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エトワール・カウンセリング・オフィスの田代裕貴(たしろ ゆうき)と申します。

当オフィスにてHSP専門カウンセラー/メンタルトレーナーを務めさせていただいております。
これまで10年以上、カウンセラーとして活動しております。現在は株式会社アイディアヒューマンサポートサービスおよび全国心理業連合会で、プロとして活躍するカウンセラーたちの教育活動や、省庁での講師なども行っております。

これまで延べ人数10,000名以上のカウンセリングやメンタルトレーニングの担当をさせていただいております。


【手法について】
アイデイアヒューマンサポートサービスの心理学や脳科学に基づく手法を取り入れる。その後大手企業(NHKや帝国バンクなど)の脳科学による人材育成を手がけた石川大雅先生に師事。
以来、彼の手法“芯観コンサルティング”のセラピー、コーチング分野をベースとし、アイディア社のセラピーの手法を交えるライフキャリアビルディングというオリジナルの手法を中心としている

【主なセラピーなど】
・セラピップ&リピップモデル
・マイクロカウンセリング(来談者中心療法)
・アートセラピー
・ドラマセラピー
・音楽療法
・箱庭療法
・コラージュ療法
・アニマルセラピー
・ネイチャーセラピー
・アロマセラピー
・ゲシュタルト療法
・行動療法
・交流分析(TAエゴグラム)
・アファメーション
・イメージトレーニング
・脱力/誘導/リラクゼーションなどのメンタルトレーニングなどを応用

⚫もっと詳しいプロフィールについてはこちら
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■敏感さゆえに虐待を受けていた子ども時代

わたしは子どものころから敏感で、チクチクしたもの、激しい気温差、空気の流れの悪いしめ切った空間、タクシーや観光バスのにおいが苦手でした。
海のさざ波の音が苦手で、初めて海に行った時は音で泣いたほど。
さらに生クリームなどの甘くて脂っこいもの、お肉、など子どもが好きそうなものが苦手で不思議がられていました。
一方でラジオやテレビの音楽が流れると踊りだしていたようです。

わずか4歳の時に映画をみて感動のあまり涙を流すほど感受性の強い子どもでした。

普通の子どもと違うため、両親はわたしのことが面倒だったのでしょう。

わたしのことを「きかんぼう」「わがまま」「自分勝手」と言い、わたしは自分もそうだと思っていました。

そのため「自分なんてどうなってもいい」と存在否定をしていたと思います。そういう両親と物心ついたときから相性が悪く、いつもどこかかみ合わないと思っていました。

母は機嫌が悪いとわたしのことを無視する人で、友達と遊びにいってもいいか聞くと無視するかうなづくかが返事でした。

それに「耳が痛いから耳鼻科に連れて行って」「頭が痛いから大きな病院に連れて行って」と頼んでも「うるさい」「我慢していれば治る」とすぐ怒る人でした。
父は学校に出発する直前に「醤油をとれ」と言いつけ、時間がないと言うと「この家から出ていけ」「学費を出してやらない」と脅す人でした。

小学校高学年になった時には父親の目つきがいやらしくなり、性的虐待に発展することも。母に言っても「かわいがっている」と解釈され問題は放置。
自分で身を守るために神経をとがらす毎日でした。

これらの出来事は普通の人と感覚が違う“自分が全部悪い”と思っていたのです。

■PTSDになり、HSPであると分かった

大学時代に脳腫瘍になり、家族からの暴言はひどくなりました。

病気で動けず家族で出かける予定についていけないことや、将来が決まらないことは、父親からしたら我慢ならず、許せないことだったのでしょう。

「本当に病気なのか?だったらなんとかしろ!早く働け!」

「働けないならこの家を出ていけ」と毎日のように言われ続けました。

結局言いたいことは「なんで俺ばかりが会社で嫌な思いをして働いていて、お前は家で寝ているのか」ということのようでした。

それはほとんどが仕事から帰宅後、お酒とタバコが入ったときに起きていたこともあり、わたしは今でもお酒とタバコが大嫌いです。(アルコールはもともと飲めませんが・・・)

そしてしばらくして今度は妹からの暴言がひどくなり、両親を巻き込んでの攻撃となりました。

さすがに3人一同の猛攻撃を受けていたら、頭の中で何かがプチっときれ、それ以来感情をなくしてしまったのです。

「これはおかしい・・・」そう思って、自由診療の病院に行くことに。そこで下された診断はPTSDと軽いうつ状態。

そして、同時にHSPであることも分かりました。

世間ではまだそんなにHSPが知られていない時代だったこともあり、「PTSDになったのもHSPのせい、だからわたしは強くならねば!」と必死で改善を求めていました。

漢方やカイロプラクティックなどで必死で自分を変え、時には専門的に学んでまで繊細さを克服しようとすらしていました。

しかし先生は「君はさあ、もうそんなに自分のことをなんとかしようとしなくていいんだよ。偏桃体が敏感なHighly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)って出ているよ。病気や障害じゃないけれど、そういうものを持っているんだよ。」
とよくなだめられていました。

