【日常茶飯事】空にかかる美しい七色の橋
雨の日は、晴れる日のためにあります。
だけど、雨の日が苦手って人も多いですよね。
雨が降ると、家にこもって、じっとしていたい気分になります。
「すでにして海の匂いをなつかしむ仕事へ向かう雨の朝(あした)は」
(和嶋勝利『雛罌粟(コクリコ)の気圏』より)
逆に、太陽がまぶしく晴れた日は、家にいるのがもったいなくて、目的もなく外をぶらぶらします。
「北岸に暮らしていても晴れた日は眉山が見えて窓に呼ばれる」
(永田愛「七曜」196号より)
同じように。
心に雨が降ったときも、自分の中にとじこもって、じっとしていたい気分になり。
でも、心が晴れているときは、誰かと話をしたくなり、周りに優しくなれる自分がいます。
だったら、雨の日なんかなくて、ずっと晴れた日だったらいいのに。
そう思っていた私に、気づかせてくれた言葉があります。
それが、冒頭の言葉。
晴れた日のほうが、素敵には違いないけれど、雨の日があるから、晴れた日を嬉しく思えて、晴れの日を知っているから、雨の日を過ごすことの意味を理解できる。
雨は、晴れる日のために降っているのだって考え方は、ステキですね(^^)
毎日の出来事は、それが、当たり前のことになった瞬間から、その良さや、ありがたさが、見えなくなってしまいがちだけれど。
その存在の意味を、プラスの方向で考えてみると、見つけられる”いいこと”があると思います。
そう考えて、こうできるといいなと思える思考法が、”イヤなものプラス思考”です。
自分では、気持ちをどうにも改善しづらいいやな事、嫌いなものを、ただ、いやだ、嫌いだと思うよりは、それがあるから、好きなものをより好きになれる、と思ってみる。
「認知行動療法実践ガイド 基礎から応用まで 第2版 -ジュディス・ベックの認知行動療法テキスト」ジュディス・S・ベック(著)伊藤絵美/神村栄一/藤澤大介(訳)
少しでも、自分にプラスになる嫌い方を、したほうがいいじゃないか、という発想です。
雨が大地を潤すように、私たちの心に降る雨も、心の大地を潤してくれますように。
虹の向こうには何があるのかな?(^^)
「はじめてのように見る虹 消えてゆく記憶のほうがいつでも多い」
(山本夏子『現代短歌』1月号 通巻65号より)
「洗われた夜明けの海に立つ虹よ あと2メートル可愛くなりたい」
(鯨井可菜子『タンジブル』より)
「水の夢イチローの夢ひとしきか老いを知らねば夜半の虹たつ」
(水原紫苑『えぴすとれー』より)