嫌われたくないと思っていると
人から嫌われたくないのは、誰もが同じですね。
私が知る限り、嫌われたいと思っている人はまずいません。
愛されたいと思うのは人間のひとつのニーズですから、それはもう、みんな同じ。
ポイントは、それをフォーカスにするかどうか。
そのフォーカスを自分の選択や行動の基準にしてしまうかどうか、です。
「嫌われたくない」を中心にしていると、すべての選択は、これをしたら(言ったら)嫌われはしないか、が基準になります。
嫌われるかもしれないから言わない(やらない)。
嫌われないとしたら、言う(やる)。
言いたいから言う、やりたいからやる、のが本来は自然の経路なのですが、嫌われたくないが中心になると、その自然の経路が曲がっていきます。
結果として自分の気持ちは後回しになり、自分のやりたいことや自分らしさが犠牲になったりします。
本当はこうしたいのに、人のいうことばかりを聞いてしまって、結局振り回される自分に嫌気が差したりもするでしょう。
不思議なことに、嫌われたくない、がフォーカスになっていると、また余計嫌われたりするんですよね。
嫌われたくないからと思って、いろいろな人にいい顔をしようと、何でも引き受けたら、いっぱいいっぱいになって全部出来なくなってしまい、皆に迷惑をかけて結果的に嫌われた・・・・・・なんてケースもあります。
また、嫌われたくない、と思っているとそれが微妙に態度や言葉や雰囲気に出てきます。
この雰囲気みたいなものが、波長となって、引き寄せの法則を引き起こします。
つまり、嫌われたくない人を利用しようとする人が寄って来ます。
残念ながら、利用したい人はいっぱいいるのですね。
彼らは、その人の雰囲気から、この人なら嫌だといわないな、断らないな、と踏んで安易に物を頼んだり、利用したりしようとします。
嫌われたくない人は、基本的にあまりNOと言いませんから。
それを意識的に利用しようとしているのかどうかはわかりませんけれど。
物事を頼むとき、断られそうな人には人は寄って行かないものです。
私たち自身だって、例えば、道を聞こうとするとき、写真を撮ってもらいたいときなど、この人なら答えてくれそう、やってくれそう、という人を自然に選んでいるものでしょう。
でも、忙しそうな人、断りそうな人なら声をかけたりしないものですよね。
その人の持つ雰囲気というのは、意外に周りの人の対応を変えるものです。
みんな基本的には嫌われたくないですから。
雰囲気は、私たちは持っている内側の気持ちが作っていて、嫌われたくない人の雰囲気みたいなのは確実にあり、それを利用したい人たちは狙っているのです。
もしあなたが人から無理難題を押し付けられたり、物をよく頼まれたり場合、嫌われたくない気持ちが強くなっているときかも、と振り返ってみましょう。
嫌われたくないために、自分の態度がイエス・マンになっていないでしょうか。
嫌われてもいい、というのではありません。
ただ、嫌われたくないという気持ちのためにそこにつけこんでくる人が現れて、自分が犠牲になるのなら、一度考え直してみる時期です。
人から利用されている、と自覚することは気持ちのいいものではありません。
助け合いサポートしあうことと、利用しあうのとでは意味合いがまったく違います。
ときに嫌われたくない気持ちを手放すのも自分を守るためには大切になってきます。