そしてさらに先生は、「君は本来ならショック死するほどのストレスを抱えているよ」とも。

そして「箱庭療法をやるといいんだよね。あれは作っていくだけでも癒しになる」とポロリとつぶやいたのです。

■運命の出会い

わたしは「そのハコニワなんちゃらとやらで自分を強くできるなら・・・」と箱庭療法に興味を持ちました。

効果があると言いながらも、その病院では箱庭療法はやっていないので自力で探すしかありません。

しかも当時はあまりネットが気軽にできず情報も今よりもずっと少ない時代です。

誰にも頼らず一人でどうやったら見つけられるか・・・と悩みながらガラケーで箱庭療法が受けられるところを探しました。

箱庭療法を受けられるとは書いてありませんでしたが・・・、学べるスクールを一件見つけました。

本当は箱庭療法を受けて回復して、違う道で働いていきたかったのですが、悩んだ末、入学をに決定しました。

それがなんと現在お仕事をいただいているスクールとの出会いだったのです。


■「なぜこんなに毒家族だったのか」が解明された出来事とは?

治療の甲斐があって、ある程度動けるようになっていたこともあり、音楽教室やコールセンターで働きながら、スクールに通いました。

様々なカウンセリングの手法を学ぶと同時に、自分でも受けることができ、中でも非言語を使ったセラピーはわたしに合っていたようです。

あるとき、アートセラピーをやっていたら、涙が止まらなくなることがありました。

しかも理由が分からず泣いているのです。

そして、一通り泣いてから、いろいろな思いが走馬灯のようによぎりました。

自分が病気なのに虐げられ、悲しみや悔しさを心の奥深くに閉じ込めて感じないようになっていたのが、セラピーをやっているうちに表に出てきたのです。

心の傷の周りにもあった膿が涙となって溢れて、傷口がキレイになっていく・・・そういう感覚でした。

医師からも急激に記憶を司る脳の状態が良くなったと驚かれたものです。

PTSDはセラピーで良くなることが科学的に証明された瞬間でした。

その後、さらに資格を取って、トレーニングを積んでいくうちに、わたしの育った家庭は筋金入りの毒親家庭で、機能不全家族だったという自覚が深まってきたのです。

そして、無視されて育つということは、実はかなり心のダメージの大きいということも学びました。

「わたしの違和感は正しかった」「自分は悪くなかったのだ」ということをそのようにして受け入れるようになったのです。

そして、カウンセリングの現場に出るようになって、ある特定の分野、例えば虐待や自殺などの分野についてはさらに掘り下げて勉強する必要がありました。

そこで、わたしの家族がなぜこんなに毒家族で、そしてわたしがなぜ動けなくなるのかが解明されていったのです。

わたしの家族は精神疾患や障害を組み合わせて持っている可能性があり、わたしはHSPという非常に残念な組み合わせだったということが分かったのです。

しかも家族は病気の意識がなく、自分が正しいと思っているのでブレることなく暴言を吐くのです。心理的DVをしていても、自分こそ被害者だと本気で思っているのです。

一方、HSPはブレない相手が正しいと信じやすい、だから気づかない・・・。

このカラクリを理解して、やっと自分がアダルトチルドレンだとはっきり名乗れるようになったのです。

この時、わたしは難解なジグソーパズルの最後のピースがはまった感覚になりました。

■やられっぱなしの人生が好転しはじめる

これまでは家族というクローズの世界で、攻撃されっぱなしでした。
しかし心理を学んでからは自分軸をいかにハッキリ示していくか、に集中するように務めました。
そして、「いやだ」「やらない」「やめて」といったNOを声や顔の表情を出してハッキリ表現することにしました。うつむくことも致しません。

さらに相手が暴言を吐き出したらトイレにこもる、外に出るなどの足への意識を忘れないようにしました。

そして情に流されず頭(理屈)で処理する、といったマイルールを徹底的に守ることにしました。

その繰り返しにより、家族からは一目置かれるまでに好転していきました。

■人はサナギから蝶へ変化する

そしてこれまで実行してきたことがやがてクライアントのお役に立てるようにまとまってきたころ、カウンセリングのご依頼も増えるようになりました。

そこでお会いした方たちのお話は、ほとんどが驚くような体験をされ乗り越えた方たちばかり。

「事実は小説より奇なり」というのはこのことか・・・と思うことも多々ありました。

たとえば

•未曽有の大震災でご自身も被災者として家や家族を失っても、現地の高齢者を笑顔で守る施設の職員さまたち

•大切な人が突然病死、悲しみのどん底の中でパートナーの人柄を語り、もういない相手への手紙を書いてその思い出と共に生きていこうと決める美しさ

•DVに遭い、相手への想いの葛藤にもがきながらも次の人生を見出していく凛とした強さ、毒親のもとで育ち凄惨なトラウマの中でも仕事や生徒への感謝を語る、どこまでも優しい教員

