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口論が絶えないBAR (短編小説)

(3,574字)


北千住もだいぶキレイになった。
ただ、昔ながらの飲み屋の雰囲気は残っていて、そんなところが槇原は好きだ。

昔はこの街のどこの飲み屋に入っても、どこかで喧嘩が起きていた。
今は滅多に客同士の喧嘩なんて見ない。先週末、天七の前でサラリーマン同士が揉めてるのを見たぐらいだ。

槇原の行きつけのBARは、宿場町通りをまっすぐに行く。
駅前とはとても呼べない距離で、荒川の手前の住宅街を入り組んだように進む。
隠れ家的と言えば聞こえはいいが、本当に隠れるつもりとしか思えない立地にある。

BARの扉は重ければ重い方がいい。
槇原はそう考えていた。
外の世界と中の世界を隔てる存在。
だからこそ入る方は一瞬心構えが必要になる。
そして扉の向こうに非現実の世界があり、帰りはその扉で現実に戻る。

だが、この店の扉は軽い。
初めての印象はそれだった。
だが、何回か通う内にこの気軽さも悪くはないなと思うようになった。

扉を開けると、すでに何組かの客が入っていた。
オークを使用した一枚板のカウンターは10席あり、真ん中あたりに座った。
カウンターの木目は美しい。
時間が刻まれた物語のページのようで、ここに手をつくと安堵感に包まれる。


「ファイティングコックをソーダ割りで」
マスターに注文を通す。
この店はウイスキーの種類が豊富で、そこを槇原は気に入っている。

カウンターの左端に見たことある顔がある。
確か村田さんと吉村さんだ。何度か話したことがあるが気のいい二人組で、もう還暦も近い年だろうにアイドルだとか野球の話でいつもワチャワチャと盛り上がっている。
槇原は二人に軽く会釈した。

「お疲れ様です」
そう言うとマスターはグラスを槇原の前に置いた。
マスターはおそらく槇原より年下だが落ち着いた雰囲気がある。
175cmの槇原より背が高いしスリムで、肌は白いというより青白い。
基本的に寡黙で、自分というものを完全に殺してるように見える。
客商売としてそれはどうかと思うが、槇原にとってそれは心地良いものだった。

店内はウッド調のシンプルな造りだ。
所々のポスターはチャップリンで統一されている。確かトイレは"モダン・タイムス"のポスターだった。
槇原は一度「チャップリンが好きなんですか?」とマスターに訊ねたことがあるが「ええ、まぁ」と気のない返事をされただけでそれ以上は盛り上がらなかった。

村田さんと吉村さんの会話が段々とヒートアップしている。
なんとか坂なら〇〇ちゃんだとか、この曲のセンターはあの子がよかったとか。言ってる内容はさっぱりだったが、声のボリュームは上がっていた。
普通のBARなら間違いなくスタッフに止められる大きさだ。
だが、マスターは止めない。

一度カップルが口論を始めた日があって、その時もマスターは止めなかった。
その日に隣りにいた別の常連に「ああいうのってマスターは止めないんですかね?」と槇原は訊いたことがあった。
「あー、マスターが喧嘩を止めてるのは見たことないね。ただ、これは俺も聞いた話なんだけど、喧嘩がエスカレートして店内で手を出しちゃった客がいたらしいんだけど、その時はあのマスターが大声でキレて、その客をぶん殴って半殺しにしたらしいよ」

真偽のほどは分からない。
おそらく半殺しあたりは膨らんでいった話だろう。
だがそれ以降、この店の常連たちの間では『この店で口論はあっても絶対に手を出してはいけない』という鉄の掟が出来たらしい。


「マスター、マッカラン12年をロックで、チェイサーもお願いします」
お通しのミックスナッツをつまんで、槇原は2杯目を注文した。
カランという音がして、入口のドアが開き女性が入ってきた。
「槇原さん、お隣いいですか?」そう言って隣に座る。

「おお、不二子ママ!」
村田さんが手を挙げて挨拶をしている。
槇原のウイスキーが届き、不二子はハイボールを注文した。

不二子は竹の塚でスナックを経営している。
『Lupinという店名で、ママの名が不二子。すごく単純だが、足立区らしくていい。おそらく本名ではないだろう。

彼女はヴィンテージのブルージーンズに、シンプルなシルクブラウスを身に纏っていた。目は深いブラウンで、静かな自信を伺えるが、ショートボブの髪は軽やかに揺れていて、その自然さが彼女の魅力でもあった。

事実、不二子がお店にいると店内が少し明るくなる。
槇原は行ったことはないが、ここの常連も何人か『Lupin』に行っているようだ。とはいえ不二子はここには営業ではなく、純粋に遊びに来ている様子だった。

