見出し画像

【備忘録】僕らは言葉でできている Vol.4

僕らは毎日、笑う。

泣く。

考える。

喧嘩する。

謝る。

愛を囁く。

人生が、ラブストーリーでありますように。

僕らは言葉でできている。

http://bokukoto.com/ 」より引用

一秒一秒が
大切な一度の人生だから
時につまづいたっていい
思い切り泣いたっていい
ゆっくり 顔をあげて
(西内まりや)

人は何かひとつのことに気狂いにならなければ、とうてい人並み以上にはなれない。
(御木本幸吉)

失敗する人生のパターン
負け組板を見てると失敗する人生のパターンがものすごい勢いで具体的に特定されていっているのが解る。
一言で言うと「人に迷惑をかけることを過剰に恐れるあまり手も足も出なくなった生き方」だ。
(ネットの言葉)

私はただ2つのルールを守ってきただけだ。
 「できることはすべてやれ」
 「やるなら最善を尽くせ」
これが何かを達成するための唯一の方法なのではないだろうか。
(カーネル・サンダース)

身体を大切にし健康を保つは、人間生々(せいせい)の道に欠くべからざるの要務なり。
常に心身を快活にして、苟(かりそ)めにも健康を害するの不養生を戒むべし。
(慶応義塾 修身要領)

誰と付き合うかで自分の将来は決まるという、当たり前の話。
自分は将来どうなるのか。
その答えは周りの友人を見渡せば、案外簡単にわかるかもしれない。

パフォーマンスは努力や意志力ではなく「環境」が決める。

自助努力も結構だが、たいていの場合、スキルや意思力といった個人的なパワーは、強大パワーである環境の前には無力である。
言ってしまえば「環境」は戦略レベル。
「努力・意志力・スキル」は、戦術レベルの話である。
戦略の失敗を戦術では取り返せない。
「朱に交われば赤くなる」という諺があるが、数々の研究はそれが事実であることを示唆している。
逆に言えば、環境に働きかかけることに成功できれば、個人の力を超えたアウトプットを出すことが可能だ。

「環境が変わると、人は性格もスキルも能力も変わる。」
「知っていること」と「したいこと」と「できること」との各々の落差というのは、至らない駄目な部分を教えてくれる重要な概念!
個人のパフォーマンスを高めるうえでも、「環境」をコントロールするという考え方を持っていることはとても有利。
未来とは選択であり、それは意志によって実現する。
「行動」してみなければ「理解」することはできない。
まず、大前提として、個人のパフォーマンスを高めるのは、何よりも「集中」だということは、昔から知られている。
参考図書:「プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか」P F ドラッカー(著)上田惇生(翻訳)

プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか

「成果をあげるための秘訣を一つだけあげるならば、それは集中である。
成果をあげる人は、もっとも重要なことから始め、しかも、一度に一つのことしかしない。
集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。
(中略)
自らの強みを生かそうとすれば、その強みを重要な機会に集中する必要を認識する。
事実、それ以外に成果をあげる方法はない。
二つはおろか、一つでさえ、よい仕事をすることはむずかしいという現実が、集中を要求する。
人には驚くほど多様な能力がある。
人はよろず屋である。
だが、その多様性を生産的に使うためには、それらの多様な能力を一つの仕事に集中することが不可欠である。
あらゆる能力を一つの成果に向けるには集中するしかない。」
一体なぜ、このようなことが起きるのかといえば、「割り込みが入らないから」に尽きる。
重要なことに対して「阻害要因」をすべて、環境から取り除いた状態で仕事ができれば、成果が出るのは当然。
そう言う意味で、個人レベルですぐに効果がありそうなのは、環境をコントロールして、仕事を「シングルタスク化する」ことだ。
気の散るものを遠ざけ、割り込みを拒否し、一度に一つのことをとことん集中して行うのが、仕事における環境づくりの基本である。
実際、前述したドラッカーは「時間をまとめて使うこと」を強く推奨している。

シングルタスク環境を作る。
だから、高いパフォーマンスのためには、割り込みを排除し、まとまった時間を作り出すために、「考えない」「自動」「かんたん」「消耗しない」で、仕事に没頭できる仕組みをいれるとよい。