•親であり経営者として大きな責任を担うメンタル崩壊ギリギリの中で、新しいアイディアを生み出していく強靭さ

•毎日同じことの繰り返しで行き詰まり、次のステージに悩みぬいた上で“やりたかったのは今の自分”と“今”の大切さに気づく起業家様

•“DV加害をやめたい”と来られたが、よくよく話を聴くとなんと被害者だった

などです。


よく周りから「カウンセリングって大変じゃない?」と聞かれます。

でもわたしはこんな素晴らしい仕事はないと言っています。



なぜならカウンセリングの中で粛々と流れる時間と涙の後には、嵐の後の木々のような清々しい笑顔があり、そこに感銘を覚えずにはいられないからです。



わたしはいつもカウンセリングを終えて「明日をどう生きるか」自分軸を決めてお帰りになるクライアントたちの“後ろ姿”を見届けてきたのです。



たとえ壮絶な悲しみや苦しみが語られるとしても、非常に豊かで贅沢な時間だと思っています。




■HSPに対する無理解のくやしさからHSPを専門に


わたしのカウンセラーとしての本格的な活動は、なんと2011年3月11日に起きた東日本大震災の災害カウンセラーからでした。


当時は毎日ミーティングと勉強会、いつ現地入りできるか、何ができるのかを考える日々。


9.11の同時多発テロでの心のケア経験者のニューヨークのカウンセラーたちや阪神淡路大震災の心のケア経験者の先輩カウンセラーたちからの指導を頂きました。そしてチームで現地に向かった日を今でも鮮明に覚えています。



