矛盾するということ
もともと人間は、矛盾に満ちた生き物かもしれません。
では、なぜ矛盾するのか?
たぶん、最大の原因は、「自分」という存在にあって、頭と心がシンクロしないからかもしれません。
「頭」で理解しても、「心」が納得しないことって、仕事や人間関係の中でも、結構多いはず。
ようするに、理性(言葉)と感情(欲情)がシンクロしないからなんでしょうね。
なぜ、シンクロ出来なくなるのか?
生活環境が変わるから、自分も変わるから、欲望も変わるから、自分を出したいし、自分を隠したいから。
自分さえよければ他はどうでもいいと思う自分も見え隠れし、傷つく自分が嫌だから。
言うまでもないことなんでしょうが、人は生きていくうえで矛盾がないほうが望ましいと考えられます。
それは、人間関係における矛盾は、簡単に信頼性を失ってしまうからなんです。
取り敢えず、人間には、終始一貫した態度って言うか、一貫性が信頼性にとって必須です。
言葉にウソがなければそれが保たれるのを、誰しも、判っているのだけれど。
いつも言葉を裏切るのは、自分の行動のほうだから。
でもね。
あまり過剰に意識する必要もないんじゃないかって感じます。
だって、どっちみち一貫性など、どこかで綻びが生じてしまうもの。
「さっきいったことと矛盾しているじゃないか!」と、人は他人の論理矛盾に厳しいのですが、いいじゃないですか、そんなことぐらいでって思うくらいで調度いいんじゃないかなぁ~
おおらかな心で静かに指摘すればいい、鬼の首をとったように怒っても逆効果で、“正しいと思うこと”を表現することも大切なのですが、感情に走って表現すると通じないばかりか、問題がより複雑になってしまいますから要注意です。
怒ったところで、世界になんの影響もない話だと思えば、少しは、怒ることが馬鹿らしいって、思いませんか?
あまり“正しいこと”に囚われすぎてしまうと、相手との一致点が見えてきませんよね。
事柄の是非も大切なことではありますが、人間は感情や思いを優先しやすい生き物です。
矛盾を指摘する前に、正誤・善悪よりも先に、相手の気持ち、気分をまず理解する事の方が、大切な事だと思うんです。
人としての「おおらかさ」や「しなやかさ」を大切に、どんなボールが飛んできても、真正面でちゃんと受けられる人になれたら、もっと素敵ですね。