#170 ドヘッド陰斎
地上波でやっていた「ベイマックス」観た。少年の発明したナノロボットがめっちゃ役に立つやん、というのんをベースにして、そいつを私利私欲に使おうという大人が悪いやつ、みたいな。わりあいによく知っているディズニー映画だった。舞台や主人公の少年が日本(風のどこか)なのでアメリカ人の想像したスットコな日本成分も堪能できるし、悪役にもちゃんと悪なりの理由があるのだ、みたいなストーリー展開もディズニーの作品にしちゃ珍しい感じなので、このへんも日本のアニメ風を模してみたしれぬ、と邪推したりした。
で、「インサイド・ヘッド2」を観に行ったんですが。これがまたなんとなくディズニーの殻を破った感じでよござんした。なんとなくこう、今までのディズニー作品が作り手のイマジネーションから生じた「物語」なのに対して、「インサイド・ヘッド」は人格の形成をベースラインとしてお話を組み立ていて、実に「文学」しているン。
「1」は人生の課題に、ポジティブシンキングだけでなく悲しみの感情をも肯定することで乗り越えていく、みたいなのが主題にあって、2には思春期の心の混沌と統合みたいな部分を精緻に描こうという試みがある。一旦は幼少時の感性や感情を内申に秘匿し、他人と比較してみたり、心配や恥ずかしさなんかで行動が暴走させてみたり、かといって周りにはシニカルに振る舞ったりしていくうちに、かつての自分らしさとうまいこと組み合わさって人格が統合されていく……みたいな過程がよく描けていて、「すっげえよく出来てるなぁ」って感心して観通せた。久々に2000円を「安いな!」と思えた。
しかし、これは30代40代の、そうした「思春期のアレコレ」が過去のものとなって「あったねぇ、そんな時代も」というおっさんおばはんは「よく出来てる喃」と腕組みして観られているが、これ、実際の思春期の子なんかはどういう感想を持つんだろうか。共感性羞恥か? むしろ「自分の心を代弁してくれている」と感動するのか。どうなんだろうな。な。
しかし本作、なんでこんなに個人的にハマったのか、というのをつらつら考えていくに、おそらく筆者にとっては、これこそが日本の文学がやってほしい仕事なんだなということに思い至った。なんだったら「インサイド・ヘッド2」に芥川賞をやったらいいのではないか。向こうで「不要ない」と云うであろうが、要するに人間を「よく描けている」んであり。
「よく描けている」からこそ「すげー」と感心しこんなところで感想文を書き記そうとする、シンプルな事実にあたしゃ立ち返った。
よくnoteにある「そうさくたいしょうのとりかた」だの「これだからおまえのぶんしょうはだめだとおせーてやる」だのといっては1,000円も2,000円もの金を取る記事を書く、わりには御本人になーーーーーーーーーんの魅力も感じない書き手の方がいくらもおらっしゃるのですが、そんなものの答えなぞ情報量を取る価値もなく、シンプルに手間ひまかけて「よく描けていやがる」と読者に思わせたもんがちである、という無料の事実だけがそこに転がっておった。
繰り返すが、「よく出来てるなぁ」と感服させりゃいいのだよ。
それだけの話なのだよ。それで金取ろうてなぁ、心地として、セコい。