喪失
今日もケーキ屋さんで買ったパンナコッタのガラスの器が捨てられなくて、わざわざ洗って家まで持ち帰ってしまった。キャンドルの器に丁度良いかな、と思って。
なんでもかんでも、勿体ないと言ってとっておいてしまうのは、きっと祖母譲りのクセだ。映画の半券だって、偶然見つけたときの、懐かしんで過去に想いを馳せるあのキラキラした気持ち、にいつか遭遇することを期待して、ノートのあちらこちらに挟んでしまう。未来の自分をおどかす手紙入りのタイムカプセルを土に埋めるようないたずらごころ。
保育園か幼稚園に通っていたころかな、ぬいぐるみがだいすきで、柵付きのベッドに頭のてっぺんからつま先まで、自分のまわりを二周囲むように、いろんなどうぶつのぬいぐるみを並べては、毎晩眠るまえにひとりひとり頭を撫でて抱きしめてから寝るのが習慣だった。いつも母親がそばにいなかったから、自分がぬいぐるみの母親がわりになることで寂しさを癒していたのかもしれない。
そんなわたしのぬいぐるみ生活、ダニを心配した父親が突如ぬいぐるみ処分を宣言し、「こんなに沢山あってもしょうがないでしょ!」という言葉に反論する語彙を持ち合わせていないちいさなわたしは、ベッドの下で、大きなポリ袋にギュウギュウに押し込められたぬいぐるみたちを見て、しずかに泣くことしかできなかった。きのうまで一緒に寝ていたぬいぐるみたちが、わたしのさみしさの思うままに抱きしめられていてくれたぬいぐるみたちが、ごみのように捨てられていくなんていやでたまらなくて、耐え難くて、「このこたちはあたらしいおうちにいくの?」としつこく聞いては、そうだよとだけ返される言葉に安心することもなく、幼心ながらきっとそうじゃないんだろうな、と勘づいたわたし、この子たちの迎えが来てしまう日の到来がおそろしくてたまらなかった。ごみ収集車に回収されて、放り込まれたポリ袋が一瞬でぐちゃぐちゃにされてしまうイメージが何度も自分の頭の中で繰り返されて、その破壊を食い止めるほどの力を自分がもっていないことが、なによりも哀しくて、悔しかった。あのこたちはやわらかい布と綿でできているのに、冷たくて固い機械に引き裂かれて何が何だかわからないモノになってしまうなんて、いやだな、いやだな。いやだな。
ポリ袋を開けてぜんぶひっくり返して、また自分のベッドに並べたら怒られてしまったので、元通り詰められたポリ袋から、父親の目をぬすんでこっそりと、ちいさなぬいぐるみ、ふたりだけ救い出した。みんなのこと助けてあげられなくてごめんね、とやっぱり泣いてしまった。
大きなふたつのポリ袋は、ある日あっけなくわたしのベッドの下からなくなっていた。いまだに捨てられてしまったぬいぐるみたちのことを思い出す。もし、あのときとっておいていても、きっといつかは自分の意志で手放す日を迎えていただろう。だけど、あのままポリ袋に詰めるんじゃなくて、せめて一度洗濯して日向ぼっこさせてあげたかったなぁ、まだ綺麗なぬいぐるみならほしい人いないかな、と最後の悪足掻きをしたかったなぁ、そんなふうに思うのは、形ばかりにこだわってしまって愚かだろうか。わたしが死んだら葬式なんかいらないやいと思ってるくせに。それでもわたしは、納得してさようならしたかった。
物質界において、形を失うことはすなわち死だ。人間やどうぶつは形を失っても、誰かの記憶のなかでしばらく思い出や温もりが残るけど、無機物にとって形を失うことは、即死だ。そのもの自体の存在がこの世から忘却の彼方へ猛スピード一直線で飛んでいくような、宇宙のごみ箱に放り込まれて、或いは吸い込まれて、はじめからどこにも存在しなかったことになるような、さみしいちっぽけな感じがして、自分がそのとどめを刺す当事者になることが、どうしても苦手だ。
だから、わたしキャンドルをつくって、もうロウでベタベタだからこの器は使えないな!と納得したいだけなんだろうな。映画の半券、この日のことはもう思い出す必要ないな!と納得したいだけなんだろうな。きっとそうだ。
仕事をしていた時期、撮影の合間に食べたおいしいプリンの空瓶をどうするか、捨てようかと職場の人たちが話していたので、いらないならください!と回って、みんなの分を洗って持ち帰って、アロマキャンドルにしてから配り直したら、喜んでくれた。曲の香りをつくってキャンドルにしたらいいかも、なんてアイデアがひらめいたのはそのときで、それがなかったら香水なんてきっとつくってない。
データで完結する映像やデザインと違って、雑貨品をつくるとき、たくさんの物で溢れ返るこの世の中、自分がそこにすぐごみになってしまうものを生み出してしまわないかどうかいつも怖くなる。壊れたときや失くしたとき、すぐ新しいものに居場所を奪われる代替が利く何の思い入れがない物より、すこしでも永く大切にされて、持ち主のこころも大切に守ってくれる物、形が失われても寄り添っていたあいだの思い出がずっと残り続ける物、思い出だけの存在になったときに寂しいと感じられる物を生み出せたらいいな、と思う。物に魂があるかないか、そんなのはどちらでもよくて、一度でも誰かにもういらないや、と見捨てられてしまった物たちに、ただもうすこし長く一緒にいられるチャンスをあげたいだけで、それなのに気づかないうちに自分も素敵なアイデアを彼らから与えられているので、そんな折に物に宿る魂の存在を感じてしまうし、わたしは破壊が大好きだけど、やっぱり破壊を食い止めるための創造も、大切にしたいなと思うのです。