組織は何のためにあるのか
そもそも、なぜ人は組織で働くのか。
全ての人間は「強み」と「欠点」を併せ持つ。
「組織が、強みだけで仕事できるようにさせてくれるから」だ。
人は組織のおかげで、強みだけを生かし弱みを意味のないものにできる。
結局、企業は強みも欠点もない優等生だけ集めても、大した仕事ができないからだ。
「一つのことは圧倒的にできる。ほかは、からきし」という人をうまく組み合わせたほうが、圧倒的に優れた仕事ができる。
欠点を気にしないことで、戦力化する環境作りが重要となる。
「強みで仕事をする。得意なことをやってもらう。」というのは、そう言うこと。

2種類ある、学びのプロセス
1つ目は、成功のために正解を求めて失敗は避ける。
その繰り返しで成功を「再生産」する成功学習プロセスです。
テストみたいに決まったコトの正答率をアゲるには効果が高いので、学校の教育ではこちらが多いと思います。
自称デキる人もこちらのタイプが多いようです。
ただし学びの効果は薄いです。
成功の再生産は自信がつくかもしれませんが、気づきや学びが無いので新しい変化を起こすことができません。
ちょっと退屈な学びのプロセスと言えます。
2つ目は、失敗が折り込まれた、試行錯誤のループを回す学び方です。
1. まず前提や常識、成功体験を疑う
2. そして「こうなんじゃないかな?」という仮説を立てる
3. 仮説を実際に検証してみる
4. 出てきた結果(失敗が多い)から気づきを得る
そして1に戻る……というループ型プロセスです。
結果が成功しても、しばらくしたらその成功体験を疑って新しいやり方を考えます。
前提を疑って試行錯誤する、わくわく感が持続するプロセスと言えます。
失敗は勇気の必要な挑戦ではなく、試行錯誤で学ぶ1ステップである。
そんな肩の力の抜けた学びのプロセスができるかどうかが、結果的に新しいことへのチャレンジと成長につながるのかもしれません。

学問の基本は武道や演奏と同じ
なぜか。
かつての教育は暗記全盛だった。
追いつき追い越せの後発近代化国だったからだ。
帝国大学出身の父も論語やルター訳聖書を諳んじていた。
私もそうした教育を受けた。
麻布中学に入るや「数学は暗記物、お前らが考えるなんて10年早い」と教員に怒鳴られた。
暗記で引き出しを増やさなければ思考しても意味がないという考え方を叩き込まれた。
学問の基本は武道や演奏と同じだ。
基本動作を反復訓練して「自動機械」のように動けるようにする。
そこに意識を使わなくなる分、意識に新しい役割が与えられる。
「自動機械」化した自分から幽体離脱し、自分に寄り添って観察する。
これを「意識の抽象度の上昇」という。
昨今の若者は「何の意味があるのか」と合理性を問い、合理性がないことをしない。
確かに企業内には不合理にみえることが多数ある。
だが企業人の初心者が逐一合理性の有無を問うても無駄。
合理性を問う前に、先行世代のマナーやルールを自動機械のように振る舞えるくらい身につけたほうがいい。
思考する価値のある問題に注力するのはそれからだ。
自分はできもしないのにマナーやルールの合理性を問う者は、思考レベルが低い。
抽象度を上げた意識から見れば、「合理的なものが非合理で、非合理なものが合理的だ」という逆説はザラだ。若者が合理性を問うてきたら、そうした世の摂理を開陳すればいい。
先行世代自身も自分を見直す機会になる。合理性は高い抽象度で判断するべきものだ。
宮台真司さんに学ぶ「30代の心がけ」3カ条
1. 「仲間はずれ」を恐れてはいけない
主体的な行動をとって、「他人の目線」から自由になれ。
2. 他者に対して想像力を働かせろ
「指示待ち人間」を脱して、みずから問題提起をしろ。
3. 必要なことはまるごと「暗記」しろ
暗記しておくことで、はじめて思考する余裕ができる。

