bamの日記

全てがだるい。浪人一年目

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全てがだるい。浪人一年目

最近の記事

陰なるフルーツサンド

いつもの通学路にある高級食パン屋で売れ残りの半額セールをやっていた。フルーツサンド半額で300円くらい。一時期話題になった高級食パン、こういう機会でもないと食べられないので食べてみたい。 しかし、どうやって買えばいいんだろう……? フルーツサンドはプラスチック容器に入れられショーケースの中だ。ショーケースは店の外からでも見れる。商品札も外に向けて貼られている。 「店内に入り、ショーケースを開け商品を取りだしレジに持っていく」が正しそうである。しかし、商品札が店内に向けられ

    • 前期国立二次試験終わりました

      感想としては「ふにゃっとした手応え」 まぁまぁできた気もするし、そんなにできなかった気もするし、大炎上してる気もする。受かってるかは微妙。 確実に易化してはいたのだけれど、それにしては取れてない。多分。まぁ考えても仕方がない。 私は基本的に「あの時勉強しとけばよかった」とは思わない。もし今タイムトラベルしても多分勉強しない。「もっと勉強した方がいいんじゃない?」と親とか友達とか先生とか自分とかが言ってきたけれど大概スルーしてきた。今さら覚醒できるとは思えない。私にはこれ

      • 近況:暇の毒素と三大欲求と国立二次試験

        あ〜暇だ。とてもだるい。 こんなことを言っている場合ではない、勉強しないといけないのだ。国立二次試験まであと3週間を切り、いよいよ追い込み時なのにやる気がちっとも湧いてこない。 暇というのは劇薬だなと思う。いい例えが見つからない。良い面も悪い面も両方あると思ってくれていい。何もしないと膿んでくる。人間は何もしないということに耐えられないのかもしれない。だから、勉強とか労働とかあるんだろう、知らんけど。別にしなくても死なないことをしている、不思議な生き物。 最近感じたのは「

        • 近況:「なんだかよく分からなかった」という結論

           最近なんか苦しい。上手くいかなくてイライラしている。 以前本屋でひろゆきの著書、「99%はバイアス」という本を読んでた時に心に残ったことがある。「『なんだかよく分からなかった』という感情を大事にしよう」ということだった。  確かになぁと思った。最近よくしんどく感じる原因が分かったかもしれない。「分かる」を求めてしまうからだ。  「分かる」は「理想」とか「正解」とかに置き換えられると思う。「分かる」を目指すと、「分からない」は認めがたく、苦しい。でも、多くの事は「分から

          近況:浪人して始めてお金の話が出た

          「特にこれといった理由がなければ、国公立後期は地元の学校にしないか?最近給料が減って来たんだ。」 浪人とお金は切っても切れない関係にある。夏期講習や冬期講習を受けられない生徒は割といるし、本当に次がないのでチャレンジ出来ずに志望校を下げないといけない人もいる。私の周りにも多くはなかったけど、チラホラといた。 でもまぁ正直私には無関係なものだと思っていた。浪人する時親がお金のことについて何も言わなかったし、事実最近まで言わなかったからだ。むしろたまに行く外食のランクが1つ上

          近況:浪人して始めてお金の話が出た

          近況:人間でいられない

           予備校の友達にお菓子をあげた。手持ちのお菓子が余ってたから。すると「今日は機嫌がいいんだね」と言われた。  ………? 「今日は」? なんかすごく私が気分屋みたいじゃないか 聞いてみるとそう感じるとのこと。私のイメージの第1等は「気分屋」らしい。なにおう… 心当たりが無いわけじゃない。でも、「気分屋」というよりは「体力がない」と言った方が正しいと思う。 それなりに笑うとか、人の話を聞くとか、そういった社会的なことには「人間パワー」が必要な気がする。つまり、ヒトじゃなく

          近況:人間でいられない

          私の好きなある小話(頭の大きな不気味な男)

          あるところに、妻と別れた男がいました。 男は美味しい料理を作りたいと考えました。 男はある時、料理をするために綺麗なキッチンを、動きやすい服を、立派な果樹園を作ろうとも思いました。けれども、いつまでも何もせず、働きもしないので生米ばかりを齧っていました。考える頭はどんどん大きくなりました。 とうとう食べるものがなくなりました。男は自分の足と胴と腕を食べました。自分を食べて、とうとう大きな頭だけが残りました。 これは私の好きな作家、北大路魯山人の「料理の第一歩」という話に

          私の好きなある小話(頭の大きな不気味な男)

          「執着」と「諦めないこと」の違い

           何かを頑張ってる時、努力してる時ほど、「いつまで頑張ればええんや…」ってなる。 「努力は裏切らない」とは言うけど、「そもそも努力の仕方が間違ってる」パターンが頭をよぎる。 「諦めないこと」と「執着」、どちらも共通項としては「こだわること」が入ると思う。2つのの違いは、こだわった時の結果に基づく。 こだわった結果が良かったら「諦めない」とか「不屈の闘志」とか言われて、結果が良くなかったら「執着」とか「ひとつの事に囚われている」とか言われる。ある意味どこまでも結果論な概念

