劣等感という薪をくべる【#1"劣等感"の再定義】
生まれてきてから今まで、劣等感を抱いたことがない、という人間は存在するのだろうか。
いるとすればおそらく、自分のどの要素をとっても、周りの誰にも負けていると感じたことのないパーフェクト超人である。
こんなタイトルのnoteを開いて読んでくれている人の中には、おそらくそんな超人はいないはずだ。
今回は、劣等感という感情をポジティブに捉え直すということについて、発信したいと思う。
劣等感とは、何だろう。
ネット上の辞書によれば、「自分が他人より劣っているという感情」らしい。特に異存なし。多分みんな納得するはずだ。
では、劣等感とは、「負」の感情なのだろうか。
上に見た定義からは、負のにおいがプンプンしている。自分が他人より劣ることを、わーいと言いながら喜ぶようなやつは多分いない。念のため「劣る」の意味も調べてみたら、こうあった。
「価値・能力・質・数量などが、他に比べて程度の低い状態にある」。
くぅー、これは手厳しい。
先に挙げた劣等感の意味と合わせれば、劣等感とは要するに「自分が他人よりも価値が低いという感情」ということだ。
これはもう負の感情で間違いなさそうだ。
こんな思い、できることなら一生せずに生きていきたい。
しかし、現代社会で生きている僕たちが、この感情から逃れられることはまずない。人の周りには常に人がいて、どうしても比較してしまうからだ。それは社会の構造のせいもあるし、人間という生き物である以上避けられないことでもある。
そこでここでは、今いったん負の感情だと結論付けた「劣等感」を、再定義してみようと思う。再定義とはどういうことかというと、劣等感を嫌な感情から好ましい感情に変えてしまおう!という試みだ。
劣等感を感じている自分に気付いたとき、逆にポジティブな心情になれるようになるのがこのnoteでの目標だ。
そんなことできるのかよとお思いのあなた、お任せあれ。
これを読み終わったとき、あなたは劣等感を感じたくて感じたくてたまらなくなっているはずである。
もくじ
1.劣等感の裏にある心理【分析】
2.劣等感という薪をくべる【行動①】
3.隣の芝生は凝視するとまあまあ茶色い【行動②】
4.劣等感の再定義【まとめ】
1.劣等感の裏にある心理【分析】
劣等感とは「自分が他人より劣っているという感情」だが、実際に客観的に見て明らかに劣っている、という時にいつも感じられるものというわけではない。劣っているなあと自覚しても、劣等感を感じないことはよくある。
明らかに手が届かないと思う対象に対しては、劣等感は生まれない。
例えば、二刀流で知られるメジャーリーガーの大谷翔平。
僕は彼と同い年である。
かたや世界規模で名を轟かせ億単位で金を稼ぐスーパースター(24)と、いまだに親の仕送りで生活し、留年もしているすねかじり大学生(24)。どこからどうみても僕は彼に劣っている。
では、僕が大谷翔平に劣等感を抱いていて、「くっそー大谷絶対越えてやる」と思っているかと言われれば、全くそんなことはない。当然である。もはや比較すること自体がバカらしいほどの差があるのだ。
決して手の届かない相手ならば、劣等感は生まれない。
そんなものにいちいち心を刺激されていては、あっという間に疲れ果ててしまうからだ。人間の脳には、必要でないものを自動的にカットする機能が備わっている。
そして「手が届かない相手ならば、劣等感は生まれない」のが真ならば、「劣等感が生まれるならば、手の届く相手だ」ということもまた真だ。ある命題が真であるとき、その対偶は常に真である。劣等感は、その対象が大して遠くにいるわけではないことを示すサインなのである。
これが、劣等感の裏にある心理その1だ。
もう一つ注目したい点がある。
劣ると感じる、ということは自分と他人を比較しているわけだが、その際「何を比べるか」も重要だ。例えば収入や、成績、背の高さ、スポーツの腕、社会的地位……どの項目で比べるにせよ、何かしら1つの評価軸を設定する必要がある。
劣等感を感じるためには、その評価軸が自分にとって重要なものであることも前提条件になる。
一人でいるのが好きな人は、毎日何人もの友人たちと遊びに行く人に「いいなあ」とは思わないだろうし、車に興味がない人は、知り合いが突然車を貰った!と自慢してきてもなんとも思わないだろう。
以上から、劣等感を感じるということは、
① 対象の人物に手が届くと内心思っていること
② 比較した項目が自分にとって大切なものだと思っていること
が前提にあるということがお分かりいただけたかと思う。
これを理解しているだけで、劣等感に対する印象はずいぶん変わる。
①も②も、どちらも感情としてはポジティブなものだ。劣等感をほんの少し掘り下げると、プラスの感情が顔を出す。劣等感とは、ポジティブな感情があってこそ生まれるものなのである。
また、①と②を組み合わせれば、「自分にとって大事な評価軸において、適度に優れている手本のような存在が近くにいる」ことの証明にもなる。要するに、自分の成長のために「使える」相手がいるということだ。自分を高めていきたいと願うなら、これ以上の環境はない。
劣等感が生まれた時点で、あなたがある意味で恵まれた環境にあることの証明となるのである。
2.劣等感という薪をくべる【行動①】
