「友達は少なくてもいい」に対する疑問
友達は多ければ多いほどいいと思う。
色んな人にたくさん話しかけて欲しい。いつもそんなことを思っている。
けれども「友達は少なくてもいい」とか「友達はいらない」とか「孤独を楽しめ」とかそういった言葉が最近よく見かける。けれどもそれは本当だろうか。
結論から言うと「人による」としか言えない。孤独を感じない人なら友達について悩む事はないと思う。「友達は少なくてもいい」だろうし、なんなら要らないだろう。けれども、そういった人は結構少ないんじゃないだろうか。
友達不必要論を掲げる人は先の言葉の次に決まって「『親友』が2,3人いればいい」と続ける。ここからは薄めの親交を「友達」、濃ゆい親交を「親友」とする。
ただこの論にも疑問が残る。
この「親友」はどうやって作るのだろう。ランダムな出会いに依存するならそれは「理解してくれる王子様がきっといるはず…」みたいなのと大差ないんじゃないだろうか。
「親友」を作る為には「友達」を沢山作って、そこから「親友」が産まれるかも…?って感じになると思う。「親友」から作りに行くのはギャンブル性が高すぎる。
まだ疑問はある。
あなたが「親友」だと思っていても、相手はあなたを「友達」の1人程度くらいにしか思っていないかもしれない。こうなるとかなりグロデスクなことが起こる。「親友」少ないあなたはその人に交友関係を依存せざるを得ない。けれども相手はあなたをそんなに大事に思っていない。依存レベルが高いと、「親友」が気になって仕方ないかもしれない。
もちろん、「友達関係が忙しくてつらい」とかだったら自分の交友関係を見直す必要があると思う。だけれども、それは「取らぬ狸の皮算用」じゃないだろうか。あなたは「友達」が勝手に湧いてくるほど魅力的で人気者だろうか。
「友達は沢山いないといけない」に縛られて、「友達はいなくていい」に舵を切って、それで幸せならいいけど、もしそうでなかったら素直に「友達欲しいな」と思っていいと思う。