親は、子供の性格の形成に重要かつ長期的な影響は”及ぼさない”、という事実がある。
今日では人間の特徴の多くが行動遺伝学の観点から研究されるようになった。
その結果は明白で一貫性がある。
総じて、被験者間の違いのほぼ五〇パーセントは遺伝によるもので、残り五〇パーセントが環境の作用である。
参考図書:「子育ての大誤解 重要なのは親じゃない〔新版〕 上下 (ハヤカワ文庫NF)」ジュディス リッチ ハリス(著)石田理恵(翻訳)
この研究が示すのは、むしろ、「育ち(親・家庭の影響)」より、「環境(置かれた社会的な場所)」の影響力の強さ。
したがって、本質的に重要なのは親の関与、つまり「育ち」ではなく、「遺伝」と「環境」。
つまり、遺伝はコントロール不可能だが、自分の性格や意識を変えようと思えば、付き合う人を変える。
住む場所を変える。
環境を変えることが何よりの近道。

相対性理論をはじめとした「古典的理論」は、不確定性原理を考慮に入れていないので、「運命は決められている」とするのに対し、量子力学の世界では「運命は決まっていない。あらゆる可能性があり、確率で決まる」という。
物理学も、この世は「どうしようもない、運命だ」ではなく、「あらゆることが可能性に満ちており、何にも望みはある」と言ってくれているのだ。
なんともいい話ではないか。

運(「考える言葉」から引用)
「事業が成功するか否かは、"運の強さ"に左右される!」という考えがあるが、我々はどう反応したらいいのだろうか?
人生はすべて「塞翁が馬」という諺があるように、人生って自分の意志で思うようにならないことがあることは事実である。
この世に生まれたことだって自分の意志ではないし、その境遇を選べた訳でもない・・・。
じぁ、"運"に任せて、「ケセラセラ~!」と気楽に、"運任せ"で生きるかというと、どうも合点がいかない自分がいる。
それどころか、自らの手で"運命"を打開しようと、もがき、苦しんでいる自分がいる。
そこで改めて考えてみた。
そもそも、"運"って何なのだろうか・・・?
"運"とは、その人の意思や努力では"どうしようもない巡り合わせ"を指す。
そして、結果に対しての原因がうまく説明できないときに、私たちはよく「運が良かった!」とか「運が悪かった!」とか表現することがある。
世の中には、『「原因」と「結果」の法則』(ジェームス・アレン)なるものが存在しているという。
「私たちの心の中の"思い(原因)"が、私たち自身の"環境や運命(結果)"を創り出している」と・・・。
小生は、「未来会計~自らの手で未来を創ろう!」という経営のあり方を経営者の方々に推奨し続けている。
それは、経営の意思を明確にして、その実行のための仕組みづくり(「仮説~実践~検証」というサイクル)の重要性を説いている。
この根底には、一つに「経営は、未来からの逆算である」という考え方がある。
更にいうと、「原因と結果の法則」を経営に上手く活かそうという考えである。
孫子の兵法の中に、「勝敗の行方は戦う前に決まっている。勝つための準備を整えた者が勝ち、そうでない者が敗れているのである」という有名な言葉がある。
経営計画とは、まさに得るべき結果を出すためのシナリオづくりである。
「あるべき姿(結果)」を描き、「現状」との差を捉える。
その差を埋めるために何をすべきなのかを真剣に考える・・・。
そのなすべきことが目標である。
未来会計の真髄は、「結果を得るための原因をつくること」、つまり「準備を万端に整える」ところにある。
それは、「自らの手で"運"を引き寄せる経営」といっても過言ではないだろう。
"考える言葉"シリーズでも何度となく引用している言葉、「人生の価値ある目的を持った時から、価値ある出逢いが始まる」(ヘーゲル)。
"運"とは、その人の心の持ち方に大きく左右されるのではないだろうか・・・。

残念ながら現代はおとぎ話のような魔法は作用しない。
運は占うものではなく、結果から良し悪しを判断するぐらいが丁度いい。
運をプロスペクティブにみているかレトロスペクティブにみているかである。

