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【小説】透明の家 《第六話 前編》
【?号室:宮小路舞】
厄日って本当にあるんだ。
目の前に座っている男の顔をじっと見つめながら思った。
あれから二週間くらい経っているけど、いまだにイライラしてくる。
あの時の年上ぶった口調。凝り固まった甘ったるい思想。繕った笑顔。言葉選び。全てが癪に障る人間だった。
(……顔だけは整ってんな、マジで)
そこに余計に腹が立つ。
きっと女にちやほやされて育ってきたんだろう。
異性から加害されることもなく、のうのうと。
私も見た目だけはよく人に褒められる。
近づいてくる中途半端な男どもを牽制するための道具としては、そこそこ使える強みだ。だけど、これが私の人生最大の仇となっているのもまた事実だった。
(……なんで性別が違うってだけで、こんな境遇が違うわけ?)
テーブルの下で、ギュッとスカートの裾を握る。長い爪が邪魔くさくて思うように力が入らない。
「……えっと」
目の前の男──、ハルさんが口を開いた。
「とりあえず、なんか頼もうか?」
ビニールで保護されているメニューをバリッと開いて、机の上に置いた。
朝から何も食べていない私は、周囲から漂ってくる美味そうな匂いに負け、渋々とメニューに目を通した。
「……この間のお詫びに、奢るよ」
「……いいよ、別に」
「嫌な思いをさせてしまって、本当に申し訳ない」
「……」
こんなところで頭を下げんな。
男に謝らせている女なんて、酒の席ではいいネタにされる。そんなことも分かんないのか、このおっさんは。
いや、逆にそれを狙ってやってるのか?
いずれにしろ神経を逆撫でしてくることには変わりはない。
「いいよ、もう。どうでも」
「いや、よくないよ」
「私がいいって言ってんだから、いいじゃん。それとも何?ハルさんの気が済むまで付き合わなきゃいけない義務が私にあるわけ?」
お腹が減ってるせいで苛立ちに歯止めが効かない。このままではまた喧嘩になりそうな一触即発のなか、さっきの店員がニヤニヤしながらやってきた。
「やぁ~!お二人さん、仲良くしましょうよ!ねっ!ほらこれ!お通しとビール、サービスしとくから!」
去り際に私にだけ見えるようにウインクをしながら、ジョッキと小鉢を置いて去っていく。ジョッキに手を伸ばすと、その下から折り畳まれたメモの切れ端が出てきた。
「……」
開くこともなく、ぐしゃっと手で握り潰す。
「ん?何それ?」
「ゴミ」
嘘は言ってない。
どうせあの店員の連絡先だ。
ゴミ以外のなんでもない。
私は掲げたままのジョッキをグイっと煽り、一気に飲み干した。ジョッキ越しに歪んだハルさんの顔が、こちらを凝視したまま固まっているのが見える。
「ハルさんさぁ、本当に悪いと思ってる?」
ゴッと音を立てて、空のジョッキをテーブルに戻す。
「あ、ああ……。あの時は冷静になれなかった俺が完全に悪かっ……」
「だったらさ、奢んなくていいから、代わりに愚痴聞いてよ」
「愚痴?」
「そ。人生の愚痴」
私は隣のテーブルを片付けていた女の店員に声をかけて、適当に料理を選び酒を追加注文した。そして肘をついたまま、さっきグシャグシャにした紙を開いて、ピラっとハルさんに見せる。中に書いてある文を見て、ハルさんが眉を顰めた。
「……こういうのがしょっちゅうあんの」
メッセージアプリの連絡先の横に、『パパ活?俺もお願いしたいな♡』という汚い文字。
「なんだこれ……。失礼すぎるだろ……」
さっきから厨房の奥でチラチラこっちを窺っている店員に向って、ハルさんが睨みをきかせる。
「いいよ。ほっときなよ、あんなの」
「いや、こんなの酷すぎるだろ!文句言わないと──!」
「相手にするだけ時間の無駄。もう慣れてるし」
「でもっ……!」
「男連れてる相手に、これ以上なんもしてこないよ」
「……っ!」
「……ハルさんって、朝ドラの主人公みたいだね」
思わず喉の奥からククッと笑い声が出てしまった。ハルさんはひとりで笑っている私を、怪訝そうな表情で見つめている。
「言っとくけど、そっち系の仕事は一切したことないから」
「あ、ああ……」
届いた追加のビールをぐっと飲み干す。
ビリビリとした刺激が脳髄を駆け上がってくる。
私は茹でたての枝豆をプニっと指で押し出して口に放りこんだ。
