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「全元号」を体で感じる書展について.3 筆

さてさて今回、「大化」から「令和」まで全ての元号248枚を書きおろすという、気の遠くなるような作業で大活躍してくれたのが京都 龍枝堂さんの筆。大きめの筆は龍枝堂さんのものをよく使っていた記憶はあったんだけど、改めて確認してみたら、すべて龍枝堂さんのものでした。しかも「百錬」が三つもある。確かに今まで使っていた和紙との相性もあり、一番自分の求めている表現ができるのが「百錬」でした。なので今回も、当然「百錬」を使って書き始めました。

龍枝堂、ドーン!


上の写真と順番変わってます。
上の写真の真ん中が、この写真の一番右です。


だけど意外や意外、ビタッとハマるものもあれば、案外書きづらさを感じることも多く、途中100枚ほど書き上げたあたりで、なぜか行き詰まってしまいました。筆が言うことを聞いてくれないというか、筆も使っていると疲れてくるので、なんとなく「オレもうやだー(筆の声)」みたいな。
そこで、手にしたのが「鳳凰」。

お久しぶりです。鳳凰さん。
使い方ひどい!


いける? いけるのか、お前。と疑心暗鬼になりながら手に取りました。というのも、この筆は僕が24年前、書の活動を始める時に最初に買った筆。以来、墨汁だけでなく、ときどき絵の具やペンキで書いたりと無茶な使い方をしていたため、毛は切れまくっているし、完全に割れてしまっています。もうほとんど寿命が尽きてるなという感覚があり、10年近く積極的には使っていませんでした。ただ捨てるのが忍びない、という理由で残していたんです。

だけど、今回これを使った瞬間、書ける書ける。1枚目からびっくりするくらいよく書けるんです。「書ける」という言い方は変に聞こえるかもしれませんが、書を書くという行為は、文字を自分の力や技で制御するのではなく、ある程度漠然としたイメージを持ちつつも、「うわ、こんなの書けた!」という想像の先にある文字が生まれることに最大の魅力があるんです。文字に生命が宿った驚き、とでも言いましょうか。そんなドキドキがあるんですね。きっと和紙との相性なのかもしれませんが、筆を入れ、筆を走らせ、筆を抜く。その具合がいいんですね。紙に反発する弾力もいい感じでした。


和銅といえば開珎(かいちん)!
コールアンドレスポンスや!
わかりやすいところで、令和をどうぞ。

僕が持っている筆はすべて割れていて、この「鳳凰」もわがまま過ぎるほど割れています。でもその割れが、最高によかった。「鳳凰」のおかげで一本の線に血が通い、肉が生まれ、文字が踊りました。
そもそも筆の割れというのは、筆の個性です。その筆でしか経ることのできなかった来歴と経験こそが、その筆の強みです。僕の書にもし魅力があるとするならば、筆がはつらつと運動してくれたからなんです。

「鳳凰」はなんの毛なんだろう。色と柔らかさからして、たぶん羊かな。僕は「鳳凰」の持つ力を借りて、150枚ほどを胸躍らせながら書き切ることが出来ました。肉眼レベルのイメージが顕微鏡レベルで具象化された文字。また望遠鏡を覗き込むように、イメージの遠く向こうにあった文字を描かせてくれたのが「鳳凰」でした。でもただの「鳳凰」じゃダメです。24年ものの「鳳凰」に感謝ですね。

龍枝堂さんのHPをみると、どうやら「鳳凰」はもう作っておられない様子。でもおそらく後継となる筆はあるはずなので、久しぶりに東京のお店に伺おうと思っています。また実家に帰省する際はいつも京都に立ち寄るので、本店にも行ってみたい。

ちなみに今回の文章も、前回に続いてメーカーさんへの直接感謝になりますが、これはステマではなく、ただの深謝です。僕は単純に好きになったらイチコロってタイプなんです。あしからずー。








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