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25,一年目後期の授業

調整員の視察後、気持ちも吹っ切れて、活動にますます力を入れたが、この学期は生徒に対する授業のことで悩むことになる。

前期はあれだけみんな授業についてきていたのだが、この学期から離れていく生徒が続出したのだ。いままで全員がボクの授業を楽しみにしていると思っていたのだが、よく見ると寝ている生徒、ほかの本を読む生徒、ただぼっと窓の外を見ている生徒。そういう生徒がだんだん増えてきた。

一生懸命わかりやすく教えようと準備に十分時間をかけても、どんどん生徒が離れていくような気がした。授業中に私語をする生徒はいないが、つまらなそうに授業を受けている生徒の顔を見るのはつらい。そういう顔を見るたびにこちらも自信をなくし、テンポよく授業をやっていけなくなる。完全にスランプに陥ってしまった。

彼らは大学に入るために今一生懸命勉強をしている。そして彼らの最大の目標である大学受験に日本語は関係がない。何かボクがいるせいで仕方なく日本語を勉強しているんじゃないか。そういうふうに思ってしまう。

この学期から彼らの負担を減らそうと思い、日本語のテストは中間テストと期末テストの間にやることにしていた。範囲を絞って、普段授業についてきて、復習さえしっかりやっていたら、いい点を取れるようにしていた。しかしテストの前は非常に緊張した。

普通、テストとは生徒の実力を試すもので、ボクが高校生のときはテストを武器に生徒を脅す先生さえいたが、ここでは日本語は正規の科目ではない。日本語で0点をとっても生徒にとっては痛くも痒くもない。だから生徒たちは何の実益もない日本語のテストのためにわざわざ勉強する必要はないのだ。「みんな、悪い点だったらどうしよう」「まだ、一年以上も任期があるのに、どうして活動を続けていけばいいのか」テストを前にこちらが緊張してくる。

テスト前夜の自習の時間。ボクの部屋のすぐそばで生徒たちは、いま何を勉強しているのだろう。日本語の復習も少しくらいやってくれているだろうか。そればかり気になってくる。いろいろ考えているうちに、ベルが鳴り、みんないっせいに宿舎に戻って行った。あとは数人の当番がほうきで紙くずなどのごみを廊下の数箇所に集めておく。そのうち当番の生徒も帰っていき、物音のしない世界。

シーンと静まり返っている中、ボクはいたたまれなくなり、懐中電灯を片手に真っ暗な廊下に飛び出した。ごみの集めてあるところに行き、クシャクシャに丸めてある紙くずを一つ一つ空けて懐中電灯で照らしては確認する。これは数学の方程式が書いてある。これはモンゴル語だ。あっ、日本語の単語が書いてある。少しほっとする。あっ、ここにもあった。まだまだ日本語もやってくれているんだ、と思うと心が晴れてくる。53組のほうにも行ってみよう。その夜、しばらくの間、暗くて、寒くて、静まり返った誰もいない廊下でボクのごみあさりは続いた。

翌日のテストでは期待通り、ほとんどの生徒が80点以上取ってくれていた。ああこれでまた日本語を教えることができるなぁ。喜びと安堵の気持ちで心が満たされていく。

それにしてもここでの日本語のテストは教師が生徒を試すのではなく、生徒が教師であるボクの授業を支持してくれるかどうかという、いわばボクに対する「信任投票」のような気がしていた。そして、テストでいい結果が出た後、しばらく自信を持って教えることができた。しかしその後もふとしたことで、教えるのにむなしさを感じたとき、自信を失ったときボクは人知れず暗闇の中の「ごみあさり」をするのであった。

生徒の日本語離れはその後も進んでいった。いろいろ悩み、工夫を凝らし、また、悩みの連続。そして出した結論は「去るものは追わず。」彼らの当面の目標である受験にほとんど関係のない日本語を無理やり勉強させてもあまり意味がない。脱落してしまった生徒は押しても引っ張ってもついてこない。授業についてこない一部の生徒は、居眠りをしていても授業の邪魔にならない限り、そっとしておくことにした。

そうして開き直ってみると、確かにまだまだ目を輝かせて授業を受けてくれる生徒がたくさんいることに気づく。これから日本語はどんどん複雑になってくる。日本語能力を高めるために授業を受ける生徒はこれからも減っていくだろう。でも日本語能力の向上という面であきらめてしまった生徒、ついていけなくなった生徒も、例えば日本の歌を教えるときやビデオを使った授業のとき、あるいは日本事情を説明しているときなどは目を輝かせている。そして休み時間などには、ボクと一緒にサッカーやバトミントンをする。それでいいんじゃないかと思った。

その学期も終わりに近づいたある土曜日に一人の男子生徒が僕の部屋に入ってきた。いがぐり頭の「一休」だ。「センセイ、ここの部屋で洗濯するのは大変でしょう。これからは僕が洗います。」と言ってきた。その申し出はうれしかったが、まさか下着を洗ってもらうわけにもいかず、「やあ、ありがとう。でも自分で洗えるから大丈夫。これもいい運動になるしね」といって断ろうとしたが、「一休」もなかなか引き下がらない。せっかくの申し出なので結局、シーツと枕カバーを洗ってもらうことにした。翌日、ピシッと折りたたんだシーツが帰ってきたときにはちょっと恥ずかしかったが感動した。

ある時期、ボクは真剣にモンゴル語を勉強していた。ときどき部屋に来る生徒を捉まえていろいろ教えてもらっていた。ある女子生徒は「これ私が小学校のときに使っていたモンゴル語の教科書です。どうぞ使ってください。」と1年から6年までのモンゴル語の教科書を全部持ってきてくれた。ひたすらモンゴル文字が書かれた教科書。さっぱりわからない代物だが、気持ちはうれしかった。

ボクの部屋に遊びにくる生徒の中には日本語の成績がよくない生徒もたくさんいた。生徒たちの日本語能力を向上させることはボクの活動の一部であって、全てではないということを思い知らされた。

言葉の問題もあるし、ここではまだ教師と生徒の関係がはっきりしているので、友達のように何でも話し合える仲というわけではなかったが、日本語の成績に関係なく、こういったささやかなふれあいができるのはうれしかったし、今となっては一番心に残っている。「日本語の能力を高める以外に自分が出来ること、それは何か。」ひたすら悩み、ひたすら追求した学期だった。

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