「昔からこんな感じなんだわ、私」
ハルさんは膝に手を置いたまま、酒にも肴にも手をつけずに私の話をじっと聞いていた。
*
私の地元は小さな田舎町だった。
家の周りも学校の周りも、山か田んぼしかない。駅は遠いしバスも走っていないため、買い物に行くには車で行くしかないという田舎っぷりだった。
それでも小さい頃の私は外で遊ぶことが大好きだったし、仲の良い友達と優しい先生に囲まれてのびのびと暮らしていた。
家族仲もとても良かった。
両親は二人とも公務員で、二歳年下の弟とも毎日陽が暮れるまで一緒に遊ぶくらいには仲が良かった。近くには大好きなじいちゃんとばあちゃんも住んでいたし、ずっとここで暮らしていきたいなと思っていた。
だけど小学三年生の冬。それが突然壊された。
私は誘拐されかけたのだ。
その日、友達は習い事があるということで一緒に帰れず、私は一人で家までの道を歩いていた。
民家などのない広々とした田んぼが続く農道を、雪玉をコロコロと転がしながら遊んでいた。
すると突然、目の前に大人の足が見えた。
雪道には似つかわしくない、ピカピカの革靴だったことを覚えている。
バッと顔を上げると、スーツの上に作業着を羽織った男の人が立っていた。初めて見る人だった。
「雪遊び?」
ニコニコと親しげに笑いかけながら私に尋ねた。
その人は私の父と変わらないくらいの年齢で、仕事に行く時の父と同じような格好をしていた。だから私は父の知り合いかと思ってしまった。事実、この町にいる大人たちはほとんどが顔見知りだったからだ。
私は何の警戒もすることなく、「うんっ!」と答えて、再び雪玉作りに夢中になっていた。
「ねえ、もっとたくさん雪があるところに連れて行ってあげようか?」
パッと顔を上げると、その人は横に止めてあった白い車を指差した。
車の側面には市のマークがついていて、やっぱり役所の人なのかなと思った。
でも、どうして、役所の人が私を雪のあるところに連れて行ってくれるのだろうか。
そもそも大人は仕事をしているはずの時間だ。
そして、私はこの人の名前さえ知らない。
ふと、電信柱に掛けられた錆びた看板が目に入った。
『知らない人についていっちゃダメ!』
その下には、悪い人に無理やり手を引かれて必死に助けを呼んでいる女の子の絵が描かれている。錆びがちょうど目の下に浮き出していて、血の涙を流しているように見えた。
一瞬で全身の血管が収縮した。
私は何でもない風を装って雪のついた手を払い、そそくさとその場を後にしようとした。でも、すでに遅かった。
男は私の腕とランドセルをがっしりと掴み、あらかじめ開けておいた車のドアに押し込んだ。私は必死にもがきながらできるだけ大きな声で「助けてッ!助けてーーーッッ!」と叫んだ。でも力はもちろん敵いっこないし、こんな田んぼの真ん中に人がいるわけがない。それでも必死に抵抗した。
私の髪も服もぐちゃぐちゃになりながら抗っていたら、突然、道の前方と後方からけたたましいサイレンの音が聞こえてきた。男は舌打ちをして逃げようとしたが、揉み合っているうちに私の服に腕が引っかかってしまい、もたついていた。
「確保ッ!」
目にもとまらぬ速さで警察官たちは男を取り押さえた。
どうやら近くを散歩していたおじいさんが、尋常ではない雰囲気を察して通報してくれたらしい。
私は間一髪で難を逃れた。
いや、よく考えたら、それが苦難の始まりだった。
後から聞いた話では、その犯人は前々から私を狙っていたらしい。
夏休みに家族で県外のプールに出かけた際に目をつけられたとのことだった。私の通っている小学校や登下校の道順や時間帯を調べ上げ、父の同僚を装うために役所で使っている車や作業着と同じものを調達したらしい。
計画的な犯行だった。
しばらくは学校を休んだ。
両親も先生も警察の人もみんな心配してくれたし、登下校には母か祖父母、もしくはボランティアの人が付き添ってくれるようになった。父も母もそれはそれは心配してくれて、父なんかは昼休みに私の学校に顔を出したり、有休も極限まで使ってくれてできる限り私と一緒に過ごしてくれるようになった。さらには地域の子供たちの安全を強化できるように各関係箇所に働きかけ、同じような事件が起こらないように様々なところで奔走してくれた。
大人たちは最大限の配慮をしてくれていた。
