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紛争地域の支援をしたかった僕が、広報マンになった理由(2024年8月23日)

※2024年8月23日に開催したイベントの参加レポートです。

人権問題の解決、LGBTQ+への連帯、紛争地域支援、環境保全、サステナビリティ。

さまざまな領域のソーシャルグッドなはたらきを、広報という立場から支援しているソーシャルエンライトメント株式会社の代表、伊東正樹さんが今回のプレゼンターです。

https://social-enlightenment.com/

なぜ、社会課題へ目を向けるようになったのか。そしてなぜ、広報という立場を選択したのか?

その選択の裏には、非常に鮮烈な、旅の思い出がありました。

少年の目に焼き付いたスモーキーマウンテン

伊東さんの仕事の原点は、子ども時代に見たテレビ番組『世界がもし100人の村だったら』にさかのぼります。

「その中で、スモーキーマウンテンの映像を見たんです」

長年フィリピンで問題となっているスモーキーマウンテン。そこで、ゴミを拾って暮らす少女。

“途上国”というものがあることすら知らなかった少年の胸に、湧きあがったものがありました。

「可哀想…ともちょっと違って。とにかく衝撃的だった」

その頃の自分を、伊東さんは「結構荒れていた」と振り返ります。

「両親の仲が悪くて…親が仲悪いと、家庭ってやっぱり崩壊していくので。三人兄弟の一番下なんですけど、親同士で仲悪い、親子で仲悪い、兄弟で仲悪い。家の中、全方位敵!みたいな感じでした」

「学校でもやっぱり荒れていて、ムカつくやつは普通に殴る。女の子にも、手は出さないけど口ではガンガン言う。ムカつくやつは全員潰すっていう、ある意味自分なりの”平等”をやっていました(笑)」

周りに対して攻撃的だった子ども時代。しかし、環境問題や動物保護には当時から関心を寄せていました。

「しょうもない人間のせいで抵抗できない動物や環境が潰されたり壊されていくのは我慢ならなかった」

反対に、人間がはじめた戦争や紛争で誰かが死んでいくことに対しては、愚かな人間が引き起こした当然の結果、とくらいにしか思っていなかったのだそう。

そんな伊東さんの中で、ゴミ山に暮らす幼い少女と、人間によって理不尽に蹂躙される自然や動物の姿が重なります。

人間の社会の中にも抵抗する力を持てない存在がいる。そう、認知した瞬間でした。

国際協力への道を模索

高校生になった伊東さんは、恋のおかげ(!)もあり、以前よりも周囲との折り合いをつけられるように。同時に、途上国支援への関心も深めていきます。

大学では開発経済学ゼミを選択。フィールドスタディでは実際に途上国を訪れ、その行先にはもちろん、スモーキーマウンテンも含まれていました。

ついに降り立った、画面の向こうに見ていた世界。そこで、伊東さんはある違和感をおぼえます。

「どこに行ってもみんな笑顔で、幸せそうだったんです」

「日本のサラリーマンのほうが顔死んでるよなぁって。経済的な豊かさって、意味あるのかな?と思いました」

途上国と呼ばれる地域で思いがけず目にした、人の生き様の豊かさ。

支援の手を差し伸べたとしても、資本主義が介入することで逆にこの豊かさが失われてしまうのでは?

ジレンマを抱きつつも、ブレずに国際協力に携わる職を求めた伊東さん。JICAを志望していましたが、就職浪人をしても叶わず、最終的に専門商社への就職を決意。

すでに必要単位は取り終えていたため大学を9月で卒業し、入社までの半年間で日本を飛び出して旅に出ることにしました。

目の前でみた、人の心が壊れる瞬間

旅のはじまりは、レバノンの首都ベイルート。ここで、伊東さんのその後の人生に大きな影響を与えるできごとが起こります。

「ちょうど2012年。爆弾テロがあったんです」

2012年10月19日。隣国シリアの内戦が飛び火したベイルート中心部で、自動車爆弾を使った大規模テロが発生し、治安警察の情報部門トップを含む8名が死亡、70人以上が負傷。

