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十代のうちに同じ曲をくりかえし聞くということの意味について

 十代のうちに、それもできるだけ早いうちに、これだ!という曲や演奏を何度もくりかえし聞くことには特別の意味がある。

1.同曲同演をくりかえし聞くということ

 同じ曲を同じ演奏家でくりかえし聞くというのは、一種の異常行動である。普通は飽きるはずなのに、なぜか飽きることなく何度もくりかえして聞いてしまう、その偏愛。それこそその人に与えられた天賦の才である。

 僕の場合は、バッハの《ブランデンブルク協奏曲》第5番ニ長調の第一楽章だった。ソロ・チェンバロの華麗なパッセージの数々、一気呵成に突き進むカデンツァ。
 衝撃だった。当時14歳だった僕は何度も聞くうちに、自分も弾いてみたい!と思うようになった。そうしてピアノのレッスンに通うようになった。

 また、あるときはR.シュトラウスの《英雄の生涯》だった。高校2年の秋だった。文字通り、ドはまりした。
 しかし、さすがにこれは弾けない。というわけでスコアを買って、くりかえし聞いた。もうこれは本当に、何度も何度も聞いた。スコアがぼろぼろになるまで聞きこんだ。
 パートごと、セクションごと、音域ごと、それぞれ聞き分けながら聞いていった。こうして高度に複雑なオーケストラ音楽の聞き方が自然と身についていった。

2.同曲異演をくりかえし聞くということ

 同じ曲を異なる演奏家でくりかえし聞くというのは、一種の欲求不満である。その演奏では、満足できないのである。
 テンポ、音量、音色、アーティキュレーション、フレージング、全体のバランス、質感。
 何かが違う。自分が思う正解に辿りつくまで、決して終わることのない旅路。

 僕の場合は、ブルックナーの交響曲第9番ニ短調だった。十代後半から二十代前半にかけてCDやライブを含め、実に30以上の演奏を聞いた。それでも結局、これだ!というものには巡りあえなかった。
 一方、その過程で、オーケストラそれぞれの持つ音色に気づくようになっていった。
 同じオーケストラでも国によって全然違う。
 同じドイツのオーケストラでも北と南では全然違う。
 同じ都市でも歌劇場のオケとシンフォニーホールのオケでは全然違う。

3.くりかえし聞くことのその先へ

 くりかえし聞くということは、ただ心地よいということ以上に、いろいろな「音楽の聞き方」を身につけるということでもある。真剣に聞けば聞くほど、耳は研ぎ澄まされていき、いろいろな型や違いに気づくようになる。
 そして何より音楽をくりかえし聞くということは、自分の世界を広げることである。ブランデンブルク協奏曲にハマっていなければ僕がピアノを始めることなどなかっただろう。音楽を聞くという行為は決して受動的ではなく、能動的で積極的な営みなのである。