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一攫千金の小噺

私は今 非常に興奮している

私は今 めったに経験できない経験をしている

私は今 この昂る感情を、体の外に出さずにはいられないのである


私は精神科医である。贅沢な事をいうようだが、私は精神科医になりたくてなったわけではない。そして普通の医者を馬鹿にしているわけではないが、何か少し変わったことがしたいのである。


冒頭にも述べたが、私は今興奮している。そして昂る感情に対して、いやまて冷静になれと、日本人ならではの懐疑癖(楽しすぎてこの後に交通事故にでもあうんじゃないか?といったような)を発動し、期待に裏切られる事を恐れつつ、その可能性から自分を保護しつつ、強く興奮している。


というのもずっと考えていた自分の追求する分野の統合に成功しかけている、いや、統合の仕方が分かりかけているからである。


私は自分の生きる意味みたいなものを良く考えている。人と変わったことがしたい。自分にしかできない事がしたい。自分は誰にもできない事ができるはずだと。しかし、自己愛が強いがために辛くなる事がある。


私の追求する分野は3つある。音楽、思想、仕事。この3つはどれも私にはかけがえのないものであり、どれかの成長が停滞すると、精神衛生が良くなくなる。つまり余裕がなくなり、いつもの自分でいられなくなる。


仕事柄、思想と仕事はつなげやすい。なので毎日仕事をすることで、仕事はもちろん、かろうじて思想も成長するのである。


だが音楽がどうしても難しい。


音楽の成長を進めるためには、どうしても仕事終わりや休みの日を費やさないといけなくなる。

しかしそうなると他の2つより音楽に割ける時間が短くなってしまう。

すると必然的に音楽の停滞が促進される。


それはどうしても解消できないものだと思っていた。


そこで出会ったのが音楽療法である。


まだまだ知識は少ないが、ようは音楽を用いて病気や精神症状に向かっていくということ。

それは精神病理学や、精神分析にもオーバーラップするであろうと勘ぐっている。


しかし、少し前の私であったら音楽療法にこれほどまでに惹かれることはなかった。


なぜなら私は、クリエイティブな仕事に憧れてる人間だ。

本当は文化人やアーティスト、みうらじゅんやいとうせいこうになりたいのだ。

音楽療法なんてNHKのだれも見なそうな深夜の情報番組とか、放送大学でながれるようなマニアックな領域。むしろダサいとすら思っていたかもしれない。

音楽療法なんてやったって自分の憧れる人たちがかっこいいとは思わないだろう。認めてくれないだろう。なにより自分が認めないであろう。

しかしある小噺を聞いてからは、音楽療法が自分の可能性を最大限に開いてくれる領域であるような気がしてならないのである。


その小噺は、私をはじめ、現段階での目標に努力しても到達できなくて、自分はダメだと自暴自棄に陥ってしまい、自分に疲れてしまった人の心を癒してくれるかもしれない。


その小噺はこちら↓


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