運なんてものは所詮、物事の結果からしか判断できないものなのだ。
そしてよい結果というものは、古今東西どこに限らずあらかじめ勤勉に努力し、用意周到にチャンスがくる事を今か今かと待ちわびている挑戦する人にだけ訪れる。
例えスティーブジョブスであろうが家で寝ているだけでは成功できない。
当然の事だ。

約束された未来への見通しを曇らせる情報から身を遠ざける事にしている。
そしてただ忠実に、冷静に着実に結果のみを見据えて努力するようになった。

結果は、幸運だけでは絶対に訪れない。
ただひたすら忠実に現実的な活動を続けていき、チャレンジし続けなければ絶対に手にする事はできないのだ。
こう考えればわかるけど、幸運なんてものがいくらついてまわってこようが結果がでないようならばあなたの元には何もおとずれないのである。

結局、運なんて言うものは結果が出る前から色々考えても虚しいものでしかないのだ。
おのおのが粛々と自分にできる事をし続けて、訪れた結果から自分の好き勝手に運勢を判断すればよいのである。
そして死ぬ前にこう思えばいいのだ。
「ああなんて俺の人生は運に恵まれたものだったんだろう」とね。

人運こそ、人為によって呼び寄せる度合いが変わってくる
なにより、人と人とが巡り会う「運」、どんな人と人間関係を深めていくのかを巡る「運」こそ、人の意志や選択に最も左右される領域だと思う。
人と人の巡り会いにも、もちろん人為を超えた「運」がついてまわる。
たとえば、学校や就職先を選ぶことはできても、そこにどんな人物が待っているのかまでは予測がつかないし、どうにもならない。
だが、初対面のクラスメートの誰と仲良くなるのか・同期の誰とうまくやっていくのかは、振るまいや心がけや態度によってかなり変わってくる。

人と人の繋がりは「類は友を呼ぶ」傾向があるので、良縁を掴みたいなら、それにふさわしい振る舞いを身に付けたほうが良いだろう。
振る舞いが全てだというわけではないが、そのあたりをしっかり身に付けている人と、まったく無頓着な人では、長い目でみれば人運に大きな差が生じるのは避けられない。
だから、人運に恵まれないと感じている人は、人為をこえた「運」を呪う前に、常日頃の自分の振る舞いが望むような“人運”を招き寄せるのに適しているのか否かを点検すべきだ。
日頃の振る舞いの積み重ねによって、気づかぬうちに良縁を遠ざけている人は意外とたくさんいる。
こういう世間知は、わかっている人にはわかりきっている反面、分別盛りと言われるような年齢になっても案外わかっていない人も多い。

