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【私のさびしをり】 俳文 by くにを
〈この秋は何で年寄る雲に鳥 はせを〉
もう秋でもないし、
私は芭蕉信者でもない。
翁、翁と信奉たてまつつた井月の句、
なら心底好きだが..
〈笠を荷にする旅空や秋の冷ヒエ 井月〉これは強力に蕉風。
(明治期にこの句を、と思ひ馳せれば言葉もない..)
また三鬼に〈中年や獨語驚く冬の坂〉あり
最近詩に疲れてゐる自分、と言ふものもあり。
さう、
〈わたしやあね草臥れのひと寒日和 くにを〉。
と言ふ訳で、
今日芭蕉句一句挙げよ
と言はれゝば上掲の、「何で年寄る」だな。
文献もあるし、なんで芭蕉はこんな人間くさい句を得られたか、と解説するは簡単だ..
だがこゝは
「紅落の感じを人に託した」造り
だとでも言つて逃げておかうかな。
この讀みには若干の自信あり。
自分もそんな
齡なんだ - と言ひ、だけどまだまだぶら下げられた
人参のやうな句を追ふ。巡り巡る俳諧の世界、前述の通り
私は芭蕉信者ではない、しかし彼は「大預言者」、
これはひとつのスタンダードだらう。
〈屏風には山を画書エガいて冬籠り はせを〉
〈吹よせるかぜも木の葉の名残かな* 井月〉
〈寒い橋を幾つ渡りしと数ふ女 三鬼〉
活躍年代も作つた句の背景も著しく違ふ者らだが、
並べにんまりとしてゐる私は
〈ひゆるりとぞ紙漉村でありし町 くにを〉
とでも
返しておきたい。勿論これらは冬の季である。
もう暮れだ - 。
©都築郷士
筆者近影。
*屋外生活者であつた井月らしい冬季句である。よく観察が行き届いてゐる。
〈酒醒めて震ふ寒夜に年々トシドシよ くにを〉
で、今回はもひとつ、どん。
【夜話】
病院も年末進行、
先センだつては主治醫である院長に代わつて
M副院長に診て貰つた。
水、多飲の件だけ記しておく。
M師は「水ぐらゐ、いゝよ」と
主治醫とは違ふ所見を述べた -
「酒も煙草もクルマも取り上げられてさ
水飲むな、はないよな」と。
「じやんじやん飲めとは言はないけれど
このデータ程度なら、いゝよ」
「尠くとも俺のセオリーにはないね、節水。
多飲てほどの数値ぢやないもの」
私は幾分か救はれた心地がした。
まあ脇からなに云ふつて院長にも、ね。
持論あるだらうから - 。
〈もの旨し醫師ふたりある歳の暮れ** くにを〉
おしまひ。©都築郷士
ばいばいきーん。
**こゝは本來なら「水旨し」だが、それでは獨立した句とされた時、難解になつてしまふ。と言ふ事で、''もの''。これで良し。
然しあのGet Backつて...。