言葉は出会いである。
世の言葉を全て使いこなせる人がいるだろうか?
学生の頃勉強の口実で県立図書館に入り浸り、無料のシロクロ映画を年配の方々と見入ったり、人気がない棚脇に置いてある脚立に座ってぼんやりしていた。
そして、ずっと続くちょっぴりかび臭い本の列を見ながら思った。
これだけの本が田舎の図書館にある。
これだけ膨大な知識がある。
これだけの内容を全て理解してる人はいるのだろうか?
脚立に上がれば低い棚の向こう側まで見渡せる。
世界中の本はこんなもんじゃ無い。
海を渡ればまた海が、宇宙が果てしなく続いている。
そんな膨大な言葉の中から巡り会えたのが今自分がもつ「語」達だ。その出会いは、運命と言っても差し支えない奇跡。
素晴らしい言葉に出会えるかどうかは運でもあるし、そもそも出会う気がなければ知らないまま。
ただ知っているだけではなく、理解、或いは解釈した言葉を使い、他人に対して自分から発生しているあらゆることを伝えている。
この手段を発明しなければコミニュケーションの手段は限られ、複雑な思考力は備わらず、人間は動物から脱却することができなかった筈だ。
少し話を変えます。
今朝のニュースで、ある議員さんが嘘をついていたこと、やってしまったことをメディアの前で謝罪し、離党する表明をしていた。
(本当は議員3人でクラブ遊んでいたのに1人で行ったと言い張ったニュース)
これを見てとても悲しかった。
やってしまったことはもちろんいけないし、この嘘にも様々な思惑、迷いがあってのことだろう。時には必要な嘘もあるし、全てが悪とは思わないが、
絶対にバレる下らん嘘を立派な方がつかんでくれ、、、
当たり前だが、会話の全ては言葉で構成される。嘘ぽい文章はあるけど言葉には嘘がない。
使う人の想い次第。
「誰よりも正直な言葉」というものを大切に使っていきたい。
[言葉の魂は愛である]
作家 椎名麟三の言葉
岡本太郎の書で姫路市に石碑あり
じわじわ伝わってくる内容、、
この言葉に出会ったのは岡本太郎さんを好きなことがきっかけだ。
言葉も人もご縁を大切にしたい。
おわり