人生とは居場所作りである。
人生とは〇〇だ。
愛とは△△だ。
人生や愛を語る名言は古今東西数多とあるが、私は基本的にそんな名言が嫌いではない。
そんな大きなものを一言では語れないだろうと思わなくもないが、その見方をすれば言えなくもないと思うからだ。
似たような理由で、広告コピーやキャッチフレーズも好きだ。
シンプルなものの心地よさ、言い切ることの気持ちよさがあるからかも知れない。
そんな訳で、最近ふと思ったことを大袈裟なタイトルにしてみた。
人は常に、いや、ここでは主語を大きくしないでおこう。私は常に居場所を求めているんだなと思う。
学生時代は学校での居場所を、仕事では職場での居場所を求めてきたし、今もそうしているつもりだ。
居場所と言うのは、自分にとって心地よいものがいい。家ならば自分の部屋なりリビングなりを好きなもので埋めたり、快適な空間にしたい。
だが、他人と過ごす集団での空間では居場所作りというのは難しい。他人という存在が介入する以上、自分だけが快適な空間というのは原理的に難しいし不自然ですらある。
それでも自分の居場所というのは作らねばならない。会社であれば利益を提供したり、その集団において必要とされる存在意義を示さねばならない。
この辺がストレスのもとになったり、疲れる理由だと思うのだが、そこまでしてでもみんな自分の居場所を求めているのだと思う。
結婚したり家庭を築いたり、家を買ったり借りたりするのも全部居場所作りだと思えばなんとなく説明もつく。
ネット上に居場所を見つけるのもいいだろう。
逆説的に、我々は自分の居場所がなくなることを嫌う。
子供が学校で居場所がなくなることはどれだけつらいだろうか。家で自分の居場所がないことがどれだけつらいだろうか。大人である我々でさえ、会社で居場所がなくなるのは相当つらい。
私がイジメを許せないのは、それが相手の居場所を奪う行為だからだ。
今回の記事は特にオチはない。
変わりにタイトルだけをもう一度言おう。
人生とは、居場所作りである。