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「もののふ戦記・小者・半助の戦い」長谷川卓著
「もののふ戦記・小者・半助の戦い」長谷川卓著・角川春樹事務所ハルキ文庫2017年9月発行
著者は1949年生まれ、早大文学研究科修士課程修了。北町奉行所捕物控、戻り舟同心等のシリーズもの著書がある。2020年、71歳で死去した。
本書は戦国時代の小説である。武将の物語でなく、名もない足軽、小者、百姓が虫けらのように命を失う様子をドキュメントのごとく描く人間小説である。
著者は、群像新人文学賞受賞、芥川賞候補にもなり、角川春樹小説賞受賞する。純文学、大衆文学の垣根を超えた作家である。
単行本、文庫が大量生産される現在、人間性、時代性を問いながら人間、戦争の本質を問う本は少ない。
武田晴信(後の信玄)は父・信虎を駿河へ追放し、跡目を継ぐ。その後、甲斐から信濃へ向けて領土拡大を図る。
信玄の負け戦は2回しか無いと言う。2回とも相手は北信濃の戦国大名・村上義清である。
1回目は1548年上田原の戦い、この時は相手方も犠牲が多かった。
2回目は1550年村上氏の出城・砥石城(現・上田市)侵攻戦である。この戦いは「砥石崩れ」と呼ばれ、大敗北。武田側は1,000名以上の将兵が犠牲となった。信玄は影武者を使い、敗走した。
砥石城攻めは武田軍7,000名、守る砥石城側は500名の少数だった。村上軍本隊2,000名に挟み撃ちにされ、退却する。
主人・徒士兵の雨宮佐兵衛(45歳)とその小者の半助(62歳)はしんがりの一員として戦う。味方は総崩れ、敵地に取り残され、味方の長窪城(現・小県郡長和町)へ敗走を余儀なくされる。
戦いの描写は細部にこだわり、かつ具体的である。戦いの場面は戦場にいるかのような臨場感がある。
徒士兵とは、徒歩の武者。騎馬兵の武者より軽輩の武士である。その下が足軽兵となる。実戦の中心で戦うのはこの者たちである。
小者とは武家に仕え、雑務担当の奉公人。戦さに出ても、前面に出ず、戦場の背後で主人の動きを監視し、主人が怪我をした場合、搬送する任務を持つ非戦闘員である。
戦場には武者、足軽の戦闘員以外、多くの非戦闘員が必要となる。そのため多くの百姓たちが駆り出される。
例えば、黒鍬隊とは、陣地設営、厠用の穴掘り、戦死者埋葬の任務を担当する部隊である。
切り取り隊とは、戦地の田畑の作物を盗み、百姓家から略奪、放火等、乱暴狼藉の役割を果たす。
小屋懸け隊とは、戦地での小屋作り、陣地内の大工仕事を行う人員である。そのほか、食料、荷物を運ぶ小荷駄部隊も必要となる。
勿論、非戦闘員であっても、腕力、体力に自信のある者は賞金稼ぎと出世を目指し、戦闘員として実戦参加する者も多い。
非戦闘員とは言え、敗北すれば、ただの敗者。身ぐるみはがれて、殺害される。
小説では小者、足軽等の戦さ支度の様子、武器、兵糧の内容を詳細に描く。
後半では、傷を負った主人の佐兵衛を背負い、家族の元へ帰還させる小者・半助の執念、覚悟の緊迫感が心に迫る。
落ち武者狩り追手、地元百姓の落ち武者狩り、戦争の無情さ、悲惨、藤木久志「戦国の村を行く」の世界である。
半助は、村上軍が攻撃中の目的地長窪城へ朦朧とした状態で到達する。そこで敵側大将・村上義清は、小者・半助の忠義に感銘する。そしてこう言わしめる。
「まことの武士を見せてもろうた。こやつは、もはや武田でも、村上でもない。主人を思うひとりのもののふだ」と。
久しぶりに素晴らしい時代小説に出会った。中身の濃さも十分である。