【帰省が憂鬱?】義理の親への苦手意識を薄める方法
夏真っ盛りのこの時期、
全国の既婚女性を悩ませる問題が、
義実家への帰省だろう。
かく言う筆者も、その一員。
事情があり、義父はいなくて、
義母のみとの付き合いだが、
それでも憂鬱には違いない。
具体的に、何が憂鬱なのだろうか?
気を遣うから?干渉されるのが嫌?
義実家が汚い?夫が間に入ってくれない?
大小様々な理由があると思うが、
全てまとめて一言で表現すると、
「嫌なことを我慢するのが嫌」
これに尽きるのではないだろうか。
であれば、そもそも、
嫌なことを我慢しなくてはいいのでは?
我慢する必要あるの?というのが、
当記事のテーマだ。
筆者の義実家帰省に関する、
嫌なことポイントは2つある。
1つ目は、
義母のつまらない話を聞かされること。
良好な人間関係を保つためには、
人の話を聞いたほうがいい。
と思って、今までは、
どんなつまらない話でも、
ニコニコ笑顔を絶やさず、
絶妙な合いの手や質問を交えて、
義母の話を聞いてきた。
人を気遣える方であれば、
人に自分の話を聞いてもらったら、
<あ、自分ばかり話しすぎちゃったかな…?>
と思って、相手にも話を振るだろう。
(少なくとも、筆者ならそうする)
しかし、義母はそんな素振りもなく、
話を聞けば聞くほど、気分がよくなり、
永遠に話をやめることがない。
半面、こちらはどんどん体力を削られる。
おそらく、夫の妻に対して、
「気遣う」という概念がないか、
もしくは、認知能力の衰えだと察する。
(かわいそうに…)
2つ目は、
大量の食事が出てくること。
出された食事は、完食しないと失礼。
この考えのもと、筆者は、
義実家で出てくる食事は、すべて完食してきた。
もちろん、「豪華!」「おいしい!」
等のコメントつき。
しかし、その食事の量がえげつなくて、
普段、筆者が食べている量の3~5倍。
帰省が終わるころには、
いつも胃腸の調子が悪くなる。
つまらない話にしても、
大量の食事にしても、
自分を犠牲にしてまで我慢して、
果たして、得るものはあるのだろうか?
筆者が好きな「孫子の兵法」の一節に、
「利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる」
と言う言葉がある。
何か行動するときは、
自分に利益があるか否かで判断せよ、という意味だ。
義母にいくら好かれたところで、
筆者には特にメリットがない。
好かれることで、
お付き合いが密になると、
それだけ自分の時間を割くことになり、
煩わしいこと、この上ない。
また、孫に関する援助の額などに
関わってくるのかもしれないが、
正直、その小銭と引き換えに、
上記の「嫌なこと」を我慢するのは、
割に合わない。
よって、今夏の帰省から、
必要以上に気を遣うのはやめることにした。
嫌なことは、我慢せずに伝えるか、
回避する策を練ることにする。
もちろん、伝え方や伝えるタイミングは
工夫したほうがいいし、
最低限の人としての気遣いはするけれど、
我慢だけは絶対にしない。
そう考えてから、フッと肩の荷が降りて、
軽くなったような気がした。
よくよく考えたら、
義理親側だって、息子一家に
気を遣ったっていい。
むしろ、息子の妻に嫌われると、
デメリットがあるのは義理親のほうだ。
なぜなら、息子や孫に会いづらくなるからだ。
人によっては、「利」が「我慢」を
大きく上回ると考えられる人もいると思うし、
既に多額の援助を受けてしまったという人もいるだろう。
もしそうなら、多少の我慢は仕方ないことで、
なぜなら「タダより高い物はない」から。
筆者の考えでは、
必要以上の援助を受けない代わりに、
心の平穏を保つことをオススメする。