またまた男女の事
ジャイアン、二日がかりでコメントを考えたすえ、
その考えが500字を越えてしまったので記事にしてしまいました。
ジャイアンの問題提起に
すっかり考え込んでしまいました。
きのう、コメントを書きかけて
今またPCの前に…
「性交」「避妊」「中絶」「夫婦別姓」などなど、
乱暴ながらわたしは、ひとくくりに、
間違った自己中心的な生き方の問題だと思うのです。
男と女、妻と夫みたいな二つの対立する捉え方にして、
言葉あそびをして、
本質を見失っているのは、
考えが浅いからではないでしょうか。
両性の合意とか
憲法にいう「両性の合意」みたいな条文が
起草された時代が明治時代だから、
その時の常識としての男尊女卑をベースにしている、
そう考えているのは現代のわたしたち。
草案を作った人の頭には「男尊女卑である」べきという考えはなかった、
少なくとも「常識」として意識していなかったと思うのです。
毎日の生活の中では「あなたとわたし」しか存在しない。
あなたも、わたしも、
それぞれにたくさんの選択をしながら生きていて、
性交・避妊・中絶あるいは別の姓を名乗ることを念頭に
生きている人はいない。
その都度、話題として考えるとき、
「あなたとわたし」が対立しているわけでく、
自然な合意があるか、
その合意に相手への敬愛のこころがあるかだと思うのです。
人工妊娠中絶
それは生まれてくるかもしれない子どもと
「あなたとわたし」との関係であったり、
夫婦と行政・法律との関係であったりするわけですが、
もともとは「わたしとあなた」との関係の延長だから、
相手への敬愛・尊重する気持ちで対処すればよい事と考えます。
自分の問題として真剣に考える問題だ。
それを一般論として、
一律に判断することは難しい。
これって、真剣に論議することから逃げているのでしょうか。
法律は絶対ではない
法律は文章であって、
その法律をどのように生かすか、
それは解釈と言うやり方でフレキシブルなのだから、
不都合が生じない範囲で弾力的に運用して良いと思います。
あきらかに、意図的に法律違反をしながら、
自分の政治活動に必要だからと
平気な顔をしてウソを重ねる国会議員を選び、
与党としたのは、ほかならぬわたしではあるのですが…
人間としてまともに考える、
チコちゃんに指摘されてう~んとうなるような、
根源的な「性」「家族」については
今あるものを守る一方の立場にある行政ではなく、
新しいもの、時代に合ったものを作る立場にある
国会主導で考える諮問機関を作って欲しい。
すべて、
「毎日を生きる」ことなのに、
まともに考えてないような気がして、
それがそのまま、150年間の教育で分厚く裏打ちされ続けてしまう。
間違っている「ような気がする」もやもやを、
これからも引き摺っていかないで良いように…
サポート、ありがとうございます。もっと勉強して、少しでもお役に立てる記事を送りたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。