ぽっかり、詩とつながる。
僕は、詩から始まりました。
詩を書くということは、
胸にぽっかり空いたなにかを見つめることであり、
目の前にぽっかり空いた不思議な空間を見つめるということです。
内と外のぽっかりが同調する時、詩が湧いてきます。
いえ、流れ込んできます。
文学的にも天文学的にも、
たぶん、銀河と呼ばれるあたりから。
詩人とはなにか。
詩を書くという状態にある人のことをいう。
詩を書くということは、
職業でも、態度でもない、”状態”です。
詩人という状態に入ったとき、人は詩が書ける。
誰でもできる。それが詩です。
誰でもなれる。それが詩人です。
足の裏に落書きされた、クレヨンの走り。
耳の裏の、仁丹の匂い。
髪の毛を掻き分けた、おできの腫れ。
なにひとつ反省しないもの、それが詩です。
僕はよく反省しています。
でも、音楽が大好きです。
音楽には、音があります。
音には、ベースとドラムがあります。
ベースとドラムは大地に根付いています。
どうしようもない僕の背中を押し、
前へ前へと歩かせてくれるのは、
大地から足に伝ってくるその音です。
もしかしたら、波濤かもしれません。
もしかしたら、津波かもしれません。
おそろしいです。
ギターの音も、ピアノの音も、聴こえてきます。
ハーモニカの音も、ボーカルの声も、聴こえてきます。
それらは人の営みです。
ある人は悲しく、ある人は祝福され、ある人は気が狂っている。
全部一緒になって、どこか山奥の穴に埋められたい。
でも、今すぐ絶対、掘り起こされたい。
どちらも祈りであり、それが歌です。
僕は歌を聴いています。
切実が、ぽっかり空いたなにかに流れ込みながら、
またはぽっかり空いたなにかから、とめどなく溢れ出しながら。
この詩人の状態から、なにかを炙り出そうとしています。
陽炎を見ようとしています。
それをずっと待っていたような気がしながら、
望遠鏡を覗き込み、
目についた銀河に名前を与えようとしています。
遠くうごめく蒼や紫や深い黄色に、なぜ懐かしさを感じるのか、
ウトウトしながら、朝を迎えながら。