【読書メモ】「心脳マーケティング―顧客の無意識を解き明かす」ジェラルド・ザルトマン(著)藤川佳則/阿久津聡(訳)
私たちは、自分では言語化できない感情があることを知っておく必要があります。
「心脳マーケティング」の著者であるハーバード大学のジェラルド・ザルトマン教授は、「人間は自己の意識の中で、自分で認識できることは5%にすぎず、残りの95%は自分では認識できていない。」と言っていました。
例えば、コミュニケーションの非言語化には、大きく分けて2つの種類があります。
ひとつは、これまで言語で表現していたものを、テキストではない表現に置き換えるもの。
もうひとつは、自分では、言語化できない感情を、何らかの手段でアウトプットするものです。
認識できる5%の意識は、自分自身で言語化することが可能です。
しかし、認識できない95%は、意識をもっているにも関わらず、言語化されず非言語のままです。
これが、自分では言語化できない感情です。
さて、ここで、少し、この認識に関する哲学的なアプローチの歴史を振り返ってみると、イギリス経験論と大陸合理論は、数学的な確実性を足がかりに真理に到達しようと試みました。
この意味において、表裏一体といえるものでした。
そこから、この経験論と合理論の統合を試みたのが、18世紀プロイセン(ドイツ)の哲学者カントでした。
カントは、認識論におけるコペルニクス的転回をもたらした近代哲学の祖とされており、認識論とは、人が外の世界をいかに認識するかを問うものです。
それまで、認識は、外部にある対象を、そのまま受け入れることによって成り立っているとされていました。
すなわち、認識は対象に依拠すると考えられていましたが、カントは、この考え方を逆転させて、純粋理性批判の中で、以下の様に論じています。
①人の知性には限界があり、認識は永遠に実像であるその物自体を捉えることができない。
②そのため、人が見ているのは対象そのものではなく、認識の枠組みが捉えた現象である。
つまり、人は、物自体を認識することはできず、認識が現象を構成するのだとして、認識のあり方を180度反転させました(認識論的転回)。
この発想を根本的に変えることによって、ものごとの新しい局面を切り開くことの例えであるコペルニクス的転回と言えば、私は、受動意識仮説に衝撃を受けたことを思い出します。
受動意識仮説というのは、ひとことで言うと、私たち人間一人一人が、私がという風に主語で表す意識の主体は、私たちが通常そう感じているような能動的な主体ではなく、受動的な何かでしかないのではないかという仮説です。
言い換えると、私は、私の司令塔ではなく、私で起こっていることの単なる観察者ではないのかという仮説です。
ここで、「私」とかっこでくくられた「私」は、「私の心」だと思って下さい。
一方、かっこがつかないままの私は、「私の体」と「私」(=「私の心」)を合わせた全体だと思って下さい。
この関係性を数式で表現してみると、私=「私」(=「私の心」)+「私の体」というわけです。
この関係は、「脳はなぜ「心」を作ったのか」で展開されていた考え方であり、
【参考図書①】
「脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説」(ちくま文庫)前野隆司(著)
「あなたの知らない脳―意識は傍観者である」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)デイヴィッド・イーグルマン(著)大田直子(訳)
本書で一番興味深かったのは、エピソード記憶についてです。
この本の中で、エピソード記憶をどう理解するかは大きなポイントです。
そして、ここからハラリが「サピエンス全史」で語っていたネアンデルタール人(意味記憶しかできない)とホモサピエンス(エピソード記憶があった)と理解すると辻褄が合うような気がしましたので、参考までに、エピソード記憶についての箇所をいくつか引用しておきます。
「「意識」(「私」)は、なぜ、何のためにあるのだろうか? 合理的な者が生き残る進化の淘汰圧のもとで、意識は何のために獲得されたのであろうか。」(p 113、第3章 人の心のたねあかしー意識の三つの謎を解く)
「「私」について考えるときの鍵は「エピソード記憶」だ。私たちは体験を日記のように記憶する「エピソード記憶」は、何のためにあるのだろうか。」(p 114、同上)