あなたを成長させてくれる人、10タイプ。
誰と一緒にいるかで、人生が決まる。
友人は多いほうがいい。誰もがそう思い、できるだけいろいろな人と交友関係を続けようとする。
だが、時間は誰にも有限で、貴重なものだ。また、誰とどのように過ごすかによって、その人の環境や状況は大きく変わる。
普段どんな人と一緒にいるかによって、人生が決まると言っても過言ではない。
あなたが大事にすべき人とは、どんな人か――。
どんな人と関係を強化すべきか
最優先に会うべき人に有限な時間を使うためには、今の交友関係を棚卸しする必要が出てくる。
間を置くべき人と、時間をもっと共有したい人が誰かを考えて行動してみよう。
「友人を切る」などという言葉や思いでなく、間を置く人と会っていた時間を、関係を強化したい人のために費やすと考えればいい。
間を置いてみたら、やはり必要な人だったということがわかる場合もあるだろう。
それならまた関係を強化すればいい。
では、どんな人と関係を強化していくべきか、逆に、どうすれば、あなたが求められる存在であり続けられるか。
そのヒントをまとめた。
1、仕事に没頭している人
しかたなく仕事をしている人間は、しかたのない人生を過ごしていることが多い。
「仕事を選ぶことは、人生を選ぶことだ」と言われるように、どんな仕事でも熱心に取り組み、自分の仕事に誇りと自信を持っている人は、大切にする価値のある人だ。
自分の仕事に誇りを持って取り組んでいる者同士なら、互いによい刺激になり、啓発し合える関係でいられる。
もし、あなた自身が「仕事が面白くない」と感じているとしたら、「仕事が悪いのではなく、自分の仕事への取り組み方に工夫がないことに起因しているのではないか」と考えて、この機会に自省してみよう。
2、過去の話でなく、明日の話ができる人
同窓会などで、過去の思い出に浸ることはあるだろう。だが、社会人になって時間が経過しても、学生時代の話や若いころの話しかできない人は、現在の暮らしに満足していないことが多い。
過去を懐かしむばかりで、明日の話ができない人は、進歩や進化をしていない可能性がある。
昨日は今日のために、今日は明日のためにある。弱気になったとき、自分も過去を懐かしんでいないか、ときどきセルフチェックしよう。
3、他人の幸せを喜べる人
「他人の不幸は蜜の味」と感じる、さもしい人間がいる中で、相手の幸せや成功を自分のことのように喜べる人は貴重だ。
そうできる人は、自身も幸せに暮らしている。
もし自分の周りに1人でも該当する人が存在したら、その人は誰よりも大事にしよう。
いつも味方になってくれるあなたの親と並ぶ、価値ある人だ。
4、人の痛みを肌で理解できる人
人間は、実際に自分自身が経験したことでないと深い理解ができない面がある。
人が受けた苦しみや心の痛みを肌で理解し、共有し、その解決に向けて動いてくれる人が傍にいるとしたら、あなたはとても恵まれている。
人の価値は、自分が苦境にいるときほどわかる。
5、向学心が旺盛な人
仕事が定型業務の人にありがちだが、仕事とはパターン化するものだと錯覚し、自身の能力向上に取り組まない人がいる。
いずれこうした仕事はAIやロボットに代替されてしまうことに気付いていない。
代替できない新たな業務や非定型業務にいつでも就けるように、絶えず自分のスキルを高度化しようと取り組んでいる人と関係を強化しよう。
そういった人に会うと、優越感に浸ったり自慢していたりする自分がいたら要注意だ。
また、上から目線でしか人と付き合えない自分がいたら、実力のある友人や知人に恵まれていない証左になる。
愚痴を言わない、不満を言わない人は貴重。
6、いつも刺激をくれる人
会うことで自身を振り返る機会になり、会うたびに刺激を受けてモチベーションが向上するような人とは、関係を強化しよう。
ときに相手の活躍が眩しくて、嫉妬心が起きそうになる場合もあるかもしれないが、それは自分を鼓舞する材料だと考える。
また、友人と再会し、そこでどんな会話をしたかを振り返えれば、互いに求めている話題が見えてくる。
食事をしていても、旅行に行っても、互いの会話は話題に富み、時間つぶしをし合う関係でないなら、互いに成長する機会に繋がる。
7、価値観が一致している人
人生の生き方やライフスタイルはさまざまだが、価値観を共有できる友人の存在は何より貴重だ。
自信をなくし、あるいは不安が襲う事態になっても、価値観が同じ人からの助言は素直に受け入れられるものだ。
8、愚痴や不満が会話に出ない人
誰でも仕事や家族のことで、悩みや問題を抱えているものだ。
だが、抱えている問題や課題を前向きに解決しようと試みている人なら、その話題になっても、愚痴や不満にはならない。
何ら解決策につながらない愚痴や不満に付き合わせたら、相手の貴重な時間を奪う最悪な人間になってしまう。
9、互いの長所を認め、尊敬し合える人。
年齢や性差に関係なく、相手の長所を認め、その人を互いに尊敬していることで人間関係は深みを増す。
年下であっても、専門性が高く、多くの知見を持つ友人がいる人なら、多様な交友関係を形成しているはずだ。
10、再会したとき、自然と笑顔になれる人
久し振りに再会しても、日ごろから頻繁に行き来していたとしても、互いに自然と笑顔で出迎えられる関係なら、何より大切にすべきだ。
その人が、自分の笑顔を生み出してくれるだけで、幸せを実感でき、心休まる。
笑顔と共に交わす献立と盃が、さらに至福の時間を運んで来てくれる。
こんな相手となら、腹の底から笑うこともできる。