槇原は不二子の年齢を聞いたことはなかったが、おそらく自分よりは下でアラフォーあたりだと見積もっていて、その予想に自信もあった。

「槇原さん、この前言ってた映画観たよ。『サニー』面白かった。ってか泣いちゃった」
「それは良かったです」
「槇原さん、敬語やめてよ! あれって邦画でもリメイクしたんだよね?」
「ええ、リメイクも良いですけどオリジナルの方が好きですね」
「また敬語使ってる。ねぇ、他にオススメないですか?」
槇原が少し考えてると、カランとまたドアが開いた。

常連たちが一斉に入口の方を見る。
男性が一人入って来て、知り合いじゃないと分かると彼らは視線を戻した。


常連というのは難しい存在だ。
本人達にその意識がなくても、我がもの顔というのは見え隠れする。
槇原は今その当事者側だが、他のお店で何度も受けたことがある。
ドアを開けると常連たちが自分を一斉に見る。構わずに席についても、常連同士の会話ばかりで浮いたような気分になり、もうここに来るのは止めようと思ったことが。

男は槇原の右隣の席に座った。

「で、次のオススメは何ですかー?」
わざとしてる棒読みなのに不二子の声は妙に色っぽい。
「Netflixのドラマで『ペーパー・ハウス・コリア』面白いですよ」
「えー、どんな話?」
「これは逆に韓国のリメイク版なんですけど……」
「ブレイキング・バッドも面白いよ」
急に右隣の男が話しかけてきた。

槇原が男を確認すると、男はだいぶ酔っているようだ。
20代の中頃だろうか、ずいぶんと若く見える。
黒のサマージャケットにシルバーのネックレス、焦点は定まってないし少しニヤけていて口元がだらしない。
槇原が(何だこの男は)と思っていると、返事に変な間が空いてしまった。

「えー、そうなんですか、覚えときますねー」
不二子が合いの手を入れた。
さすが酔っ払いの相手が上手いと槇原は思った。
「それで槇原さんどんな話?」
相手にするなという合図なのだろう。
「えっーと、造幣局に人質をとって籠城した犯人グループと警察との……」
「だからブレイキングバッドが面白いって!」
再び入ってくる男に槇原はイラッとして振り返る。

「お待たせしました」
マスターが男の前にビールを運んだ。
男は体勢を正面に向き直す。
良かった。空気を察してマスターが入ってきてくれたと槇原は思いマスターに視線を預けたが、そういう訳ではなさそうだ。

「どんな話なんですか?」
よせばいいのに不二子が男に話をふった。
男はビールを一口飲んで説明を始めた。
そのドラマなら槇原も観ていた。だが男の話は支離滅裂で、おまけに重要なネタバレも含んでいた。
もう何分話しているのだろう。
しびれを切らした槇原は話を遮るようにこう言った。

「ちょっと何言ってるか分からないな、だいぶ酔ってるようだし」
冷たく突き放すような言い方だった。
気分よく語っていた男は3秒ほど間を空けて「え?なんだよ?」とつぶやくように返す。

「それにこっちで会話していたんだ。勝手に入ってこないでくれ」
大人気ない言い方だと分かっていたが、槇原ももう止まらなかった。
「やめなよ」
不二子が制止にかかる。
「気取ってんなよおっさん! 表出るか!?」
男も一瞬でヒートアップした。
「飲みすぎだよ、今日は帰った方がいいんじゃないか?」
呆れるように、馬鹿にしたように槇原は言い放つ。
「上等だよテメェ! 表出ろよ!!」
男が立ち上がると、全員の客の視線が集中した。

「お会計ですか?」
マスターが冷たく微笑みながら男に訊ねる。
「ああ」男は財布を出しながら槇原を睨みつけた。
「おい、おっさんもついて来いよ」
男は見下しながらドスを利かせた。

「こちらもお会計ですか?」
マスターが槇原に訊ねる。
「相手しなくていいよ、槇原さん飲み直そう」
不二子がなだめるように言った。
「はい、お会計で」槇原も財布を取り出した。
「槇原さんいいって、相手することないよ」諭すように不二子は言った。


お酒のせいではない。
それでも槇原の心拍数は上がっていた。
軽い興奮状態にあり、自分でもそれを抑えられない。
お釣りを受け取り、落ち着いた口調で言った。
「いえ、相手にしないですよ。そろそろ終電なんで、終電前に帰るだけです」

槇原は立ち上がり、男は先に出ていった。
ドアノブを握り外に出る。

扉は軽かった。



(了)

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