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余計なお世話と思ったら

親切のつもりで、誰かの心配をしたり、こうしたら、とちょっと言ってあげたりしたら、余計なお世話でかえって嫌われたりする経験って、あるものですね。

最近ちょうど、何人かの友人知人と話をしていて、偶然そんな話が重なりました。

身体が心配だから言ってあげたのに、どうやら余計なお世話だったみたいで、嫌われちゃった、とか。

こうすればもっと楽しくなるのに、なんで変わらないんだろう?理解できない、とか。

で、これをきっかけに相手との距離ができたり関係が崩れたりするときもあるかもしれません。

こんなとき思い出したいのは、私たち自身が誰かのことを自分の物差しでジャッジしていること。

誰かの身体や健康を心配することはできても身体を大事にするのは本人にしか出来ません。

同じように誰かの将来や仕事を心配したり良かれと思って何かを言ってあげても、結局選択してどうするかを決めるのは本人にしかできない。

こうしたら楽しいよ、と教えてあげることはできてもも、本当にそうするかどうか、そしてやってみて楽しいと思うかどうかは、本人が決めること。

どんなにこちらによい意図があり、相手に対しての好意だとしても、本人が決めることは、他人はどうにもできません。

こちらの言ったことを相手が素直に受け入れないなら、私たちの本当のチャレンジは、こちらを受け入れてもらうための努力ではなくて、相手をそのまま受け入れるための努力かも。

どんなに答えが明らかでも、本人がその答えを選ばないのなら、それは本人の選択。

なんで変わらないんだろう、とこちらが思っても本人が変わろうと思っていないなら、どうにもなりません。

人の生き方を一番よく表すのは、言葉ではなくて、その人の選択です。

我々の選択とは、つまるところ、我々の責任なのだから・・・・・・

ところが、努力のフォーカスはつい、こちらの言っていることをわからせよう、納得させようとしたり、こちらの言うとおりにするためだったりするから空回りしたり、嫌われたり。

もちろん相手が近い人であればあるほど放っておくわけにいかないときもありますが、相手の選択を受け入れようとしてみるのがベストかもしれません。

逆の立場だったら、どうでしょう。

周りがああだこうだと言ってくれるけれど自分の意思を通そうとするとき。

それを自分の意見とは違うけれど、そのまま受け入れてくれる人、そうでない人、あなたならどちらによりありがたく感謝できるでしょう。

人は、それぞれ違っていて、他の人の言うことを素直に聞き入れるのが楽に出来る人もいればなかなかそうできない人もいます。

もちろん、そうしたパーソナリティの違いもあるけれど他にも、人それぞれのタイミングがあることも覚えておきたいですね。

人によっては何かを学んだり、何かに気づくのに時間がかからない人もいれば、かかる人もいるのです。

どちらが賢いとかそういうお話ではなくて、その人のちょうどよいタイミングとペースでみんな自分なりにベストの努力をしているから、それでいいのです。

と、私たちが考えられれば、相手だけでなく自分も解放することができます。

私の余計なお世話かもと思ったら、一度自分自身も振り返ってみるチャンスだと思ってみてください。

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