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「天皇家のお葬式」大角修著

「天皇家のお葬式」大角修著・講談社現代新書2017年10月発行

著者は1949年生まれ、東北大文学部宗教学科卒、仏教書、歴史書を多く執筆する。

本書は古代から現代まで、天皇の葬儀の変遷をたどる。天皇の葬儀のかたちが変化するときは、時代が大きく変化するときである。

葬式の形式が最も大きく変わったのは明治天皇から。仏教方式から儒教的国家神道方式に大きく変質した。

死去した明治天皇を祭る「明治神宮」が建設された。同時に過去、恨みを持って死亡した天皇を祭る神宮が追加された。

謀反の疑いで死亡した崇徳天皇は「白峰神宮」、吉野で亡くなった後醍醐天皇は「吉野神宮」、平家と共に入水した安徳天皇は「赤間神宮」、流刑地で死亡した後鳥羽上皇は「水無瀬神宮」が新設された。

初めて火葬された天皇は持統天皇。1年間の喪を経て、白骨化後に火葬された。

奈良時代は火葬が主流。平安時代の桓武天皇は土葬。その後、桓武天皇の弟・早良親王が謀反の疑いで自殺した。相良親王の怨霊回避から火葬が多くなる。

南北朝時代からは譲位せず、天皇のまま死去は土葬。譲位後は火葬とされた。

最後の火葬は江戸時代初期の後陽成天皇。その後は土葬となる。江戸時代の儒学、朱子学の教えより火葬が回避されたためである。

葬儀は聖武天皇以来、仏教様式である。上皇になると出家する天皇も多い。

鎌倉時代より明治まで葬儀は京都泉涌寺で実施された。天皇の菩提寺となった。最初に泉涌寺で葬儀されたのは四条天皇である。

幕末の孝明天皇より神道式葬儀となり、京都東山に墳丘墓が作られた。孝明天皇は疱瘡を発病、36歳で死去。

明治天皇の死因は糖尿病による尿毒症。16歳で天皇になり、60歳で死去した。

明治天皇は青山練兵場(現・神宮外苑)で葬儀が行われ、遺言により伏見桃山陵に埋葬された。

大正天皇は病弱で、若い頃、脳膜炎を患った。死因は肺炎による心不全、47歳。

明治天皇の正室に子はいない。明治天皇は多くの側室を持ち、男子5人、女子10人の15人の子がいた。しかし成人したのは男子は大正天皇1人、女子は4人のみ。

昭和天皇は20歳で摂政となり、87歳、十二指腸線ガンで死去した。在位64年は天皇の中で最も長い。

大正天皇、昭和天皇は新宿御苑で葬儀を実施、八王子市武蔵陵墓地に埋葬された。

昭和天皇の葬儀は憲法政教分離規定で国家が葬儀を実施できるか問題となった。

そのため葬儀を①葬場殿の儀(葬儀そのもの・皇室の私的行事)②大喪の礼(告別式・政府主催無宗教の国事行事)③陵所の儀(埋葬式・皇室行事)の三つに分離した。

天皇家の伝統的葬儀が変質したのは明治維新以降である。特に第一次世界大戦後、国家神道論、国体論が表面化した。丁度、明治天皇死去直前である。

「国体明徴運動」全盛時代。「日本は神の子孫として絶えることなく、一貫統治される。西洋に劣らない美しい日本。国体護持は国民の義務」の考え方である。

美濃部達吉は天皇機関説で教授辞任、大逆事件は12名が死刑執行された。ここから太平洋戦争の国家思想へ一気に進んでいく。

現在、天皇制が問題となっている。天皇の役割とは?国家統合の象徴としての天皇とは。

「天皇とは存在し、国家のために祈ること」が天皇の役割か?天皇の公務とは何のためにある?天皇家の伝統とは何か?

いまこそ、考え直す時期ではないか?

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