【改訂版】【雑感】「せめて」の生に死を想う
人が死ぬこととはどういうことか。
翻って生きるとはどういうことか。
死んだらどうなるのかという古来からの難問に、「時間」という概念を当て嵌めてみる。
「時間」には、時計で刻まれるカレンダー的な時間と、感覚によって長くも短くもなる主観的・相対的な時間がある。
後者を掘り下げると、死後には、既に、その人の時間はないことになる。
科学史における時間:
ビッグバン以前には、時間はなかったとする宇宙論。
遊びという点で共通する老人と子どもの時間:
老人が子どもにものを教えるというのは、人間の本質であること。
生物学からみたエコロジカルな時間:
時間は、種や個体にとってそれぞれ固有のものがあり、相対的なものであること。
宗教における時間の超越:
いかにして人間は永遠を手に入れるか。
以上の様に、多岐にわたる視点が考えられる。
この時間の概念を軸にして、今の日本社会を見ると、死生観の空洞化が顕著ではないかと思う。
死生観というものが揺らいでいるというよりも。
無くなってしまっている状況があるのではないかと思う。
今、死生観という言葉を何気なく使っている。
いうなれば、宇宙や生命全体の中で、個(私)の生や死がどのような意味をもっているか、についての理解(世界観)が死生観というものになると思う。
特に、日本社会全般について言えるかと思う。
ある意味、若い世代になるほどその傾向が強くなっているように思う。
死生観・宗教ということになってくると公の教育の場では避けてきた傾向が強いだけに。
むしろ、映画、アニメや音楽が死生観にとって大きな役割を果たしているように思う。
そこで、死生観を考えるにあたって、ライフサイクルについて考えたいと思う。
人間のライフサイクルの捉えかたには、非常に単純化すると二つのイメージに分かれる。
ひとつは、直線的と言いうか、上昇して、その先に死があるというイメージ。
これだけだと、どうしても老いというのがマイナスと受け取られざるを得ず。
まして、死というのは、その先に落ちていく、全く否定的なイメージである。
キリスト教の場合は、この先に救済・再生というのがある。
戦後の日本はどちらかというと進歩・上昇のイメージで来ており、あまり死というものは考えないようにしてきた。
もうひとつは、円環的なイメージ。
生まれてから、子供・大人・老人ときて死がある。
大きな違いは、死というものは、元の場所に戻っていく、帰っていくものとして捉えられている点。
全く未知のところに行くというのではなく、帰っていくという感覚がある。
老いというのが成熟とか成就とかプラスの価値を持って受け止めることが可能になってくる。
また、人生後半期の課題というものがある。
人生の前半はがむしゃらに上昇してきたが。
後半期になると、その先にあるのは、最終的には、死以外の何者でもないわけであるが。
死を見据えたうえでの自分の人生の意味とか意義付けがどうしても必要になっていく。
これがなかなかうまくいかないときに中年クライシスと言ったものが生まれてくる。
ある意味においては、今の日本社会全体が、どの世代でも、こういった課題に直面していると推定できる。
私だけでなくて、生命、特に、人間は、生きていくことが世の中に合わないのではないかと感じる。
私たちは、半端な人間なんだってことを考えておくべきだと思う。
どこか無理しなきゃ生きていけない世を生きている事に対して、どんな意識を持つべきなのかわからない。
やっぱり、生きていることには無理があるなぁという気がする。
その事を、出来るだけ早い段階で、一度、考えてみるべきだと思う。
いろいろな神を信奉し。
あるいは、あらゆる神を信奉せずとも。
それでも苦しみを生きることになる事実を。
生があって。
当たり前のように死が訪れることを。
それが明るいものであれ。
暗いものであれ。
そこに「せめて」の生があって人は生きて、当たり前のように死ぬ。
現世では、どっちみち苦しいし。
誰もが、程度の差こそあれ、苦しんでいる現実がある。
だからせめて。
「後生を願う」といった考え方は、救いになる様に感じる。
但し、生死というものがそこに有るにも関わらず。
そこから目をそらして生きられる人は幸福なのかもしれない。
【参考記事】
繰り返すが、生きることの困難さは、いつの世も変わりはしない。
