【日常茶飯事】お部屋で育てる小さないのち
人は、育てたり、育てられたりするものでなく、お互いに、刺激しあって、育っていくものではないでしょうか?
相手への思い入れが、強ければ強いほど、育てるという行為を、拒否されたときの悲しみは、何倍にもなって返ってきます。
だけど、そこで、心を閉ざしてしまわないでください。
今までの出来事を省みた時、あなたの気持ちは、相手に十分伝わり、感謝をしてくれていたはずです。
今、手元を離れていくのは、あなたに指摘された事柄を、体験するため、そして、自分の人生として、歩んでいくためだって思えば、良いと思います。
どんなに危険で、厳しい道だと教えても、経験しなければ、心には、響かないんですよね。
本人が痛い思いをして、初めて、その指摘を思い出し、あなたとの日々を、感謝するのだろうって、気がします。
そう、あなたの行為は、間違っていないんです。
ただ、手放すとき、今以上の愛情を持って、見送って欲しいって思います。
人との出会いは、偶然ではないのだから。
ほんの少しの時間でも、同じ空間で時を過ごしたのなら、別れのときは、最大限の愛情を、注いでみてあげてください。
そうでないと、今まで接してきた事柄が、すべて、嫌な思い出に変わってしまうと思うんです。
「ひと一人ひと生に使ふ水の量(かさ) せきれいは小さく水を飲みそむ」
(池谷しげみ『蜩林』より)
別れは、悲しいのは、事実です。
だからといって、相手を嫌いにならないでほしい。
傷ついた自分を守るため、自分から心を閉ざしてしまわないでほしいと思います。
あなたの行為は、無駄にはならないのだから。
お互いを必要とする時期が、終わりにきているだけのことです。
これからは、お互いの時間を大切に過ごし、相手に感謝をしながら、愛情を注いでいってあげてください。
「りんごひとつ手にもつ時に空深く果実に降るは果実の時間」
(櫟原聰『光響』より)
綺麗ごとの様に、聞こえるかもしれませんが、そうしてみることで、何か感じるものがあると思うんですよね(^^)
この別れを、きちんと終えたなら、また、新しい出会いがあると思います。
縁を大事にしない人には、良縁は、来ないって思うんです。
次の出会いは、今の別れを、どうやってきちんと終えられるかに、かかっているのではないかって、気がします。
「寂しさの根源として縁側の日なたに出でて正座する人」
「四、五冊の本を読み次ぐ日々にして読む楽しみは書くに優るも」
「さびしさがさびしさを消す蟬声のいつの日ならむ吾に降るとき」
(大島史洋『ふくろう』より)
次も、また次も、今と同じように人と接し、別れを経験していくのだと思います。
出会うたびに、何かを得、人は成長していくのでしょう。
「放(はふ)り投げし風呂敷包ひろひ持ち抱(いだ)きてゐたりさびしくてならぬ」
(斎藤茂吉)
「『さびし』の伝統」斎藤茂吉(著)
花のすくすく育つ姿にも、元気をもらって♪一緒に、成長していきたいものです、ね(^^)
【参考記事】