それは、伊東さんがベイルートを去ってからほんの数時間後のことでした。

「隣街に移動していたんですけど。テレビをみたら、さっきまでいた街がガレキの山」

その直後、お茶を飲んで休憩していたら2ブロック先の交差点から炎があがり…

銃をもった集団がやってきて、目の前で銃撃戦がはじまり…

夜はホテルの窓の向こうから、パンパンパン…と乾いた銃声が聞こえてきて…。

まさに、死ととなりあわせの数日間。

数日後ベイルートに戻った伊東さんは、あるひとの元を訪れました。

「移動する前に色々お世話になって、仲良くなったおっちゃんなんですけど」

ご飯をおごってくれたり、隣街への行き方を教えてくれたりと、何かと気にかけてくれていた現地の男性。

「非常事態宣言が出ていて、交通機関もストップして行く場所もなくて。『暇だし、おっちゃんのとこ行くか』みたいな」

再会した男性は、「今夜泊まる場所はあるのか」と、やはり世話を焼こうとしてくれます。

しかし、その様子がどうもおかしい。

「色々ホテルを探しに行ったんですけど、行く先々でホテルのフロントのひとにキレるんです。『ふざけんな!』って」

混乱のベイルートでは、宿泊先を見つけるのもひと苦労。空いている部屋がなかったり、空いていても部屋の環境がよくなかったり…。

そのたびに、烈火のごとく怒りだす男性。

バックパック旅行で重たい荷物を抱えていた伊東さん。ありがたいと思いつつも、次第に疲労がたまり、この男性から離れたい気持ちが芽生えます。

「でもぼくのカメラを彼が持っていて。だから無視して離れるわけにも…でも、なんかもう限界が来て」

「『いい加減にしろ』って、(男性から)カメラを取ろうとしたんですけど、返さないから、取っ組み合いになって」

それでもなんとか、カメラを奪取。

「『じゃあな!』って言って。2、3歩離れたとき、おっちゃんの携帯が鳴ったんですよ。よっしゃ、と思った。(男性が)電話に出ているうちに行こう、しめしめって思った瞬間、」

