人生とは、正しいことだけではなく、学ぶことです。
「人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない。」坂口安吾(作家)
周りの人や環境のことを言ったところで、誰もその人の将来を保障してくれません。
また、自分がリスクと責任を負って、自分自身のことを考えなければ、何も変わりません。
これからの未来は、自分の意志で、自分のなりたいようにつくり出していくべきです。
人生を変えたい人が一番先にすべき優先事項は、考え方を変えることだ考えています。
今までと同じように考えて、同じように行動していても、変化は起きません。
今までしてこなかった、できなかった考え方をすれば、少しずつでも変化は表れると思うので、自分の考えを変え、考え方を成長させていくことで、未来を切り開いていけるはず。
そこで、今日の記事のタイトル、人生は、正しくあるためだけでなくて、学んでいくためのもの、という意味。
あなたが人生で何か間違った、失敗した、と思うのはどんなときですか?
そんなとき、どうリカバリーしていますか?
どうしよう?!と思ってオロオロしたり、またそのまま落ち込み続けるわけにもいかないですから、自分のリカバリシステムを準備しておきたいですね。
そもそも間違ったとか失敗したとか、その考え方をちょっと変えて、いいレッスンだったと言ってみたら、間違いも失敗もないとも言えます。
人はつい何でも正解を追い求めてしまいますがときに正解を求めすぎて、大事なことを見過ごすこともあるかもしれません。
大体、正解っていったい何でしょう?
正解を求めるのはなぜ?
それとも、誰かに「その選択は正解だよ」と言ってもらいたいのでしょうか?
確かに誰かに「OK」と言ってもらえたら安心かもしれないけれど、誰か・・・・・・と思っているときは、どこかで自分に自信がなかったり迷っていたり、という状態なのですね。
人生に正解なんて、結局は自分でしか定義できません。
つまり、失敗も間違いも、見方次第で正解にできると思えばいいのです。
それならこの際、失敗したかも、間違ったかもと思ったらそれもあり、と見てみましょう。
これでひとつ学んで賢くなった、と思ってみれば気分もずいぶん楽になれます。
こんな風に思っておけば、不安も減り、ストレスも自然と減ります。
ソフィア・ローレンも「失敗は、充実した人生を得るために支払う手数料の一部。」て話していたので、経験したことから、何か気づきを得て学べば、それは必ず役に立つはずです。
失敗した経験から何かを学んで、それをこれからに活かしていく。
多少の回り道をしたとしても、経験が豊かな方が、人生は充実するのだから。
ただ、私たちを固まらせてしまうのは、大体が不安や恐怖。
レベルの差こそあれ、どの人もそれぞれ何かしらの不安や恐怖を抱えています。
失敗するかも、とか、間違っているかも、という不安は中でも大きく、多くの方が同じように感じています。
不安や恐怖を持つこと自体は別にとくに変ではないしむしろ自然くらいなのでとくに問題視する必要はありません。
ポイントは、自分で不安をコントロールするのか、それとも不安に自分をコントロールさせてしまうのか、です。
不安にコントロールされないためのひとつの考え方がまさに、Life is about learning, not just about being right.ですね。
正解とか不正解がポイントなのではなく、すべては学んで成長していくためのプロセスと思えば失敗する恐怖もどこ吹く風です。
迷うとき、不安に感じるときは、とにかくエイ!と動いてみるために、失敗も不正解もない、学んで成長していこう、と考えてみてください。
逆に自分の経験から学ぶことが少なければ、考え方と行動の範囲も広がらないし、いま何も行動せず挑戦しなければ、それは将来に影響を及ぼすことになるから、経験から学ぶことが多ければ、それをその後の人生に活かすことができます。
そうして何かしているうちに不安も恐怖も自然と薄れていき、失敗のある人生は長く、失敗のない人生は短いと感じられはずです。
その長い歳月の中で、どれだけの面白い事を見つけ出せるかは全てあなたにかかっているんだよね。
「好き嫌い」で割り切らず、抱えられるものは抱えていく。
そうして「雨垂れ石を穿つ」ごとくジックリと活動し、時間をかけて色々なものの楽しさを発掘してみてくださいね。