そもそも、私たちは過去数十年のあいだに大変な思いちがいをしてしまったのかもしれない。
経済的に豊かになって。
情報や技術を自在に駆使するうちに。
なんだか人間としても強くなったような気になっていたんじゃないかと。
ほしいものは望めば大抵の物なら手に入るし。
自分で頭をひねらなくとも。
あふれるマニュアルに従っていれば日常生活を難なく乗り切れる。
そうして今。
自分は一人で生きてきた。
一人で生きていけると大きな錯覚をしている。
けれど、いつの世も、人は人とのかかわりあいなくして存在しえない。
人は本来ひよわいもの。
生きることの困難さは、ものが豊かになっても変わるはずのない命題なはずなのに。
だからこそ私たちは助け合い。
肩を寄せ合って生きてきたはず。
人間関係がいくら厄介であろうと。
ぶつかりあい。
折り合いをつけながら。
人のなかに生きてきたはずなのに。
数々の衝突や摩擦。
あるいは心癒される経験を重ねるうちに。
人は、人づきあいの術を学ぶのだと思う。
生まれながらにしてコミュニケーション術なるものを身につけているわけではないのだから。
生き難い現世を少しでも生き易くするために。
焦らず。
それに気づいて。
そして、築いて行きたい。
これまでは、経済成長とか豊かさの追求とかでガーッと猛進してきたが。
もうかつてのように成長していくという時代ではなくなってきた。
では、成長に替わる価値をどこに見出していくか?
しかし、なお見えていない。
これは、人の人生の話であるようで日本社会全般に当てはまる話だと思う。
また、様々な宗教の形は違えど、魂の帰っていく場所と呼べるものを、それぞれの形で位置付けていく必要性もあるのではないかと思う。
非常に単純に言えば、キリスト教では、直線的な時間のその果てに救済・永遠の命があり、仏教の場合は、今、此処に永遠の命がある。
キリスト教にも永遠の命という言葉が異なる文脈で出てくるが、最終的に見ているものは突き詰めて言えば同じものではないか。
仏教の場合は、輪廻転生からの離脱、苦に満ちた現実の世界から解脱して永遠の命を得る。
キリスト教の場合は直線的な時間の果て(死)に永遠の命がある。
時間観というものが、この両者では対照的な意味付けとなっている。
最終的に目指しているものは同じであって、そういったものの位置付けの仕方が違う、というふうに言えると思う。
人と会う機会が減ったことで。
自分と向き合う時間が増えた方も多い近頃。
生活スタイルや価値観が変わり。
今まで深く考えなかったことについて。
考えるようになったという方もいるかもしれない。
根本的な孤独に突然襲われたり。
生きることへの不安や疑問が湧き。
「自分ってなんだろう」という誰も分からない問いに苦しんだり。
そんなとき。
例えば、「詩」とかは、心に寄り添い。
気づきもしなかった角度から世界を見つめることを教えてくれるかもしれない。
【参考図書】
峯澤典子『ひかりの途上で』
最果タヒ『死んでしまう系のぼくらに』
萩野なつみ『遠葬』
暁方ミセイ『ブルーサンダー』
岡本啓『グラフィティ』
石牟礼道子/伊藤比呂美 『死を想う(平凡社新書) 』
さて、日本には、昔から伝統として死生観という大袈裟なものではないとしても。
それに類するものが、寺院、寺小屋などで教えられたのではないかと思う。
死の問題は、いかに生きていくかという問題と大きな関係がある。
そこで、最後に、日本人の死生観を大急ぎで見ていきたいと思う。
はじめに宗教者の立場からの死生観を。
次に歌人や儒教・国学者の考えを。
最後に現代に生きる人たちの死生観を見ていきたい。
【僧侶の死生観】
◆最澄(767~822) 天台宗開祖 『叡山大師伝』から引用
夏4月、もろもろの弟子たちに告げて言われた、「わたしの命はもう長くはあるまい。もしもわたしが死んだあとは、みんな喪服を着てはならない。
また山中の同法(同門の弟子)は、仏のさだめた戒律によって、酒を飲んではいけない。
ただし、わたしもまた、いくたびもこの国に生れかわって、三学(戒・定・慧)を学習し、一乗(「法華経」の教え)を弘めよう
◆空海(774~835) 真言宗開祖 『秘蔵宝鑰』の序から引用
迷いの世界の狂人は狂っていることを知らない
生死の苦しみで眼の見えないものは眼の見えないことが分からない