だけど、私はどうしても再びあの道を通ることはできなかった。
あの看板の女の子を見たら、一瞬で全てを思い出してしまうから。
そして忌々しいあの冬の日の出来事は、私にトラウマを植え付けただけではなく、想像していなかったところにも影響を及ぼしだした。
中学校入学式の日。
まだ着慣れない制服を身に纏って、新しい机と出席番号に胸を高鳴らせていた。
「……ねぇ、あなた、『舞ちゃん』でしょう?」
パッと後ろを振り向く。特に知り合いではなかったその女の子は、ニコッと親しげに微笑んでくれた。小学校からの友人と席が離れてしまった私にとっては、新しい友達を作るいい機会だった。
「うん。でも何で私の名前、知ってるの?」
「舞ちゃん、うちの小学校でも有名だったんだよ?誘拐されるくらい可愛い子がいるって!本当にかわいいんだねぇ~!」
屈託もなくキラキラと笑顔を向ける彼女に対し、私は顔を引きつらせた。
ざわついていた教室内の視線が、私に一気に集まる。
男も女も、私の顔に目を向けていた。チクチクと突き刺さるその視線に耐えかね、私は顔を伏せた。悪いことをしているわけではないのに、どうして私がこんな思いをしなくてはならないのか。あの犯人を再び強く恨んだ。
噂というものはすぐに広まるようで、一週間も立つと他のクラスの生徒や上級生たちまでもが、休み時間に教室を覗きにくるようになった。クスクスと声を立てながら人の顔を観察しては、そのまま帰っていく。
勝手に値踏みされている気分だった。
そんな日が続いていたあるとき、下校しようと下駄箱を開けると、靴の上に手紙が置かれていた。
隣にいた友達とともに封筒を開くと、『放課後、裏庭の東屋まできてください』という一文だけが書いてあった。
ラブレターだとはしゃぎまくる友人たちとは逆に、私は恐怖で足が震えていた。
どうせ悪戯だ、行きたくない。
そう言って捨てようとしたが、「ついていくから!何かあったら助けるから!」と、友人たちに背中を無理やり押されながら裏庭に向かった。
そこにいたのは三年生の先輩だった。
入学したての同級生たちとは違い、すでに大人と同じくらいの体格だった。木陰に隠れている友人たちがいなければ、絶対に二人きりでは会いたくない感じの人だった。もし暴力でも振るわれたら、私は彼に腕力で勝てるはずがないからだ。
彼は私の姿を認識すると、スタスタとこちらに歩いてきた。意味はないとわかっていたが、咄嗟にカバンで身を隠した。
「……好きですッ!付き合ってくださいっ!」
突然、彼が右手を差し出し、直角にお辞儀をした。
「……は?」
私は彼と面識はなかった。
もしかしたら教室を覗きにきていた群衆の中に混じっていたのかもしれないけど、そんなのをいちいち覚えているわけがない。
罰ゲームなのかなと思った。
きっと彼の友人たちが何処かからこの様子を見て笑っているのかもしれない、と。だってそうでもしなきゃ、名前すら知らない、会話もしたことのないこの見ず知らずの人が私に告白をするわけがない。
「一目惚れしたんだ!好きなんだ!」
少女漫画で読んだことのあるような台詞だった。
陽に焼けた褐色の肌、サラサラの髪、真っ直ぐな瞳。おまけに背も高い。
モテるんだろうなと思った。でも私は吐き気を抑えるのに必死だった。
私が中学生になって、まだ3ヶ月も経っていない。
言い換えれば、私は小学7年生なのだ。
それなのに、目の前の人に恋愛対象として見られている。
忘れてしまおうと頭の隅に追いやってきた恐怖が、あっという間に破裂寸前まで膨れ上がっていくのを感じた。
「……嫌だっ!」
私は絶叫するように拒絶の言葉を投げかけて、その場から走り去った。
後ろから友人と先輩たちの声が聞こえたが、振り向かずに一目散に逃げ帰った。
それからというもの、下駄箱や机にラブレターが入れられることが頻繁に起こった。
どうやら告白して来たあの人は学校一の人気者だったらしく、『学校一の人気者を振った新入生』として噂が瞬く間に広まったらしい。
本気の告白からただのチャレンジャーまで、ひっきりなしの告白の嵐はそれから二年以上も続いた。
堪えていればおさまるだろうと思っていたが、いい加減うんざりしていた。だから、保健室の先生に相談することにした。
「モテモテで羨ましいわねぇ!」
口を開くなり、そう言われた。ベテラン風のその先生は、私の相談をただの自慢話だと捉えたようで、全く解決策を示してくれなかった。
