どっちを選んでもいいならどちらを選ぶ?
世の中は、自分がどうなっていても何も変わらず進んでいくんだなと思うことはないでしょうか。
ともすれば、私なんかいてもいなくても同じ、と受け止めそうになっちゃうけれど、そう受け止めなくてもいい。
一人の人間の力は、確かに大きくはないけれどでも無意味と結論付けなくてもいい。
一人がいるからこそ、何かが始まるときだってあります。
要は、私たちが落ち込んでいようがいまいが、またはハッピーであろうがそうでなかろうが、別にどっちだっていいなら、じゃあ自分は何を選ぶの?というのがポイント。
落ち込んでも、落ち込まなくても状況も世の中も誰も変わらないなら、落ち込まないほうを選べばどうでしょう。
言い方を変えれば、何も変わらないなら、なぜ自分が苦しくなる落ち込むほうを選ぶのでしょう。
ハッピーであろうがなかろうが、誰もとくにケアしないというのなら、ハッピーでいるほうを選ぶのはどうでか?
ケアしてもらえるためなら、自分が不幸でいるのはOKなのでしょうか。
そんなはずはありません。
怒ってみても、何も状況が変わらないなら、怒りに自分を消耗させないよう、努力をするほうが、建設的にエネルギーを使えます。
怒りのエネルギーをかかえていると、自分が疲れるだけじゃなく、周りにもマイナスの影響を与えます。
怒ってはいけないというのではなくて、怒り続けない、という意味です。
怒りの感情は誰でも持つもの。
よく考えてみれば、誰かをひがんでみても、うらやましがっても、責めてみても、その人が不幸になるわけじゃないですよね。
万一その人を惨めにすることができたとしても、イコール自分がハッピーというわけでもない。
それどころか、かえって自分がみじめになったりします。
人の不幸を願う自分を見つけるときほど、いやな感じはないものです。
こうやって落ち着いて考えることは、ネガティブになりそうなとき、とても役に立ちます。
落ち込みそうなとき、誰かをひがみそうになるとき、どの感情を選ぶのか、結局自分がどうなりたいのか、よくよく自分に問いかけてみれば、どの人も答えは明白なはず。
ハッピーになりたくない人はいないし、落ち込みたい人もいないし、ひがみたい人もいないはず。
本当の気持ちは、ハッピーになりたいし、落ち込まずに、元気で自信を持って毎日を過ごしたい、ですよね。
なら、迷わずそのための選択をしてみてください。
何かのせいで、そうできないというのは思い込みです。
条件をつけて、ハッピーになれない言い訳を、正当化しようとしているだけ。
ただそれも、今までの習慣やパターンであって、ハッピーになれないのが本来の自分ではないことも理解しましょう。
だから新しいパターンや習慣を身に着ければいいだけのお話。
新しいパターンを実につけるのは難しいと思いますか?
そう思うのも選択肢のひとつだけれど、あえて、そう思わない選択をするのも、私たちの自由です。
意識を持って、続けていくことで新しい習慣、見方も考え方も、必ず自分のものになっていきますから根気を持って、とくに自分に対しては根気強く取り組んでいきましょう。
今日の香りはどうしよう?
石鹸や入浴剤を選んで、朝のバスタイムをエンジョイ♪する感じで(^^)
いつでも自分が元気になるほう、ハッピーになるほう、気持ちが楽になれるほうを選んでください。