花見は桜の咲く前に 心とアート
昨日誕生日をむかえた祖母が昔言っていた。
桜がもっとも美しいのは冬の寒さに耐えた枝先についた新芽達が震えながら育っている時だと。
花が咲いてないのにキレイ?
幼い私は何をいいたいのか分からなかったが、なぜか印象深く記憶に刻まれた。
もちろん会話の中でこのような話題があがり、もっと別な言い方だったが要約すればこのような内容だ。
満開の花見時は、人も心も盛り過ぎて手に負えない
東北の真っ白な雪の背景に
黒々とした荒肌の桜の幹がよく映える
どんなに辛い寒さの冬でも永遠に続く事はない
その終わりは蕾の膨らみがそっと教えくれるのだ
そして、咲いた桜は飽きさせる前に寂しげに1人散っていく、
桜の話題で必ず思いだすのは
在原業平ではないだろうか
世の中に たえて桜のなかりせば
春の心は のどけからまし
この世に桜がなければ春の心あるがままに穏やかで、心躍らされることもないのに、、、そう、それは私の中の恋心と同じ、、 的な内容
この日本人が古来からもつ美観は本当に素晴らしい。
桜は満開の美しさは言うまでもなく。
儚い散り際もまた見事だ。
桜に限らず美しさは見る人や考え方によって大きくことなり多様だ。特にこの国では遥か昔から心の感じ方(概念)に美しさを見出してるとさえ言える。
これは現代アート的な考え方とも一致していると思う。単純に物体の美しさだけではなく、それがもつストーリーや考え方にアートを感じている。
あっぱれ日本人🇯🇵
春の到来を待つばかりだ。