「見た目でモテるならさ、見た目を変えればいんじゃない?」
そうアドバイスしてくれたのは、弟だった。
日頃から互いの悩み事を共有するくらいに仲の良かった私たちは、すぐにモテないためのファッションを研究して取り入れた。
前髪は重く長めにのばして目元を隠し、スカートも最長まで伸ばした。歩くときは体型がわからないよう、猫背気味にしたし、友達といる時以外は暗く陰鬱な雰囲気を出せるよう、ボソボソと話すことに努めた。
すると、面白いくらいあからさまに告白の波がおさまった。
多少友達は減ってしまったけど、それでも仲良くしてくれた友達はいた。
静かな学生生活を願っていた私にとってはこの上なく嬉しいことだった。
だけど人生、そう上手くはいかないらしい。
今度は校外で痴漢や変質者に狙われるようになったのだ。
中学校は弟がいたから一緒に登校してもらったり、部活が終わるのを待って一緒に下校してもらったりしていた。だけど高校に上がったら、それもできなくなった。
人の少ない電車のなかで露出狂に遭遇したり、後ろから走って来た自転車に胸を鷲掴みにされたり。
言い尽くせないほど多くの被害に遭った。それはもう虫のようにわんさか涌いて出てきた。……いっそ虫だったら殺せたのにと思った。
私はもう絶望しかなかった。
どれだけ地味に装ったとしても、性別が女というだけで男は性的対象として見てくる。告白して来た奴らも、痴漢をして来た奴らもみんな同じだ。
何が告白だ。
何が恋だ。
全部お前らが『性欲』って言葉を勝手に脳内変換しているだけだろ。
ふざけんな。
ふざけんな、畜生ッ!
その夜、私は泣きながら自分の髪をズタボロに切った。無我夢中で感情のまま、それはもうメチャクチャにハサミを動かした。
朝、様子を見に来た母は私の姿を目にして絶句していた。
そして声も出さずに号泣し、私を布団越しに優しく包み込んでは、ひたすら背中を撫で続けてくれた。
小刻みに震えている母の姿に、胸が苦しくなった。
その日は学校を休んで美容室に連れて行ってもらった。
担当してくれた美容師さんは派手な髪色で、たくさんのピアスが付いていた。
今まで出会ったことのないタイプの人間を前に萎縮してしまい、はじめは目を合わすことすらできなかった。だけど彼女は私の尋常ではない髪を見ても驚かずに、「これは整え甲斐のある髪だね!」と気さくで人懐っこい笑顔を見せてくれた。
美容師さんは一言断ってからそっと私の髪に触れ、近くにあったラックから一冊の雑誌を持って来てペラッとページを捲った。そこには坊主姿の外国人女性が写っていた。
「この人、私の好きな女優さんなんだ。自分のスタイルを貫いてて格好良くて、大好きなんだ」
反応を示すこともなくボーッとしている私に気にせず語りづつける。
「髪型ってさ、そこを変えるだけで全然違う印象になれるんだよね。相手に与えるイメージを自分で決められるの」
「……」
「お嬢さんは、自分をどんな風に見せたい?」
「……私は……」
鏡の中にいる自分を見つめた。
みすぼらしい髪型の女の子が、虚な目で私のことを見据えながらボロボロと涙をこぼしていた。
「私はっ……強く見せたい……っ。もう……っ、こんなことしなくても……いいよう……に……っ」
嗚咽混じりで泣きじゃくる私の声を、美容師さんは何度も頷きながら静かに聞いてくれた。
「よしっ!じゃあ、強いイメージの髪型にしよう!あ、この短めのベリーショートとかどう?できれば色も入れたいけど、高校生じゃ難しいかな?」
美容師さんは自分のことのように楽しそうに髪型を選んでくれた。
「髪色が変われば全然印象も違うし、ピアスやネイルが付いているだけでも強く見えるんだよね。まあ、学生のうちはなかなかできないけどね」
確かに、最初に美容師さんを見たときは怖そうな人だなと思ってしまったしな、と妙に納得してしまった。
「……覚えておいてね。お洒落は時として武装になるから」
俯いていた顔に後ろからそっと手を添えられて、真っ直ぐに前を向かされた。
鏡の中にいる美容師さんの目には静かで鋭い光が宿っていた。
まるで、その光を分けてくれるかのような強い眼差しに、私はしばらくそのまま目を逸らせなかった。
(続)
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