。
1.「世界」と「自己」をつなげる
2.さまざまな編集技法を駆使する
3.編集的世界観をもちつづける
4.世の中の価値観を相対的に編み直す
5.物語編集力を活用する
これらの視点の大元には、「生命に学ぶ」「歴史を展く」「文化と遊ぶ」という基本姿勢があることも、AI時代の今こそ見直すべきかもしれません。
■読書感想文(発見(気づき))
「知の編集術 発想・思考を生み出す技法」(講談社現代新書)松岡正剛(著)
記憶を呼び起こし、言語を発し、知識を組み立て組織化し、他人と交換し、共有し、刺激し合う。
私達が生きていく上で、あらゆる知的な行為のプロセスは、"編集的"だと言える。
こうした編集の作法を、丁寧に解説しながら、シンプルで分かりやすい語り口で、発想や創造性を作り出すテクニックを、本書は、提示していく。
マクルーハンを彷彿とさせる"図"と"地"の対比、すなわち、量的情報と、質的情報の区別ということが、本書の基本路線になるであろうか。
同一の情報が、受け手や時と場所により、刻一刻と姿を変え、文字通り、"変質"するとき、受け手を取り巻くメディア=文脈性、そのものが、変容していること。
こうした認識のもとで、はじめて、編集、すなわち、情報を異なる文脈のもとで、フレッシュに変化させることの重要性が、理解されるであろうう。
創造的な編集は、遊びから生まれること、編集そのものが、文化を形作ること。
本書で描かれる編集の技法は、明快であり、実践的であり、かつ、オプティミスティックなものである。
ハイパーテキストにも言及してあったが、ボルターの本と合わせて読むことで、編集なるものを、より、理論的に理解することが出来ると思う。
「ライティングスペ-ス 電子テキスト時代のエクリチュ-ル」ジェイ・デイヴィッド ボルター(著)黒崎政男/伊古田理/下野正俊(訳)
玉石混交の情報の波に足元をさらわれそうになる現在にあって、価値ある情報を生み出し、意味のあるものを生成するためにはどうすれば良いのか。
古い本ではあるが、現在を知的に生きるための必読の本と言えるであろう。
「遊」というコンセプトは、「神秘学遊戯団」の「遊戯」に反映していたりもするくらいである。
また、「遊」のめくるめく「編集」は、めっぽう刺激的で、本書のサブタイトルにもある「発想・思考を生み出す技法」を意識的にせよ、半ば無意識的にせよ、たくさんもらっているように思う。
松岡正剛は、「編集」について、次の方向を提示していて、本書も、このことを、
「アタマの片隅において」
読み進めることが示唆されている。
1.編集は遊びから生まれる
2.編集は対話から生まれる
3.編集は不足から生まれる
また、
1.編集は照合である
2.編集は連想である
3.編集は冒険である
これまで、「知の編集工学」や本書など、「編集」そのものをテーマにしたものが、刊行されるようにもなっている。
かつては、そうした
「技法」からのアプローチ
というよりも、ある種のカオスのような在り方から、そうした
「技法」を自分で発見
していったところもあって、それが、こうしてマニュアル的に書かれてしまうようになってしまうと、なんだか、少し、興ざめのような気もしないではないが、確かに、こうした「技法」は、実際に、使いこなして、はじめて生きてくるわけなので、これはこれで、
「編集工学」
という知として、重要なことなのだと思う。
しかし、シュタイナーの精神科学にふれるようになって以来、どうも松岡正剛的な「編集工学」に物足りなさを感じるようになっている。
もちろん、それが必要ないというのではないのだけれど、それだけでは、どうにも、
「腑に落ちない」
のである。
スーパーマーケットにならんでいる野菜と日比野さんの野菜の違いに、ある種、決定的に気付いてしまったようなものかもしれない。
もちろん、「編集工学」は技法なので、比べるのもおかしなことなのかもしれないが、精神科学は、決して「技法」としてとらえることはできないように思う。
バッハに「フーガの技法」という素晴らしい曲があるけれど、その名とは裏腹に、重要なのは、むしろ「技法」を越えた何者なのかなのだと思う。