ウワァァァァァアッーーー。

伊東さんの耳に飛び込んできたのは、尋常ではない叫び声でした。

「はぁ?と思って振り返ったら、おっちゃんがうずくまっていて」

地面に伏して叫ぶ男性の姿は、本当に、発狂としか言いようのない状態。

さすがに放っておけず、そのままそばに留まることに。しばらくして落ち着いた男性の口から、電話の真相が語られました。

「例の爆弾テロに、奥さんが巻き込まれていたと。病院に運びこまれたけど、『たった今息を引き取りました』っていう連絡だったんです」

伊東さんは茫然自失となった男性に付き添い、動転した彼が思い出せない奥さんの入院先を探して、街中を放浪します。

道中、街ではたらくシリア人を見つけると、「お前らのせいだ!」と石を投げつける男性。人々から向けられる奇異と嫌悪の目。

「もう本当辛くて。自分自身もなんだかよくわかんない状態になって、気が付いたら涙が出てきていました」

ようやくたどり着いた遺体安置所は、受付時間が締め切られていました。

「俺をひとりにするな」とすがられたものの、さすがに疲労の限界を超えた伊東さんは、結局ひとりで宿を探して宿泊することに。

長い1日を終え、倒れるように身を沈めたベッド。その夜は、なんとも不思議な夢を見たそうです。

「小学校から大学までの友だちが全員出てきて。でっかいワンホールにみんながいて、もう最高。人生でいちばん幸せな瞬間って感じの…まぁ、夢だったんですけど」

そして翌朝。前日あんなに壮絶な体験をしたにも関わらず、幸せな夢のおかげですっきりと目覚めた伊東さんに、ある異変が起きていました。

「今もなんですけど…記憶が消えてて。あのおっちゃんの名前、思い出せないんですよ。このひとの名前だけが、記憶から消えちゃった」

「たぶん、通常じゃありえない感情の起伏を見て、脳が『やばい、処理しきれない』と思って修復をかけたんです」

負の連鎖を断ち切るために。広報だから、できること

世話焼きなふつうの”おっちゃん”が、世界を恨む怪物になってしまう。

伊東さんはその過程をみて、「だから戦争はなくならないんだ」と悟ったといいます。

「やられたらやり返すっていう、人類が数千年間ずっとやっている連鎖の、まさにその生まれた瞬間を見たなと」

今なお世界で続く争いも同じこと。

あの、名前を思い出せない男性は、シリア人に対して石を投げつけていました。

もし彼が、子どもだったとしたら。何も抵抗する術をもたない無力な子どもが、ある日突然家族を殺される。そこへ、「面倒をみてやる、一緒に復讐しよう」と武器を渡してくる大人=テロ集団がいたら。

「入らない理由ないよなって。こりゃ、テロリストも反体制派も生まれるよなって」

「どっちが良いとか悪いとか、先に手を出したとか関係なく。攻撃が生まれた瞬間、それに反抗するものも出てきちゃうので。どんなに気が狂っているようにみえるひとでも、やっぱり正義や事情があるんだなって、その場でわかった」

大事なのは、憎しみの連鎖をとめること。ではどうしたらいいのか。

「(自分が)止めるしかないんですよね。どんなに相手がおかしくて、自分に非がなくても、攻撃されたときに仕返しをしない。でもこれ、結構シンプルだけど難しい」

ひとりひとりがその選択をとれる社会をつくるためには、紛争への介入や物質的な支援だけでなく、メンタルケアや持続的な人権保護など、根本を変えていくことが必要だ。

その後、一度は企業に就職したものの、やはり自分にできることを求めて退職。

NPOへの転職活動を続け…ようやくある団体から内定をもらいます。それも、まさにシリアでの難民の駐在支援というぴったりの職務内容。

しかし、伊東さんはその内定を辞退しました。

「面接で『必要に応じてほかの国に異動することがありますけど、大丈夫ですか?』と聞かれて。それが1回だけじゃなく、毎回なんですよ。『あ、これもしかして最初からシリアじゃなくて別のとこに飛ばされる?』と思って」

その理由として考えられたのは。

「(新たに別の地域で紛争や災害が起きた場合)社会の関心が集まるから、そっちで活動すれば寄付が集まる。そういう背景があるんじゃないか?って僕は思った」

もちろん団体自体のリソースの問題や、ほかの事情もあったはず。

それでも、最も必要とされる持続的な支援が、いま成り立っていないことは事実…。

「で、広報だって思ったんです」

問題の根底が”知られていないこと”にあるとみた伊東さん。

知られていないから、人もカネも集まらない。

「それからPR会社だけに絞って転職活動して、1か月くらいで採用されました」

一見遠回りのように見えるキャリアの選択。

ですが、いま晴れて自分の手で、社会課題解決に貢献するPR会社・ソーシャル・エンライトメントを立ち上げた伊東さん。ときに、同業他社から依頼が来ることもあるそうです。

「ソーシャル×広報のひとって、めちゃくちゃいない。今は仲間を集めてるんですけど、まぁ、儲からない(笑)」

それでも。

「いまの世の中に必要だと思っています。とくにニッチな活動、本気で頑張っているけど全然光が当たってないひとを、広める」

どんなに素晴らしい活動も、必死の訴えも、影の中にあっては見つけられず、なかったことにされてしまう。

そうして居場所を失ったひとが、攻撃的な手段をとる。伊東さんの脳裏には、かつて家庭に平穏がなく荒れていた、自分の姿も浮かびます。

「居場所のない人間って、絶対に人を攻撃する。過激な言動でだれかを攻撃する環境保護団体やフェミニスト、ヴィーガンの人々も、居場所を求めてるのだと思います」

「その主張自体には賛成・共感できる部分も多いですが、伝え方がよくない。コミュニケーションを変えていくだけでも、社会はもっと良くなると思うんです」

埋もれて居場所を失ってしまう前に、光をあてる。声を与える。

伊東さんのご活動事例は、下記のページで紹介されています。


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