チャンスに恵まれる人、恵まれない人
人は自ら成長することを諦めると、現状維持に徹し、そこで満足してしまう。
その一方、絶えず現状を見直し、新しい環境を手に入れたいと考えて取り組む人がいる。
普段から自分を磨いている人には、必ずチャンスが訪れる。
そのチャンスを与えてくれるのは、とても限られた、価値ある人たちだ。

日々自己研鑽に務める若者なら、心ある大人は飛躍する機会をつくってくれる。
長年努力を重ねてきた人のことを、心ある大人たちはその姿を見ており、飛躍する機会を与えてくれる。
歳を重ねても、新たな友人や価値ある人との出会いはある。
SNSを駆使すれば、どんな人とも接点が持てる。

1. インプットとアウトプットは「3:7」を意識せよ
2. 勉強時間と休憩時間は「25分:5分」がちょうどいい
3. 復習のタイミングは「1:5」がポイント

【引用先サイト】

文章を書くということは、とても孤独な作業です。
日々、パソコンに向かって、自分自身の中にある言葉を一つずつ汲み取って、文章にしていく。
大切なことは、自分の中にある言葉ということ。
誰かの受け売りではなくて、自分自身の言葉であるということがすごく大切で、その意味は、自分にしかわからないものなんです。
もちろん自分の中に入っている言葉というのは、たくさんの人や本から入ってくるものだけれども、それらはそのまま入ってくるものではなくて、自分というフィルターを通して入っていくんです。
自分というフィルターを通して、入ってくる言葉を丁寧に丁寧に変換していって、自分なりの意味付けとか、自分なりの理解をして、自分の中に言葉を仕舞っていく。
それをまた丁寧にひとつひとつすくい上げていく作業というのは、極めて孤独な作業なんですね。
でも、こうして日々文章を綴っていると、どうにも自分がひとりぼっちだという感覚はない。
例えば僕が文章を書くときはパソコンの前に座って、神様からの電話がかかってくるのを待っています。
よし、書こう!と手が動くまでに時間がかかる時もありますが、いつ、どの瞬間に書きたいことが溢れてくるかは、そのタイミング次第なわけで。
そして、電話がなって、書きたいことが内側から湧き上がって来た時というのは、同時に、今まで出会った人たちの顔であったり、言葉が目の前に浮かんできます。
僕は目の前に浮かんできた人と対話をしながら、自分の中にある言葉を、ひとつひとつ文章にしていく。
僕にとって”書く”という時間は、誰かとの対話の時間であり、そして自己との対話の時間なんです。
だからこそ、”書く”という極めて孤独な作業の先には、壮大な世界が広がっているんです。
そしてその世界というのは、自分の中にあるもの。
書くということは、自分の中にあるものを、掘り起こしていくことなんですね。
この書くという時間があるからこそ、僕は自分らしくあることができる。
書きたいことを先に考えることもあるし、書きながら考えていくときもあるけれど、多くの場合僕は書きながら考えることをしているので、最初書きたいと思ったことが、書いている間にどんどん別の方向に流れていってしまうこともよくあります。
でも、やっぱり書いていることというのは自分の中にあるもので、自分が伝えたいと思っていることだから、それはそれでいいんですね。
僕は将来、本を書くということを通して、社会に何かを残すと同時に、問いかけるということをしていく。
書くという行為はすごく地味なものだけれど、その先には壮大な世界が広がっていて、たくさんの人たちと繋がっているという感覚があるからこそ、麻薬のようにたまらない感覚が体を巡っているんです。
いま、こうして出会っている人たちの人生を僕は、言葉にして誰にでも見れる形にして、残していきたい。
出会いに感謝。

【関連記事】

【備忘録】僕らは言葉でできている Vol.1

https://note.com/bax36410/n/n494e47650936

【備忘録】僕らは言葉でできている Vol.2

https://note.com/bax36410/n/n65c8948dddb7

【備忘録】僕らは言葉でできている Vol.3

https://note.com/bax36410/n/nf09bcc893e7a

【備忘録】僕らは言葉でできている Vol.5

https://note.com/bax36410/n/n077f32458cae

いいなと思ったら応援しよう!