もし、エピソード記憶がないとするならば、意味記憶だけになり、その瞬間のことはわかるけれど、それが終われば、途端に忘れてしまうことになり、認知症のような状態になるといいます。
「つまり、私たち人間の「エピソード記憶」は、高度な認知活動をするために、「意味記憶」よりもあとで進化的に獲得されたものだと推測できる。」(p 115、同上)
ここで、エピソード記憶するために必要なものは、意識であると教えてくれています。
「「エピソード記憶」を持たない認知症状態の動物がいたとしよう。この動物は、やったことを片っ端から忘れていくようなものだ。だとすると、やったことを「意識」した直後を忘れるのではなく、そもそも「意識」しなくても問題ない。「意識」したことをどうせ忘れてしまうのだから。」(p115、同上)
「つまり、エピソードを記憶するために、その前に、エピソードを個人的に体験しなければならない。そして、「無意識」の小びとたちの多様な処理を一つにまとめて個人的な体験に変換するために必要十分なものが、「意識」なのだ。「意識」は、エピソード記憶をするためのにこそ存在しているのだ。「私」は、エピソードを記憶することの必然性から、進化的に生じたのだ。」(p 116、同上)
また、エピソード記憶があるからこそ、時間という概念も生まれてくるのだとも教えてくれています。
閑話休題。
さて、話を戻すと、ザルトマン教授は、本書にて、マーケターが自分たちの思考プロセスと消費者の思考プロセスの相互作用を理解すべきなのに、実行されていないと指摘しています。
「それは「信奉している理論」(信奉理論)と「実際に使用している理論」(使用理論)の違いであるという。(略)そして多くの場合、マネジャーが真に信じているのは使用理論のほうである。(略)市場調査の80%以上は、新たな可能性を試すことや、発展させるためのものではなく、主としてすでにある結論を強化するために使われている。(略)結果的に「使用理論」として組織に温存されるパラダイム(世界がどのように動くかに関する世界観、ひいてはマーケティング活動を規定する世界観)によって、マーケターは消費者を効果的に理解し、彼らに奉仕することができなくなってしまっている。」(25-26ページ)
【参考記事】
ニューロマーケティングとは?|脳科学を使った新しいマーケティング術の活用方法・事例紹介
https://product-senses.mazrica.com/senseslab/business-efficiency/neuro-marketing
ニューロマーケティングとは?脳科学を使ったマーケティングが学べるオススメ書籍5選
https://hajimari.ai/marketing/neuromarketing/
そして、新しい神経科学的なアプローチを提起するわけですが、その前に「使用理論」の誤りを6点挙げて読者の頭をシャッフルする様に促してくれます。
【誤った使用理論】
1.消費者の思考プロセスは筋の通った合理的・直線的なものである
2.消費者は自らの思考プロセスと行動を容易に説明することができる
3.消費者の心・脳・体、そして彼らを取り巻く文化や社会は、個々に独立した事象として調査することが可能である
4.消費者の記憶には彼らの経験が正確に表れる
5.消費者は言葉で考える
6.企業から消費者にメッセージを送りさえすればマーケターの思うままにこれらのメッセージを解釈してくれる
(26-33ページ)
但し、これらは誤りであり、消費者は、無意識的な思考や感情からより大きな影響を受けているとザルトマン教授は強調します。
したがって、脳神経科学や認知科学の知見が重要になるというわけです。
この考え方は、アントニオ・ダマシオ「感じる脳」の中でも、ほぼ同様のことが書かれていました。
【参考図書②】
「感じる脳―情動と感情の脳科学よみがえるスピノザ」アントニオ・R・ダマシオ(著)田中三彦(訳)
「人間の感情(feelings=喜怒哀楽)は、高次の表出であり、最初の反応は身体を舞台とする情動(emotions)で、意識の前に出現する身体反応です。情動が脳マップを形成し、記憶の中から適応するマップを参照して感情が出てくる。感情は、心を舞台に現れる。情動はより根源的で、免疫系のような生命維持システムの一部だということです。」
ここで、前述の「自分では言語化できない感情」が有る前提で、脳科学の観点から、SNSコミュニケーションにはどのような特徴があるのか?