現地の被災者への敬意から、わたし個人では写真を撮りませんでしたが大型船がビルの屋上に乗っていた光景と残酷なまでに美しい紺碧の海は今でも忘れられません。


被災地の心のケアは現地の方たちの笑顔やありがとうを期待すべきではない現場です。

カウンセラーは、いかに寄り添い、いかに相手のためを思い、いかに相手の目標を手放さないか、が求められる職業。



わたしは災害現場でカウンセラーとしての心構えや、あり方を一番たたきこまれました。


それから11年の間、チームで、個人でコロナを含めた災害や事件で傷ついた心のケアを含め、“内なる声”や“声なき声”を聴かせていただきました。


そしてその多くがHSPを抱えている方たちです。



世の中の多くの人たちは極めて繊細な特性を抱えながらも、解決に向けて奮闘し、未来をつかむHSP独特の強さを知らないのだろうと思います。


なぜか「弱い人」と扱われ、強みは付け足しやフォローのように言われているような気がしてなりません。

そして、肩身の狭い思いをすべきという価値観にさらされているように思います。


そしてそのことが「本当は強いHSPの方たちを返って弱らせてしまっているのではないか?」「もっとチャンスがあってもいいのではないか?」と思う今日この頃です。

そこでHSPを持つ方がより深く自分の強みを知り、弱みも抱えながら幸せに生きていくためのカウンセリングができたらと思い、HSPを専門にしました。


かくいう私もHSPが知れ渡る前から医師に「君はHighly Sensitive Personと出ているよ。だから気にし過ぎない方がいいよ」と言われています。


当時はなんのことか分からず、繊細である自分を嫌い、しばらくは自分に対して厳しく接しては体調を崩してきました。


しかし近年、HSPの情報が増えたことや、トップメンタルトレーナーのプログラムを受けることで、“無理をしなくていい”“休む時は休むと決める”ことで楽になりました。


本来なら適応障害になってもおかしくない環境下でも柔軟に対応でき長く仕事を続けられ現在に至ります。


■メンタルの強化で人間の可能性は無限大に


日本ではいまだに“カウンセリングは弱い人や病気の人が受けるもの”と思われている風潮があることを非常に残念に思います。


もっと多くの方が気兼ねなくカウンセリングを利用できたらいいなと思います。


考えてみてください。


問題の早い段階でカウンセリングを受けることで、深刻にならずに済みますし、心の病気も予防できます。


例えば、

苦手な人との関わり方がうまくなります。


恋愛や結婚においてもDVから身を守ることもできます。


スポーツやアートでのパフォーマンスをあげることもできます。


就職や進学などの受験で本当にやりたいことへの方向性を決めたり、勉強のモチベーションを維持する方法も分かります。


年齢を重ねてセカンドライフをどうするか、介護などの問題とどう向き合うかの答えも得られます。


わずか1,2時間、自分のことを話すだけでこれだけのことが解決に向かうのです。

筋トレのように痛みもありません。


それで幸せになる方法がつかめたら、一生の宝物を手にすることができるのです。


だからカウンセリングをもっと気軽に利用してほしいのです。


今、わたしが天職と思えるカウンセリングの仕事に出会えたように、HSPの皆様が、ご自分の特性を活かせる何かをつかんでいただきたいと思います。


そして充足感を持ちながら、さらにご活躍をいただけるようにサポートさせていただくことを心より願っております。


どうぞお気軽にお問い合わせください。

〈エトワールの名前の由来〉
「エトワール」はフランス語で゙星”のこと。わたしのカウンセリングを受けた方たちが「光が見えた」と感想をくださるので、光と関係する名前がいいなと「星」を選びました。
そしてもともとフランス音楽が好きだったこともあり、フランス語に。
しかもバレエの階級ではトップのバレエダンサーを「エトワール」と言うそうですね。
そこにあやかり“相談に来られる方達がより自分らしく輝いてほしい”という願いをこめてカウンセリングオフィスの名前を「エトワール」にしました。
さらに「エトワール」は㈱Far-East-Consultingの代表の “誰にも言えない悩みで苦しみや生きづらさを持つ人の安心安全の場”という想いもあります。
お話を伺うほか、コラージュセラピーや、音楽、箱庭、アートセラピーなどを使ってうまく話せない気持ちを表現することで気持ちの整理と感情の浄化を図ることもあります。
ぜひ一度覗いてみて下さいね。お待ちしております。

■略歴

東京都稲城市生まれ。日本大学芸術学部音楽学科作曲科卒業。

その後、心理業界随一のカウンセリングチーム全国心理業連合会の上級プロフェッショナル心理カウンセラーを取得。現在は認定校で法務省で相談業務の講師として、厚労省や、各自治体でプロとして活躍するカウンセラーたちの育成に関わる。また東日本大震災、西日本豪雨災害、コロナなどの災害被災地での心のケアのボランティアチームに参加。

さらに現役のカウンセラーとしてもすべてを合わせて延べ人数10,000人以上のカウンセリングを担当。全国各地のたくさんの方たちと出会い、これまでお悩みだけでなく、夢も聴かせていただき大変豊かな時間を過ごしている。

【保有資格】

全国心理業連合会上級プロフェッショナル心理カウンセラー 認定相談機関
アイディアヒューマンサポートサービス メンタルトレーナー
アイディアヒューマンメンタルトレーニングセンター ライセンス生
芯観コンサルタント​
ドイツ音楽療法センター初級
​全国音楽療法協会音楽療法士

《略歴》
2009年に心理学を学び始め、アイディアヒューマンサポートアカデミーでカウンセリング講座修了。
2010年10月にニューヨーク研修、本場のカウンセリング、セラピー、エグゼクティブコーチングを学ぶ
12月にカウンセラー認定
2011年メールカウンセラー、チームJapan300として活動開始
全国音楽療法協会の音楽療法士として活動開始
2012年災害カウンセラーとして釜石市に行く
2013年第一期全国心理業連合会上級プロフェッショナルカウンセラー合格
第一期ココロゴトカフェプロジェクトチームメンバーとして世界初セラピーが出来るカフェを立ちを上げる活動に参加
2014年カウンセラーとして独立
高齢者施設の音楽療法チーム”サフラン”で活動
2015年エトワール・カウンセリング・オフィス立ち上げ
2015年9月ウィーン国立歌劇場元公認コーラス員でアルト歌手の声楽セミナー及びコンサート開催しコンサート会場は満席に
2016年匿名電話相談サービスボイスマルシェの参加
独身女性のためのオリジナル心理学セミナー”愛活講座”スタート
アレンジピアニストとして演奏活動を始める
オリジナル心理テストを含めたコンサートプログラムは大盛況
2017年1月全国音楽療法協会講師としてオリジナルのアート&音楽コミュニケーションセラピーによるグループセラピーを行う
2017年3月音楽療法協会総会で「セラピストのための心のスキル」講座担当
2017年4月より”アイディア・メンタルトレーニングセンター”になる
2018年3月より現在まで厚生労働省、法務省、文科省、スポーツ庁などの各省庁の受託業務に携わる
美容室様よりコミュニケーション講座「感激コミュニケーション」講師を務める

  • 【それ以外の資格】

  • 第一種教職員免許(音楽)

  • 学芸員免許

  • ローランドミュージックスクール幼児指導資格

  • リトミック科指導資格

  • ピアノ科指導資格

  • 電子オルガン科の指導資格の上位資格

  • 整体師

  • 伝承医学総合学院アロマテラピスト

  • ハンドリフレクソロジスト認定

  • 薬膳アドバイザー​

  • アロマトリートメント

  • メディカルハーブセラピスト

  • 乗馬ライセンス4級

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