【新卒広報の歩み】3度の手術が私の原点
BACK AGINGのキラキラガールこと和田 ゆきなです。
この新卒広報日記では、患者インタビューやBACK AGINGのニュースを取り上げ「BACK AGINGの事を1人でも多くの人に知ってほしい。」そんな想いがあります。
そして、その中で、22歳の新卒広報がどう歩んでいくのかも同時に発信をしたいと感じ「新卒広報の歩み」という形で発信する事にしました。
今回の新卒広報の歩みでは、過去の話に重点を起き、なぜ医療従事者でありながら、広報活動をするのか、少しでも知っていただけたら、嬉しいです!
澤穂希選手まじカッコいい。一緒にプレーをする!
私には女子プロサッカー選手になるという夢がありました。
しかし、もう夢を持てないと諦めてしまった過去があります。
2011年W杯決勝、延長戦アディショナルタイム。
澤穂希選手のゴールが決まった瞬間に「一緒のピッチに立ちたい!」「一緒にプレーをしたい!」と中学2年生だった私はテレビ越しに興奮をしました。
当時、私は、地元の柏レイソルの熱狂的なファンで、「みる」ことが好きな少女でした。
小学生の頃から、家族にはサッカーを「する」事をすすめられてましたが、男子に混じってプレーをすることに抵抗があり、なかなか一歩が踏み出せずにいました。しかし、テレビ越しでみる選手達は、みんなキラキラしていて、いつか「一緒にプレーするぞ!」と、翌日にサッカのクラブチームに入団しました。
入団してからはサッカーの楽しさにのめり込み、毎日ただがむしゃらに頑張って、1年も経たずに千葉県選抜にも選ばれることでき、順調に夢に近づいていると思っていました。
試合中、急に目の前が真っ暗になった。
次の瞬間、膝に今までに経験したことのない激痛が流れ、何があったのかも分からず、その場で立てなくなり、すぐに救急車で病院に運ばれました。
診察の結果は「前十字靭帯断裂」、競技復帰までは早くて1年。手術と長期間にわたるリハビリが必要でした。
高校サッカーでは、都内の強豪校でプレーをしたいと思ってた矢先、順調に来ていた中で、何で自分はこんな目にあうのだろうと自分の悲運を恨みました。
もう諦めようかと何度も思いました。
でも、それ以上に「早くサッカーがしたい」という気持ちだけは枯れることがなく湧き続けました。
私は長いリハビリを乗り越え、ようやく再びグラウンドに立つことができ、レギュラーに選ばれるようになった頃、再びまさかの出来事が起きました。
2度目の怪我
今度は左膝の前十字靭帯断裂でした。
絶望でした。
また同じ1年間を繰り返すのか。
「身体が悲鳴をあげている」
医者には競技復帰は厳しいかもと言わました。
こんなもんで諦めてたまるか・・
それでも諦めたくなかったし、必死にリハビリをした毎日でしたが、
逆転シンデレラストーリー
前十字靭帯断裂した復帰後、すぐに膝の半月板損傷をしました。
もうこの時は、暗くなるというよりは、
怪我しても必ずリハビリをしたら、復帰は出来る。
「半月板損傷?前十字靭帯断裂に比べたら、かすり傷だな」
とスーパーポジティブでしたね(笑)
というこで、3度の手術を経験し、ここまで復帰したら、残されたのは、逆転シンデレラストーリー。
というのが、ドラマの定番。
しかし、私には逆転シンデレラストーリーは用意されていませんでした。
怪我をするのが怖くて本気でプレイできない。
「また、怪我をしてしまうのではないか。」
夢を諦めた私に、選手として戻る場所はありませんでした。
その時に、私は、高校生ながら、こんな事を思いました。
もっと身体に負荷のない動きができていたら怪我をしなかったかもしれない。そして、自分のように怪我で夢を失う人をなくしたい。それが「二度と挑戦者になれないかもしれない」と夢を失った私のささやかな抵抗でした。
そして、治療家として歩みをはじめ、大阪の医療の大学に進学をして、鍼灸師の医療の資格と保健体育教師の免許を取得しようと勉学に励みながら、大学だけではなく学外にも学びの場を求めました。
そして、その中で私は気付いたことがあります。
キラキラしている人は「自分が好きなことを全力でやっている」人
そして、
好きなことを全力でやっているキラキラしている人のまわりにはキラキラしている人たちがいる。
私にはまだ何の実績もありません。
あるのは持ち前の明るさと笑顔。
だからこそ私は、まわりをキラキラさせるキラキラした人になりたい。
大学卒業後、腰痛専門治療院BACK AGINGに就職した私は治療家としての歩みが始まりました。
しかし、
緊急事態宣言が出て入社3日目から自宅勤務になった。
新社会人になり、ようやくまわりをキラキラさせられると思った矢先で、不安に襲われました。その時に、思い切りサッカーができなくて、夢を諦めた日を思い出しました。
今の私はどうだろうか?
『今は夢を諦めなくても良い。』
『何度でも挑戦することができる。』
『うまくいかなくても、もう一度挑戦すれば良い。』
よし、原点を思い出せ!!と脳内のどこからか声が聞こえました。
止まっている暇はないんだ。今の私にできることはある。そう背中で教えてくれる先輩たちがいる。
そして、私はできることは無いかと考えて、5月5日(未来へgo!go!する日)に、チャリティーのオンライン講演会を開催することにしました。
1ヶ月後、講演会は私が心から尊敬している先輩たちに講師をしてもらい、232名が参加、78,000円の寄付金が集まり、新型コロナ対策の最前線で活動されている主に医療従事者の活動資金へ。
想いは現実になる、そう思った瞬間でした。
そして、「ゆきなには人を動かす力があるから広報もやってみないか?」と会社から広報の仕事をするチャンスをいただき、私は、広報が何かわからずに二つ返事で「やります!」と答えました。やる前からやれない理由を探さない事。まずはやってみる事。言い訳する暇あるなら、出来るように考える事。それは、原点から学んだ事です。
私には、まだ何も実績も、知識も豊富ではありません。
でも、私には夢があります。
『挑戦が出来ない人を減らす』
私は、好きな人たちと好きな仕事をしていて、まだまだヘッポコだけど人の縁に恵まれていると胸を張って言えます。
ということで、少し長くはなりましたが、
3度の手術は私にとって暗黙時代だし、もう2度と経験したくないことですが、あの時があったからこそ今も私は前を向いて挑戦をすることが出来ています。それを『原点』というのも大学3年生の時に気づき、今では自分にしかない誇りです。だからこそ私は、今史上最強最高の私を更新して生きていきます。
この広報日記noteは、
日々のBACK AGINGを更新していきます。
①多くの方にBACK AGINGを知っていただきたい。
②身体の不具合がなく前向きに挑戦してほしい。
自分の「好きな」事を譲らずに、
そして、挑戦したいことへの大きさは関係ない!
自分のやりたい事に挑戦し続ける方を支えます。
新卒広報の歩み、第一弾、これにて終了です!
今後とも広報日記を宜しくお願いいたします。キラキラ
(2020.7.21 BACK AGING広報 和田 有稀奈)
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