【メモ(memo)】選択することへの意識
私たちは、常に、選択をしていますが、あなたは、そのことについて、どれほど意識していますか?
よーく考えると、ほぼ、毎秒のように、選択をしています。
朝起きることだって、立派な選択ですね。
私たちは、毎日、朝起きることを、無意識に選択しています。
それから、朝食を食べるか、食べないか、食べるなら、何を食べるか。
その後だって、例えば、仕事をするのかどうか。
それとも休むのか。
当然のように仕事へ出かけることも、実は、選択していますよね。
行動だけではありません。
気分についてもそうです。
今日、ハッピーな気分でいるのか、それとも、落ち込んだ気分でいるのか。
これも、私たちは選択しています。
たとえ、何かが起きて、そのせいで気分が悪いと思っていても、これも、実はよく考えると、何かに、自分を左右させてしまうことを許す、という選択をしているのです。
人は、自分のココロや気持ちは、周りの物事や起きる出来事で、コントロールできない不可抗力のように感じることが多いですが、本当は違います。
すべての感情は、自分で選んでいるのです。
確かに、いやなことも、悲しいことも起きるから、ココロも、気分も、感情も、揺さぶられることは、多いもの。
揺さぶられても、
「私はこのことで落ち込まないことにする」
と考えて選択する意識を持つと、がぜん変わってきます。
そんなこと言ったって、じゃあ傷つけられたり、いやなことを言われたら、どうしても、落ち込んでしまうのは仕方ない、という方もいるでしょう。
そう思うなら、否定できません。
自分でこれは仕方ない、と思うなら、それは確かに正しいのです。
仕方ないと思うことさえ、選択ですから。
でも、仕方ないと言っている間は、自分の選択できるパワーを、誰か(何か)に、あげてしまっていることになります。
自分で選択しない=他の誰かに選ばせていることになって、すると、何かうまくいかないとき、誰かのせいにできるので、カンタンなのかもしれませんね。
ここで大事なのが、常に、選択しているのは、自分だという意識を持つことです。
自分が選択している、という意識がなければ、いつまでも、すべてのことは誰かのせい。
誰かのせいにしている限り、自分の選択のパワーは、発揮されません。
そして、いつまでも、被害者意識は消えず、自分のココロを、誰かに支配させてしまうことになるのです。
落ち込んだり、ココロが晴れないときは、その気分を選択し続けている人は、いったい誰なのか、考えてみれば答えは明白。
誰かや、何かのせいにしていても、気分はよくならないし、何かが、解決するわけではないのは、私たちは、みんな知っています。
すべてを自分のせいにして、自分を責める、というのではなくて、
「そうだ、私が選択できるんだ!」
と思うだけでいいのです。
そうしたら、自分の力を取り戻せるし、気分もすっきりします。
あなたの毎日の選択、もう一度、意識してみてください。
すべてが変わってくるはずです。
【参考記事】
【今日の短歌】
「すべてを選択します別名で保存します膝で立ってKの頭を抱えました」
(飯田有子『林檎貫通式』より)
「三〇歳を抜けたる先の麦の穂のなんて壮大なボーナストラック」
(平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』より)
「一年に十分の時を先に行く居間の時計にわれの従ふ」
(吉田直久『縄文の歌人』より)
【参考図書】
「今夜ヴァンパイアになる前に―分析的実存哲学入門―」L・A・ポール(著)奥田太郎/薄井尚樹(訳)
「図書館に訊け!」(ちくま新書)井上真琴(著)
「おめでとう」小池昌代(著)
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