生れ生れ生れ生れても生の始めは暗く死に死に死に死んでも死の終りは冥い
◆源信(924~1017) 天台宗学僧 『往生要集』から引用
仏弟子である君よ、この年ごろ、世俗の望みをやめ、西方浄土に往生するための行を修してきた。
今、病床にあり、死を恐れないわけにはいかないであろう。
どうか目を閉して合掌して、一心に誓いをたててください。
◆法然(1133~1212) 浄土宗開祖
ある弟子が尋ねた、
「このたびは本当に往生なされてしまうのでしょうか」と。
法然は答えた、
「自分はもと極楽にいたものであるから、こんどはきっとそこへ帰る」 と。
法然にとって極楽とは、帰るべき故郷であったのである。
◆親鸞(1173~1262) 浄土真宗の開祖
自分はわるい人間であるから、如来のお迎えをうけられるはずはないなどと、思ってはならない。
凡夫はもともと煩悩をそなえているのだから、わるいにきまっていると思うがよろしい。
また、自分は心がただしいから、住生できるはずだと、思ってもならない。
自力のはからいでは、真実の浄土に往生できるのではない。
◆明恵(1173~1232) 華厳宗の僧 (弟子への訓戒)
「われ如来の本意を得て、解説の門に入ることができた、汝等も如来の禁戒を保ち、その本意を得て、来世共に仏前で再会せん」
◆道元(1200~1253) 曹洞宗開祖 『正法眼蔵』(生死)から引用
「この生死は即ち仏の御命なり。
これをいとい捨てんとすれば、即ち仏の御命を失わんとするなり。
これにとどまりて、生死に着ずれば、これも仏の御命を失うなり。
仏のありさまをとどむるなり」
◆一遍 (1239~1289) 時宗の開祖 『百利口語』から引用
六道輪廻の間には
ともなふ人もなかりけり
独りうまれて独り死す
生死の道こそかなしけれ
◆宗峰妙超(1281~1337) 臨済宗の僧 『遺偈』から引用
「仏祖を截断し 吹毛常に磨く機輪転ずる処 虚空牙を咬む」(仏祖さえも否定超克して吹毛の剣にも比せられる性根玉をいつも磨いてきたその心の機は虚空が牙を咬むとも言える、空が空を行じる心境と言えよう)
◆一休(1394~1481) 臨済宗の僧 『骸骨』から引用
「そもそもいづれの時か夢のうちにあらざる、いづれの人か骸骨にあらざるべし。
それを五色の皮につゝみてもてあつかふほどこそ、男女の色もあれ。
いきたえ、身の皮破れぬればその色もなし。
上下のすがたもわかず。
(中略)
貴きも賎しきも、老いたるも若きも、更に変りなし。
たゞ一大事因縁を悟るときは、不生不滅の理を知るなり」
◆蓮如(1415~1499) 浄土真宗中興の祖 『白骨の文』から引用
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。
(中略)
我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
(中略)
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏もうすベきものなり。
あなかしこ、あなかしこ」
◆沢庵(1573~1645) 臨済宗の僧 『遺戒』から引用
全身を後の山にうずめて、只士をおおうて去れ。
経を読むことなかれ。
斎を設くることなかれ。
道俗の弔賻(おくりもの)を受くることなかれ。
衆僧、衣を着、飯を喫し、平日のごとくせよ。
塔を建て、像を安置することなかれ。
謚号を求むることなかれ。
木牌を本山祖堂に納むることなかれ。
年譜行状を作ることなかれ。
◆鈴木正三(1579~1655) 江戸時代の禅僧 『驢鞍橋』から引用
「万事をうち置て、ただ死に習うべし。
常に死を習って、死に余裕を持ち、誠に死する時に、驚かぬようにすべし。
人を教化し仏法を知る時にこそ、知恵は必要だが、我が成仏の為には、何も知識はあだなり。
ただ土と成りて、念仏をもって、死に習うべし」
◆盤珪(1622~1693) 臨済宗の僧 『説法』から引用
「身共は、生死に頼らずして死まするを生死自在の人とはいいまする。
又、生死は四六時中に有て、人寿一度、臨終の時、はかりの義では御座らぬ。
人の生死に預からずして、生るる程に、何れも生き、又死るゝ程に、死が来らば、今にても死る様に、いつ死んでも大事ない様にして、平生居まする人が、生死自在の人とは云、又は、霊明な不生の仏心を決定の人とは云まする」