          「執着」と「諦めないこと」の違い

          <近況>オナニーは世界の中心じゃなかった

          今回は性的な話が多いです。ごめんね。 生物の本能的な欲求なのか、射精をしない日が2日と空かない。もし将来、学生に「浪人時代毎日何してましたか?」と言われたらオナニーと答えようかと思う。 オナニーをする前は「シコること以外楽しみはない。オナニーこそ至高」みたいな感じにいつもなって、出した後はその考えが一瞬で覆される。賢者タイム怖い。 よく「セックスした後の彼が冷たい」と女の人は言うけれど許してやって欲しい。それくらい疲れる行為なのだ。 一応賢者タイムにも生物学的な理由が

          <近況>オナニーは世界の中心じゃなかった

          実存主義は結構すきだ

          あんまり哲学には詳しくないし、関心もないのだけれど、実存主義を倫理政経の授業で知った時「ええやん」と思った。 実存主義の姿勢をものすごく噛み砕いて説明すると、「真理とか神様とか答えでないじゃん。なら実用面からアプローチしよう」という考え方だ。 例えば「神様はいるのか、否か」という議題。「神様」がその人の支えになり、人生を豊かにするなら「いる」し、逆に無益or有害と感じるなら「いない」という結論になる。 「神の有無」について議論するとほぼ百パーセント水掛け論が起こる。「い

          実存主義は結構すきだ

          太ってた頃の話

          小学校のときだった気がする。デブだったかぽっちゃりだったかどう言われたか覚えてないけど、太ってることでいじめられたことがある。いじめと言うには単なるからかいの様だったけど、メンタルが弱かったのでそう感じた。 水泳の時間は男子は上裸にならないといけない。ぽっこりしたお腹をことさらに目立たせることになる。あれが嫌で、パンツのゴムを上げてものすごい上げパンをしていた。通りかかった痩せて運動のできるクラスメイトに「余計目立つよ」と言われた。 からかわれる度に「太ってないもん!!」

          太ってた頃の話

          『日記』やりたくない事をやる為に

          やばい、勉強したくない。なんでこんなことみんなできるんだ、だるすぎるぞ… いつもいつも相も変わらず勉強したくないなとは思ってるんだけど、先日特に酷い時期があった。本当に勉強できず、予備校で寝る➡ぼーっとするを無限に繰り返していた。 家に帰ってなんもしてないのにへとへとになりながら、本棚から本を探した。しんどい時、行き詰まった時は活字を読む気力があれば本を読む。手に取った佐々木典行さんの著書「僕たちは習慣でできている」にある名言が紹介されていた。  おお、なるほど。確かに

          『日記』やりたくない事をやる為に

          比較をすればものの数秒で不幸になれるのでおすすめです

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          本を捨てよう

          本を捨てようと思っている。 別に全部捨てる訳じゃなくて、全然読んでない本を捨てようっていうただそれだけの話だ。思い返すと本を捨てることには何となく忌避感や嫌悪感があった。 捨てようと思った時いつも思うのが、「いや、まだまだこの本には学ぶことがある。むしろなんも記録しとらん…」ということだ。だらだら読んで、ほいっと飽きただけなのに。 それは本が好きだという理由もあるし、汚いけれど読めるから誰かに読んで欲しい…というのもある。BOOK・OFFでは線を引いた本は買取ってくれな

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          自殺のススメ(死にたい人に向けて)

          「スーサイドガール」という漫画に、主人公が悩める女の子の話を聞くシーンがある。曰く、毎日が辛い、親から過剰に勉強を強要されている、テストと塾漬けで心がしんどい。もう死にたい。その時主人公が悶絶する。   他殺は読んで字のごとく、「他人に殺される」ことだ。何故かこの社会では人を物理的に傷付けることは犯罪だけど、精神的に傷付けることには甘い。「自殺したい」と思うのならしっかり自分で死にたい。 そもそも論、人のメンタルはかなりの割合で外的な要因の影響を受けている。雨の日でじめじ

          自殺のススメ(死にたい人に向けて)

          「友達は少なくてもいい」に対する疑問

          友達は多ければ多いほどいいと思う。 色んな人にたくさん話しかけて欲しい。いつもそんなことを思っている。 けれども「友達は少なくてもいい」とか「友達はいらない」とか「孤独を楽しめ」とかそういった言葉が最近よく見かける。けれどもそれは本当だろうか。 結論から言うと「人による」としか言えない。孤独を感じない人なら友達について悩む事はないと思う。「友達は少なくてもいい」だろうし、なんなら要らないだろう。けれども、そういった人は結構少ないんじゃないだろうか。 友達不必要論を掲げる

          「友達は少なくてもいい」に対する疑問