わかりやすいことは良いことか?
「わかりやすさの罪」武田砂鉄著・朝日新聞出版2020年7月発行
著者は1982年生まれ、出版社勤務後、フリーライター。「紋切型社会」「偉い人ほどすぐ逃げる」の著書がある。
この本はわかりにくく書いたと著者は言う。レビューで「この本は苛立つ本である。途中で読むのを投げ出した」の感想を貰ったと言う。
確かにあちこちに話題が飛び、混乱することが多い。しかし言いたいことは一つで非常にわかりやすい本でもある。
世の中はわかりやすいことが良いことと考え、スタートから二者択一的に「あなたはどっちですか?」と結論を急ぐ。結論がすぐ出るわかりやすさを人は求める。
それは人に考える時間を与えない。特急、急行の旅ばかりが良いのではない。鈍行の旅の良さもある。これが「わかりやすさの罠」だ。
毎日、テレビに出る池上彰は、ニュースをわかりやすく解説するプロだと言う。見城徹は「池上には曖昧なところが一つもない」と高く評価する。物事がすべて解説できるなら、それは嘘か、間違い。だから彼は「こういう考えもある」と逃げを打つ。
自民党総裁選報道で政治評論家なる者が政治の裏側を解説する。政治がショー化する。「政治の主役は国民」を忘れさせる。解説は非常にわかりやすく、単純化する。それで視聴者は政治がわかったつもりになる。
その結果、何が起こるか?視聴者は考えなくなる。結果を急ぐ。二者択一的にどっちを選ぶかの選択を求められる。それは思考を止め、選択肢の幅を狭くする。
心理学者・河合準雄がよく口にした言葉。「よく分かりませんなあ」「難しいですなあ」二つの言葉と谷川俊太郎は言った。
人間は簡単に理解できるものではない。物事が簡単に分ることは複雑な人間、物事が分かっていない証明である。
1895年、フランス人心理学者のル・ボンが「群衆心理」を著した。フランス大衆蜂起7月革命の群衆心理の怖さを明らかにした。責任感、倫理感を大衆から奪い、一方向だけ人に暗示を与え、感染、伝染する。ヒットラーの愛読書でもあった。
「わかりやすさの罠」に陥らず、じっくりと自分自身の頭で考え、「ほかの選択肢もある」「分からない」と言える人間になりたいものである。