◆白隠慧鶴 (1685~1768) 臨済宗の僧 『仮名葎』
「涅槃の大彼岸に到達しようと思えば、つつしんで精神を集中して、それぞれの臍下、気海丹田を黙検せよ。
そうすれば、まったく男女の相もなく、僧俗の区別もない。
老幼、貧富、美醜、地位の高下なぞの差別の一点の痕跡もなくなる。
このように精神を集中して、細かく工夫精進して昼夜おこたることがなければ、いつしかあれこれ考える想いもつき、妄情煩悩も消えて、盆をバラバラに投げこわし、氷の塔をぶちこわすように、たちまち身心ともに打失しよう」
◆良寛(1758~1831) 曹洞宗の僧
形見とて何か残さん春は花
夏ほととぎす秋はもみじ葉
【歌人(他)の死生観】
◆西行(1118~1190) 歌人
願はくは花のしたにて春死なん
そのきさらぎの望月のころ
◆吉田兼好(1283~1352) 歌人 『徒然草』から引用
「誰でもみんな、本当にこの生を楽しまないのは、死を恐れないからだ。
いや、死を恐れないのではなくて、死の近いことを忘れているのだ。
しかし、もしまた、生死というような差別の相に捉われないと言う人があるなら、その人は真の道理を悟り得た人と言っていい」
◆熊沢蕃山(1619~1691) 陽明学者 『集義和書』から引用
「生死は終身の昼夜であり、生死は終身の昼夜であり、昼夜は今日の生死にあたる。
生死の理も、昼夜を思う ごとく、常に明かにすれば、臨終とても別儀は無い。
薪つきて入滅するごとく、寝所に入で心よく寝るが如く、何の思念もなく、只明白なる心ばかりである。」
◆伊藤仁斎(1627~1705) 儒者 『語孟字義』から引用
「天地の道は、生有って死無く、実有って散無し。
死は即ち生の終り、散は即ち実の尽くるなり。
天地の道、生に一なるが故なり。
父祖身投すといへども、しかれどもその精神は、すなはちこれを子孫に伝へ、子孫又これをその子孫に伝へ、生生断えず、無窮に至るときは、すなはちこれを死せずといいて可なり」
◆新井白石(1657~1725) 政治家・学者 『鬼神論』から引用
「礼は生を養い死を送り鬼神につかうるところとなりとぞ「礼」に記せり。
又明にしては礼楽あり、幽にしては鬼神ありとも侍り。
幽と明とは二つなるに似たれと、誠は其理一つにこそはかよふらめ。
是により通せば彼にも又通じぬべき」
◆山本常朝(1659~1721) 佐賀藩士 『葉隠』から引用
「二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。
別に仔細なし。
胸すわって進むなり。
図に当らぬは犬死などといふ事は上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当るやうにわかることは、及ばざることなり」
◆本居宣長(1730~1801) 国文学者 『玉匣』から引用
「死すれば、妻子眷族朋友家財万事をもふりすて、馴れたる此世を永く別れ去りて、再び還来ることあたはず、かならずかの汚きよみの国に行くことなれば、世の中に、死ぬる程かなしき事はなきものな(中略)」
◆山片蟠桃(1748~1821) 町人学者 『夢之代』から引用
「生れば智あり、神あり、血気あり、四支・心志・臓腑みな働き、死すれば智なし、神なし、血気なく、四支・心志・臓腑みな働くことなし。
然らば何くんぞ鬼あらん。
又神あらん。
生て働く処、これを神とすべき也」
◆広瀬淡窓(1782~1856) 漢学者 『約言』から引用
「生死は人の能く知る所に非ず。
いわんやすでに死の後をや。
死後の知るべからざる、なほ生るる前の如きのみ。」
◆横井小楠(1809~1869) 政治思想家 『沼山閑話』から引用
「人と生れては人々天に事ふる職分なり。
身形は我一生の仮託、身形は変々生々して此道は往古来今一致なり。
故に天に事ふるよりの外何ぞ利害禍福栄辱死生の欲に迷ふことあらん乎」
◆正岡子規 (1867~1902) 俳人 『病床六尺』から引用
「余は、今迄禅宗の悟りということを誤解していた。
悟りということは、如何なる場合にも平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は、如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。」