まとめてみると以下の通りです。
【まとめ:各SNSプラットフォームの特徴】
●Twitter
テキスト中心の非言語情報が少ないプラットフォーム。
攻撃的な言動が多くなりがちで、炎上リスクも高い。
●Instagram
画像中心のプラットフォーム。
怒りの感情は画像で表現しづらいため、心地のよい表現が多い。
●YouTube
能動的な動画視聴のプラットフォーム。
ユーザーは主に検索を通して動画視聴を行う。
●TikTok
受動的な動画視聴のプラットフォーム。
ユーザーは動画視聴までのプロセスで思考する必要がほとんどない。
SNSにおけるコミュニケーションの特徴としては、非言語情報が決定的に欠落していることが挙げられます。
そのため、SNSでは、何でも伝わりそうに感じられますが、実は、まったくそうでもないのです。
例えば、対面で会話をする場合、相手の表情などから、「自分はつまらないことを言っているかもしれない」「相手が自分の話に乗ってきているかもしれない」といった非言語情報を得られますよね。
SNSでは、そうした言外の情報が圧倒的に乏しく、1枚のフィルターがかかったような状態と言えます。
また、SNSでは、非言語情報の少なさから伝えたことに対するフィードバックがかなり薄く、あるいは、逆に、誇張されてしまうこともあります。
つまり、コミュニケーションにおける感情の制御が働きにくくなるのです。
これは、お酒で例えると、ほろ酔いの状態に、とても良く似ています。
そう例える理由として、アルコールは、神経活動全般、特に、脳の抑制系に作用する物質です。
通常は前頭前野の「GABA(ガンマアミノ酪酸)」という神経伝達物質が脳のニューロンを抑制し、感情の暴走を抑えているのですが、アルコールは、このGABAの働きを妨げてしまいます。
その結果、感情が制御しにくくなるのですが、SNS上でコミュニケーションを行う人の脳活動もそれに近しいものがあります。
この様に、SNSの世界においては、自分では言語化できない感情が有る事を前提にした上でコミュニケーションを行う場合が非常に重要な観点になってくると思います。
また、SNS上の共通の文脈(コミュニケーションを行う相手と共通して持つ記憶や知識)を、特に意識しておく必要もあります。
SNSコミュニケーションでは、情報の発信方法を誤った場合、誤解や誇張が生じ“思いがけない炎上”のリスクを避けられません。
一方で、非言語情報を補いユーザーに寄り添うことができた場合は、個人へのパーソナルブランディングを向上させる可能性もあります。
つまり、他者の脳状態を常に意識し、発信する言葉や情報を慎重に選ぶことが重要なのです。
【関連記事】
【レポート】ネットにおける電子化されたコミュニケーションの懸念事項を推定してみる
https://note.com/bax36410/n/nf1191d1a2cac
また、ザルトマンは、こうも述べています。
「消費者の無意識を探ることは、効果的なマーケティング・コミュニケーションや商品、サービスを開発するための第一歩にすぎない。さらにマーケターは、顧客やマーケティングに関する自分自身の無意識をも理解し、全く新しい学際的な考え方をする必要がある。」(275ページ)
そして、マーケター用に創造的思考のための4つの前提と10の方策を提起しており、非常に示唆に富む指摘と詳細なハウツーが述べられています。
ここでは、その項目だけを挙げておきます。
【4つの前提】
1.創造的な思考と習慣的な思考とは、同じ認知プロセスに基づいている。
2.組織の環境がマネジャーの創造性に大きな影響を与える
3.マーケターにとって有益な消費者に関する知識は、マーケティングという専門分野の外にある。
4.様々な専門分野を結びつける共有テーマを見つける
(276-279ページ)
【10の方策(行動指針)】
1.現状に安住せず、絶えず変化を求めよ
2.「角の歪んだ牛」を不思議に思え
3.偶然のデータで遊べ
4.終わりを始まりと思え
5.自分を時代遅れにしてしまえ
6.「同じヒヨコ」ばかり可愛がるな
7.冷静に情熱を抱け
8.自らの信念を主張せよ
9.問題の核心を突く質問をせよ
10.結論を早まるな
(282ページ)
全体を通して、先入観は突き崩され、「使用理論」から脱却して心を自由にしてくれます。
また、他者と自分の無意識の神経科学的メカニズムを理解し、まったく新しい思考法に到達するように導かれています。
その思考法を応用して、普段の劣悪なコミュニケーション環境下において、言語化できない感情を、共通の文脈で捉えた発信を行う事で、ポジティブな会話を創出するための参考になると考えられます。