悲しみの意味
Illustration: Dadu Shin
誰しも、人には言えない、語られることのない、言葉には表せない悲哀を胸に隠して生きているのではないでしょうか。
こんな文字について学ぶだけで、誰しもみな、そんな悲哀を抱いているのだなと分かります。
その事が分かれば、お互いに思いやることが出来るはずなのです。
星野富弘さんの花の詩画集「花よりも小さく」の中に、次の詩があります。
「花よりも小さく―花の詩画集」星野富弘(著)
「冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく」
悲しみの意味は、二度とこんな悲しみは味わいたくないと、懸命な努力をうながす心でもあるように感じます。
こう考えてみると、悲しみの感情にも、前向きの意味があって、悲しみは、超えてゆかねばならないもの。
幸福感というのは、時代によっても、人によっても変わります。
悲しみも、苦しみも、全ては仕合せになるための、自分らしくなってゆくための、巧妙に仕掛けられた神様からのプレゼントだって思いませんか?
悲しみの数だけ優しくなれたら・・・・・・
苦しみの数だけ強くなれたら・・・・・・
そのために、たくさん遠回りしても、全てに意味があって、無駄なことはひとつもないと思います。
だって、視点を少しでも変えてみれば、社会は、数限りない他人の仕事で成り立っており、どんな仕事にも自分が得られる喜びと、人に与える喜びがあると思います。
そして人は、自分自身のためよりも、誰かを喜ばせたいと思った時のほうが行動するエネルギーが大きく、あきらめずに努力し、状況によっては命までも捧げることができることを、色んな形で過去は教えてくれています。
努めて(勉めて)強いる気乗りしないことであっても努力することで能力やスキルが向上し、より大きな成果が得られ、より多くの人に喜んでもらえる事実があること。
そして、その喜び(仕合せ) は、労力や時間と引き換えに得られるものであることを、大切な道徳的価値として、本来、社会に出る前の若い人たちに教えるべきことであると思います。
「仕」とは、尊い相手につかえるという意味で、他人同士が「仕え合う」「し合う」ことで相喜ぶこと。
それこそが「しあわせ」なのだということを、昔の日本人は知っていたのかもしれませんね。
初めて挑戦することは、殆ど全てのことがミスマッチから始まります。
しあわせを手に入れようと思ったら、自分を、その対象に合わせるしかなくて、自分を合わせることができて感じる“こと”が仕合せですよね(^^♪
そう、自分の軸ばかりに気をとられてしまうと、そこから外れたものは、全て「ミスマッチ」という言葉で誤魔化したりしていませんか?
変わらない軸も大切だけど、変わる軸の方を多く持った方が、つまずいたり、思うようにいかないと時、極端にそれを恐れる必要はないのだと気付くことができます。
現在、企業や学校教育として「キャリア教育」が行われていますが、「○○の育成」とか選択のカリキュラム化が促進され、自分を合わせる視点が無い点が心配でなりません。
努力は必ず報われる!
・・・・・・のか?
この質問の私なりの答えは、努力は必ず報われるとは限らないから、「ダメもと」で報われない努力をどれだけ繰り返すか。
それによって努力は報われる可能性が高まるです。
無責任な言い方かもしれないけど、キャリア形成において偶然を味方にするためにも、色々と「ダメもと」でやってみるって感覚。
生きやすいし、意外と、活き易いかなって、そう考えています(^^♪
イワンコフ曰く「奇跡は諦めない奴の頭上にしか降りて来ない!!”奇跡”ナメんじゃないよォ!!」。
そう、「”奇跡”ナメんじゃないよォ!!」だわ(^^;
その努力。
英語にあてはめると、“Lucky”から“Happy”に変われるか?かな。
【関連記事】
【レポート】計画的偶発性理論におけるキャリア形成において偶然を味方にすることは可能なのか?
https://note.com/bax36410/n/ne14f5bd87b3b?from=notice
こうして少しずつ受けられるこころになれば、いつか、悲しい日々も、苦しかった日々も、愛しく思える日が、きっとくるはずです。
そう、幸福とは人の価値観なんだね(^^)
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