◆暁鳥敏 (1877~1954) 真宗大谷派の僧
生と死のうねりをなして常住の
いのちの水の流れゆくなり
無二寿をおもう心に死を超えて
生もおもはずたゞほがらかに
◆種田山頭火 (1882~1940) 俳人
何処でも死ねる体で春風
何時でも死ねる草が咲いたりみのったり
◆室生犀星 (1889~1962) 詩人・小説家 『生きたものを』から引用
人間の永い生涯には妻が先に死んでくれた方がいいと、ちょっとでも考えない人があっただろうか、その夫が若し先に亡くなったら、ああしよう、こうしようと死後の策を考えない婦人があっただろうか、折々職しっかりした眼附と身構えを持って見合せた眼こそは、たしかに今まで生きて来た善後策を講じかかる、のっぴきならない眼附だったのである。
どちらかが生きのこった時には、先ず後始末をしなければならないのである。
【現代の死生観】
◆堀秀彦 (1902~1987) 評論家 『死』から引用
老年も死も、よく分からないから不気味であり、よく分からないから、何かが在るようにも思われる。そしてそれだからこそ、生命は尊厳なのだ。
◆吉野秀雄(1902~1967) 歌人 『生のこと死のこと』から引用
死はほんとうにおそろしい。
わたしは年60余になったし、これまでになんども死にそこねたような病人だから、もはやいつ死んでもかまわぬといえる覚悟がありそうなものだが、それがなかなかそうはいかず、死はいまもっておそろしい。
◆高見順(1907~1965) 作家 『死の淵より』から引用
電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
◆松田道雄(1908~1998) 評論家 『老人と自殺』から引用
生きるということは、世の中のつまらなさとは無関係なのだ。
死にたくないから生きているというだけのことだ。
そのかわり生きていきたくなくなったら、いつだっておさらばするというのが、市民の自由というものだ。
◆花田清輝(1909~1974) 評論家 『犬死礼讃』から引用
しかし、そうはいうものの、やはりわたしは、人眼をかすめて、とろとろと燃えつきてしまうような死にかたよりも、猛烈ないきおいで燃えあがり、派手にあたりに火の粉をバラまいたあとパッと消えてしまうような死にかたのほうに心をひかれる。
◆村尾勉(1914~) 医学博士 『死を受け容れる考え方』(人間と歴史社)から引用
一生を頑健に生きたような人は、木が次第に枯れてゆくように、あるいは朽木がいっきに倒れるように、きわめてあっけなく安楽な死を遂げるものである。
◆瀬戸内晴美(1922~2021年) 小説家、仏子号「寂聴」 『死に様』から引用
いずれは逃げられない私の死に様は、果してどの様なものか、どんな変死にせよ、やはりあんまり人の目に不様でない死に様を願うのは、まだ私がしやれ気のある若さの証拠であるかもしれない。
◆野坂昭如(1920~ 2015) 小説家 『死について』から引用
人間は年中死を意識している、そして、意識しながら、上手に死ぬことはいっさい考えず、ただもう不老長寿をのみねがい、健康こそが人間の幸せと信じこんだふりをする、あまりに意識し過ぎる怯えが強すぎて、具体的に考えない。
◆横尾忠則(1926~) 画家 『生れ変り死に変る』から引用
肉体で現世にいるということは確かに苦痛である。
因果のサイクルから解脱しない限りわれわれはいつまでたってもこうしてこの世に生まれてこなければならない。
この世は神の国に入るための修行の場でもある。
しかし、この修行の場での修行を怠れば、永遠に神の国に入ることが許されず、ついにその魂までもこの宇宙から消滅しかねない。
これ以上の悲劇がどこにあろう。
肉体であろうと霊魂であろうと、自分がこの宇宙のどこかにいるということは素晴らしいことである。
【『梁塵秘抄』からの一編】
◆「儚き此の世を過ごすとて、海山稼ぐとせし程に、万の仏に疎まれて、後生我が身を如何にせん」
◆「仏も昔は人なりき。我等も終には仏なり、三身仏性具せる身と、知らざれけることあはれなれ」
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