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オルドスの人の娯楽というとなんと言っても映画。時々生徒や先生に映画券が配られる。金を払っ…
オルドスの冬は寒い。冬の最低気温は通常マイナス15度くらい。時にはマイナス30度にもなる…
授業は相変わらず快調に続けていったが、毎回同じ流れで進んでいた。新出単語の紹介、文型練習…
赴任のときに校長が言っていた「ボクの家」は全く建つ気配がない。生徒用の教科書も買う気がな…
オルドスでの生活が進むにつれて、学校以外にも友人ができていった。 特に日本語が話せる人た…
活動を始めて半年間は言葉に不自由し、生活の不便さに閉口し、食事も口に合わず、寒さと乾燥の…
オルドスに来て最初の半年は言葉もわからず、生活するのも大変、その上学校からはボクの活動は軽視されていた。 なぜこんなところに来てしまったのだろう。どうしてこんなに日本語を必要としていないところに日本語教師として来てしまったのだろう。北京や大連など、もっと日本語が必要とされているところはいくらでもあるはず。 こんなつらい時期にボクを支えてくれたのは生徒たちだったといっても過言ではない。とにかくどんなに落ち込んでいても、授業をすることによって立ち直ることができた。あのバカでか
1992年1月17日から冬休みに入った。寮に住んでいた生徒たちは、終業式もせず、この日の…
冬休みは学校の食堂も閉まっているので、当初ボクは学校の外で食事をしていた。そのうち学校の…
2月24日から後期の授業が始まった。オルドスに来てちょうど半年、コミュニケーションもある…
モンゴル族中学の一角に託児所があった。教職員の1歳から6歳までの子供20人くらいが通って…
オルドスは鉄道もなければ空港もない。通信事情もよくない。いわば陸の孤島だ。ボランティア派…
(前回からの続き) しかし宴会の後、調整員が泊まっていたオルドスホテルの部屋に関係者が集…
調整員の視察後、気持ちも吹っ切れて、活動にますます力を入れたが、この学期は生徒に対する授業のことで悩むことになる。 前期はあれだけみんな授業についてきていたのだが、この学期から離れていく生徒が続出したのだ。いままで全員がボクの授業を楽しみにしていると思っていたのだが、よく見ると寝ている生徒、ほかの本を読む生徒、ただぼっと窓の外を見ている生徒。そういう生徒がだんだん増えてきた。 一生懸命わかりやすく教えようと準備に十分時間をかけても、どんどん生徒が離れていくような気がした。