さて、ここからは劣等感が生まれたらどう扱っていくべきかを考えよう。扱い方を知っていれば、どんな脅威も恐るるに足らない。劣等感も手懐けてしまえば、ネガティブなイメージは払拭できる。
僕が今回仮説として伝えたいのは、「劣等感を感じさせる出来事を何度も繰り返し凝視することで、自己の向上へのモチベーションが生まれる」ということだ。
凝視とは、じっと見つめること。劣等感を感じたら、その原因となった出来事をガン見するのだ。それはもう穴が空くほど。目を背けるのは逆効果。一時的に楽になるだけだ。
劣等感の前提②「比較項目が自分にとって大切だと思っている」ことからすれば、その項目について向上へのモチベーションが生まれるのは願ったり叶ったりだ。モチベーションがある限りは、あらゆる努力は苦痛にならない。劣等感という感情は、なりたい自分に楽に近付くファストパスのようなものなのである。
これは人によるのかもしれないが、僕の場合は強い劣等感(≒悔しさ)を感じると、腹の中がざわつくような感覚になる。
そのざわつきそのものは、決して気分の良いものではない。でも、だからといって悪いものでもないと思い始めている。
ざわつくのはおそらく、行動へ向かうための炎が燃え上がり始めているからだ。じりじりとしたその振動が、腹の中に響いているのだと思う。
この炎は放っておけば時間とともに小さくなり、やがて消えゆく。そうならないように炎を大きく育てるためには、薪が必要だ。
その薪こそが、劣等感という感情なのだと思う。
モチベーションの源泉はいつだって、強い感情体験だ。
モチベーションが上がるとか下がるとかいう表現があるが、実はモチベーションは、覚えているか忘れているかの2つしかない。
これについては、非常に分かりやすく説明をしてくれている記事があるので、紹介したい。特にモチベーションの管理で悩んでいる、という方は是非読んでみて欲しい。
モチベーションは心の中に生まれた瞬間から、時間の経過とともに薄れゆき、やがて忘れ去られる。だから、ひとたびモチベーションの火がともったのを感じたら、薪をくべてできる限り大きな炎にしてしまうのだ。
劣等感の発生源となった事象を見れば見るほど、その出来事は強い感情体験として心に残る。それが、時間を経ても絶えることのない大きな炎になる。
3.隣の芝生は凝視するとまあまあ茶色い【行動②】
「隣の芝生は青く見える」という言葉がある。
何でも他人のものは実際以上に良く見えてしまう、といった意味合いだ。
人間は何故だか、他人のことはポジティブな面ばかり目に付くくせに、自分のこととなるとネガティブな面ばかりが目に付くようになる。
劣等感を抱いたときにこの「隣の芝生が青く見える現象」が起こってしまうと、僕たちは劣等感から目を背け、向上をあきらめたくなってくる。モチベーションの火を起こさせまいとする主犯格だ。
上で述べた「凝視」には、この「隣の芝が青く見える現象」からの脱却を促すという効果もあるのだ。
人間の直感的な認識には、無意識のうちに大小さまざまなバイアスがかかっている。そして多くの場合、それに気付かないままに意思を決定してしまう。もちろんそれでも問題ない場面も多々あるのだが、今回それをしてしまうと、永久に劣等感を歓迎できない。
凝視をすることの効果は、目の前の出来事に対する直感的な認識を、理性的な認識に変換することができるということだ。青く見えている隣の芝生が、ちゃんと見てみると意外と茶色い部分があるということに気付く。つまり、目の前の相手への過大評価を、ちょうど適切なくらいのところまで押し下げられる。
うっかりミスをしないように、見直しをするのと似たようなものだ。うっかり誤った認識をしないように、落ち着いて相手と向き合えるのである。
4.劣等感の再定義【まとめ】
劣等感は、自分が重視している要素について自分を高めるこれ以上ない好機であることが、お分かりいただけただろうか。
扱い方によっては、自分にとって大切なものの発見、その軸における好敵手が存在する証明、モチベーションの生成…これひとつで全部できてしまう、魔法のような感情である。これをどうして負の感情と言えようか。
【劣等感】
(旧定義)自分が他人より価値が低いという感情
(新定義)自分がなりたい自分を自覚し、その実現に向けて動き出すモチベーションを生み、育てる感情
そして再定義を実現するポイントとして、凝視するということを提案した。
凝視することによって、より強度の高い感情体験となり、大きなモチベーションにつながる。
ここからは余談だが、ふとモチベーションの弱まりを感じたら、もう一度原体験を凝視してみると良いと思う。
目標やノルマを紙に書いて貼ったり、手帳に書いたりして、努力を継続しようという人は多い。しかし、一時の決意なんてすぐにどこかにいってしまうことは、多くの人がよく知っているはずだ。
「○○しよう!」という決意を逐一新たにするよりも、そうしようと思った理由を追体験した方が、心に強烈な刺激を与えられる。
劣等感を与える事象への「凝視」、強くおすすめしたい。
このnoteを通じて、劣等感をポジティブなものと感じられる方が多くなればとても嬉しい。
▼本筋とはやや離れた内容ですが、参考図書です。そんなに身の回りの物事を錯覚しているとは……!
▼自己紹介です。仲間がいたら嬉しい。ぜひみてね。