「くせ」から「見抜いてあげられる」こと
ホスピタリティ
意外と他人は自分のことを気にしてない
車いすの方に言われたことがある。「意外と自分のことは気にされてない」
目立つようで、すれ違っただけの他人なら、「車椅子の男性(女性)としか思われない」なんなら、個人用トイレなら誰もきにしない。
人の目を気にする精神障害。でも、気にする。何が起こるかと言うと
不自然な行動
精神障害のくせ
知り合いに「統合失調症」の方がいる。前の職場の同僚でもある。自分は人に気づかれていないと思っている。しかし、障害特性だと思うが、独特の癖がある。
陽性状態の時、「歩く時、扁平足になる」
ペタペタでなく、“ベタベタ”いやいや"ドスドス”と歩く。そして、光にすごく敏感になり、たまにサングラスをする。
そういう癖が出た時は彼には近づかないことにしていた。陽性時はすごく攻撃的になる。多分疲れているから"イライラ”しているからだと。
僕は双極性だけど、意外と波がない。と言うのは"うそ”一時期カードの使用残高がMAXにいって、減ったら、使って。しかもリボ払い。
で、一応一人立ち(母と住んでいるが、世帯主は僕)。自分で全部しないと行けなくなると、しっかりとしないと、生活ができない。仕事するにも責任があるし、コロナ禍まえはいちいち、役所に出向かないと行けない。生活費に余裕を持ちたくなり、UR(団地)に引っ越した。一人で内覧し、導線も考えないと行けない。URは、不動産屋を通さないので、部屋の内覧は自分一人なので、導線を判断し、隅々まで見ないと、あとあとめんどくさいことになる。しかも、僕は海沿いに借りたので、すぐに錆びる。メリットデメリットを秤にかけるが、切り捨てるところはバッサリしないと、決めることはできないので、ほぼメリットはないと思う。
この文章を書いている時一切推敲をしていない。見てわかるように、話があっちこっち飛んでいるのが、お分かりであろう。僕の障害は組み立てが苦手。
相談
僕自身いろいろ人から相談を受けることがある。パソコンのインストラクターをしていた時があったので、パソコンの相談から、精神の障害がある、ほぼADHDの方であるが。
パソコンでの相談は「できないといけないですか?」が大半を占める。
大概アンケートをとるんだけど、マイナスのことを見ると、「講師はわかっているからできるんだ」書いている人ばかりです。理由は簡単で、人間で一番盛り上がる話は「悪口」である。別に「悪口」が悪いとは思わない。僕も言うし、肯定する話って人に、「自分の価値観を押し付ける」感じがするので、なんとなく「その方の肯定している理由が合わない、わからないと、この人の価値観を否定している錯覚するから」話を人に合わさないといけない感があり、小さな猜疑心を持ってしまう。日本人が、"無宗教主義者”で“気まぐれな多宗教主義者”で自分に都合のいい神様がいっぱいであるだからではと。民族学・日本学の本で読んだ覚えがある。
閑話休題
なぜ、講師をしていて、「講師はわかっているからできるんだ」と書く理由は一つ。昼休みとかに誰かが、「わかりにくいよね」から始まって、わからないもの同士で、話が盛り上がる、結論が8割方そう書いている。2割の方はほぼ昼休みとかに仲良くしていない。仲間に入っていない。のでなく入れない人。だからと言って、「よく分かった」とは書いてない。ほぼ空欄か、「もう一度聞くとわかる」ネットが使えない環境ならば「ネットがあれば調べられた」とか、自責でなく僕のせいでもなく環境のせいにしていたり。
講習会と言うのは大概わかるようにはできてなく、どうコマ数を消化できるか、会費を回収するため、わからなくても、着いてきてくれるだけでいいというのが、「本音」であるから。たとえ高い有料のパソコンスクールも変わらない。
結局は慣れと時間を掛け、実務に着いて、そう言う環境につかないと、なかなか。
そう言った時に「あっどこかでやった」と思い出していただくだけで講師は陰ながらすごく嬉しいものである。
「べき思考」
ADHDの方の話を聞くと、かなりのマイナス思考。「不屈」と思うくらいです。相談に乗る時は絶対に「何があったかは聞かない方がいいです」詳しく掘り起こす、理由を聞くと、感情が溢れて、泣いたり、ひどい時は「もういい」と「分かってない」と当たられるので。
あと、一対一で話すこと。そう言った人は、思い切って話を聞いてもらうのだから、本当に勇気を絞ってきている。本当に恐々(こわごわ)にしか話さない。そこに横から相談されてない方が入ってきて間違っていることや、一般論など話すと、その方は混乱して、ぷいっ帰ってしまう。
横から入ってきた方は、理由がわからず、相談しにきた方が「弱い」とかめんどくさい人とレッテル貼ってしまう。「あなたがめんどくさい」と僕は思ってしまうのだが。心を開くのは、人によってはすごく大変なことである。みんな「話せないこと」は大なり小なりあるもの。ただ、その方のキャパシティが小さいと思っている癖があるだけなのです。」
傾聴力
もしも、相談されることがあったならば、当人の話を深く聞く必要はないと僕は思っている。なんなら、泣いてしまってもいいと。相談に来た方は意外と聞いてくれる人が、たとえ話をして、「こうだよね?」と言って泣いてしまっても、なぜか、離れたり、帰ったりとはしない。感情が溢れて、その場にとどまる。そう言った時は、「深呼吸して」とかは言わなくてもいいと。泣いている時は「ハンカチを渡す」でも大概相談者も持っている。引っ込めて待ってあげればいい。
相談に来る時はあまり具体的なことを話さないのが大概。
「昔からの友達にこうこう、ああ言われた、だから嫌われたはず」
そういった時に、「人は意外と気にしてない」とかは言わない方がいい」あと、その後は?も聞かないほうがいい。
相談者はその言葉だけでいっぱいいっぱいだから、その後の話を思い出す力がなかったり、「言われた言葉より言われたことに」なんでだろう。私に何があったのだろう。と自責思考なので、もっと自分を責めてしまう。
そう言った時は、感情を溢れさせて、時間が過ぎるのを待つのが、一番かも。そうして、落ち着いたら、「今日はあまり考えずゆっくりして、温かいお風呂に入って寝てね。」またいつでも聞くよ。
冷たいようだが、また相談しに来ると、パターンが違うだけで、自責思考がぐるぐるして、話に来る。
いいところを見つけて褒めてあげる。本当にいいところを見つける。みんなが認めていることが一番いいね。で、「がんばり過ぎだよ」と。
繰り返すと、結構人見知りもなくなり、同性と仲良くなったり、友達ができたりして、価値観を共有できる人を見つけることが稀にある。そう思うと嬉しい。
僕は別にカウンセラーではないので、「体感」でしか話せないので、正解とは思わないでほしい。人間は難しいものです。
こう言ったことは専門家に任せる方がいいが、たまに「保健福祉士」や「産業カウンセラー」の方が、許してくれるならば、多分安全に傾聴しているのだろう。
上から目線で書いたが、僕も主治医に出会い、信頼していたり、いろんな方に教えてもらったり傷つけられたりして、同じ痛みを共有できるからかもしれない。
敬具
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