ここからが本当のスタート
先日、とても嬉しいことがあった。
球場のスタンドを歩いていると、下から私を呼ぶ声が聞こえた。グラウンドに目をやると、その姿があった。
応援している選手が、リーグ戦初のベンチ入りを果たしたのだ。私はこの日をずっと待っていた。
大学野球という学生野球の最高峰で野球を続けられるのは一握り。ベンチ入りはもちろん、レギュラーとして活躍し続けるのはごく一部。その激戦を勝ち抜いて、選手たちは試合に臨んでいる。帝京大学の岩田選手もその一人だ。
ずっとスタンドで声援を送っていた選手が、グラウンドにいるのは感慨深いものがある。嬉しいとか、感動するとか、そんな言葉で言い表せないような気持ちだ。適する言葉がみつからない。
岩田選手は大学三年生。この三年という学年は、大学野球生活の中で最も重要な一年だと私は考えている。10年以上首都大学リーグをみてきた上での持論だ。
大学三年を制する者は、大学野球を制する。
試合で活躍するにも、その先の進路を決めるにも、三年生の過ごし方は肝になる。ここを踏ん張らなければ未来はない。それくらい大切なのだ。そういう意味でも、岩田選手は『本当のスタート』を切ったといえる。
初のベンチ入りということもあってか、緊張した面持ちだった。そんなことを書いている私も『いつ出番がくるのだろうか』と気が気ではなかった。久しぶりの高揚感に、どう向き合っていいかもわからなかった。
6回裏2アウト1、2塁。代打のコールとともに、出番がやってきた。
緊張なんてものじゃなかった。
ついにきた。
頭が真っ白になった。
でも撮らなきゃ、(スコアを)書かなきゃ、記録に残さなきゃ。私がやらずして、誰が代わりにやってくれるのか。
心臓がバクバクする。
どうにか、なんでもいいから、とにかく塁にでてほしい。
それだけだった。
結果は二塁走者の牽制死。振り抜くことなく打席が終わった。
さすがにここで終わりだろう。
打つ姿をみられなくて残念だったな。でも、またいつか次に。
なんて思っていた。
待ってくれ、守備につくのかい。
心臓が足らない。それどころか、潰す心臓も吐く心臓ももうない。
感情がジェットコースターのようだった。正しい表現がみつからない。
この日打球が飛んでくることはなかったが、ナイターで良い経験になったのではないかと思う。
迎えたこの日の二打席。ショートゴロとサードゴロに倒れ、試合を終えた。初めてのリーグ戦、どんな思いで打席に立ったのだろう。
試合終了後、そう私に一言を残し、岩田選手は球場を去った。いつもの笑顔ではなく、真剣な表情。戦う顔なんていったら安っぽく感じてしまうけれど、本気の顔つきだった。
大学三年生。先述のとおり、大学野球の肝となる学年。ここでどう頑張れるか。どこまでやれるのか。このターニングポイントをどう生かすか。頑張ってねとしかいえないけれど、私はずっと応援している。
―――
いろいろな選手をみてきました。大学三年で踏ん張れた人。腐ってしまった人。道を変えた人。一概に良し悪しははかれません。
ただ私としては『後悔してほしくない』という思いがあります。どの道を選択しようとも、多かれ少なかれ『後悔』はつきものですが、最小限におさえることは可能です。それは、そのときのベストを尽くすことです。
なぜ、大学三年生が重要なのか。それは新人ではなく、ベテラン扱いされることにあります。二年生と三年生でたった一学年しか変わりないのに、目新しい存在としてはみてくれません。できて『素晴らしい』と評価されていたことが、全て当たり前とされます。
下級生の頃から試合に出場し続けている選手にもいえます。俺は大丈夫だろうと心のどこかで余裕をかましていると、その日(レギュラーを外される日)は突然やってきます。コツコツと積み上げてきた選手には勝てません。今までの評価、貯金でやってきた選手は必ずどこかでそのツケが回ってきます。
頑張っても報われないことがある。
でも、頑張らなければ結果はついてこない。
四年生になって突如頭角をあらわす選手の多くは、三年生で諦めず腐らず一生懸命やり抜いた人です。
と、こんなことを書きながら『私も頑張らなきゃな』と思わされる日々です。毎日が学び、可能性は無限大。一生懸命やっていきましょう。
いただいたサポートは野球の遠征費、カメラの維持費などに活用をさせていただきます。何を残せるか、私に何ができるかまだまだ模索中ですが、よろしくお願いします。