ところで、松岡正剛とその仲間たちは、今、「編集の国ISIS」という「編集実験農場」のようなものをコンピュータ・ネットワークの中に作っている。
私にとっては、かつてのような魅力を感じるものではなくなっているが、それは別にして、とても、重要な試みであることは、確かなのだから。
【参照図書】
「ビジョン―視覚の計算理論と脳内表現」デビッド マー(著)乾敏郎/安藤広志(訳)
「考える物質」ジャン・ピエール シャンジュー/アラン・コンヌ(著)浜名優美(訳)
「心の社会」マーヴィン・ミンスキー(著)安西祐一郎(訳)
「認知革命 知の科学の誕生と展開」ハワード ガードナー(著)佐伯胖/海保博之(監訳)
「メンタルモデル 言語・推論・意識の認知科学」P.N. ジョンソン・レアード(著)AIUEO(訳)
「哲学と自然の鏡」リチャード ローティ(著)伊藤春樹/野家伸也/野家啓一/須藤訓任/柴田正良(訳)
「脳の計算理論」川人光男(著)
「デカルトなんかいらない カオスから人工知能まで、現代科学をめぐる20の対話」ギタ ペシス・パステルナーク(著)松浦俊輔(訳)
「視覚の冒険―イリュージョンから認知科学へ」下條信輔(著)
「アートフル・サイエンス 啓蒙時代の娯楽と凋落する視覚教育」バーバラ・M. スタフォード(著)高山宏(訳)
「本を書く」(ポケットスタンダード)アニー ディラード(著)柳沢由実子(訳)
「情報選択の時代」リチャード・S. ワーマン(著)松岡正剛(訳)
「ノートル=ダム・ド・パリ(上)」(岩波文庫)ユゴー(著)辻昶/松下和則(訳)
「ノートル=ダム・ド・パリ(下)」(岩波文庫)ユゴー(著)辻昶/松下和則(訳)
「記憶術」フランセス・A. イエイツ(著)青木信義/篠崎実/玉泉八州男/井出新/野崎睦美(訳)
「印刷革命」E.L. アイゼンステイン(著)別宮貞徳(訳)
「インターネットストラテジー 遊牧する経済圏」松岡正剛(著)
■22夜220冊目
2024年4月18日から、適宜、1夜10冊の本を選別して、その本達に肖り、倣うことで、知文(考えや事柄を他に知らせるための書面)を実践するための参考図書として、紹介させて頂きますね(^^)
みなさんにとっても、それぞれが恋い焦がれ、貪り、血肉とした夜があると思います。
どんな夜を持ち込んで、その中から、どんな夜を選んだのか。
そして、私達は、何に、肖り、倣おうととしているのか。
その様な稽古の稽古たる所以となり得る本に出会うことは、とても面白い夜を体験させてくれると、そう考えています。
さてと、今日は、どれを読もうかなんて。
武道や茶道の稽古のように装いを整えて。
振る舞いを変え。
居ずまいから見直して。
好きなことに没入する「読書の稽古」。
稽古の字義は、古に稽えること。
古典に還れという意味ではなくて、「古」そのものに学び、そのプロセスを習熟することを指す。
西平直著「世阿弥の稽古哲学」
自分と向き合う時間に浸る「ヒタ活」(^^)
さて、今宵のお稽古で、嗜む本のお品書きは・・・
【「嗜む」のすすめ】「遊」に焦がれ本を嗜む
「稲村雲洞作品集 極の宇宙」毎日新聞社(編)
「PLUTO 豪華版 コミック 全8巻完結セット」(ビッグコミックススペシャル)浦沢直樹(著)
「家紋帳」大森よ佑子/菊地敦己(著)
「京都のこころAtoZ 舞妓さんから喫茶店まで」(ポプラ文庫)木村衣有子(著)
「そらとぶねこざかな」わたなべ ゆういち(著)
「Tiffany Timepieces」John Loring(著)
「生き方」稲盛和夫(著)
「グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ」バーバラ M.スタフォード(著)高山宏(訳)
「ヴィジュアル・アナロジ- つなぐ技術としての人間意識」バーバラ・マリア スタフォード(著)高山宏(訳)
「アートフル・サイエンス 啓蒙時代の娯楽と凋落する視覚教育」バーバラ・M. スタフォード(著)高山宏(訳)
■(参考記事)松岡正剛の千夜千冊
・才事記
・バックナンバーINDEX 全読譜
・テーマINDEX 総覧帖MENU
・膨大な知層が織りなす文庫編成組曲
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