【ザ・バロック】ハンザ諸都市に鳴り響くシュニットガーのオルガン-17世紀ハンザバロック
バルト海から北海に面する北ドイツとオランダには、歴史的なパイプオルガンが多数存在する。
この地にはかつてハンザ同盟という商業都市連合が存在し、中世後期を中心に絶大な影響力を誇った。
このハンザ諸都市に存在する歴史的オルガンを数多く手がけた、伝説のオルガン製作者こそ、アルプ・シュニットガー(1648-1719)である。
北ドイツのバロックオルガンを代表するビルダーは、彼をおいて他にいない。
偉大なるオルガンビルダー・シュニットガー
アルプ・シュニットガーは、叩き上げのオルガン製作家である。
家具職人の家に生まれたアルプは大人になるにつれ、家具ではなくパイプオルガンに興味を持つようになり、18歳になると本格的にオルガン製作を学び始めた。
修業時代を終えて、ハンザ主要都市の一つであるハンブルクで市民権を得たのち、そこを拠点に各地に工房(支店)を開き、多くの弟子を雇い、高品質のオルガンを量産した。
シュニットガーのオルガンは、明らかに、ものが良かった。
すぐさま、シュニットガーは複数の主要都市や上流貴族から営業特権を付与された。噂はたちまちドイツ全土に広まった。
(あのバッハがオルガン短期留学先に選んだのは、ハンザ同盟筆頭都市のリューベックだった。リューベックの大聖堂にはシュニットガー製作のオルガンが備え付けられたばかりだった。)
この時代、神(すなわち教会)の権威は、依然として絶大であった。
教会の規模はそのまま町の規模や都市の格を表した。
教会の典礼には音楽が必要不可欠だった(なかでもルター派はとりわけオルガン音楽を好んだ)から、教会とオルガンは常にセットだった。
大きな教会にはそれ相応のオルガンが求められたし、教会が増築されればオルガンもまた増強された。
一方で、権力者にとっては、無数のパイプをぎらつかせながら爆音を鳴らす巨大なオルガンは権威の象徴、ステータスシンボルであった。
(この時代に電気はない。パイプに空気を送る仕組みは巨大な人力ふいごだった。会衆からは直接は見えないが、オルガンの下には汗だくのふいご人夫がひしめいていた。)
(この時代の人々にとって、なにがしかの意味を有する大きな音とは、教会の鐘か、さもなければ教会のオルガンだった。爆音はそのまま権力と直結した。)
(中にはローンを組んでオルガンを発注する(せざるを得ない)者もいたようで、権力者には権力者の苦労があったのかもしれない。(社長ならベンツくらいは持ってないと、といったところであろうか。))
シュニットガーへの依頼は日に日に増すばかり。一年待ち、二年待ちは当たり前。そうこうするうちに、イングランド、ロシア、スペイン、ポルトガル等、ヨーロッパ有数の王室からも依頼が来るようになった。
絶対王政の時代とオルガンは、相性が良かった。
シュニットガーは生涯で100基以上のオルガンを製作した。
21世紀の現代においても、オルガン1基の製作期間が平均5年と言われている中で、毎年数基のオルガンを同時並行で製作するという驚異的な仕事ぶりである。
アイトハイゼンのシュニットガー・オルガン
オランダの首都アムステルダムから北東に電車で三時間、北海沿岸の寒村アイトハイゼンには、1701年製のオルガンがほぼそのままの形で残されている
インタビューにもあるとおり、シュニットガーのオルガンは、音量を上げていっても(鳴らすパイプの本数を増やしていっても)サウンドの明晰さが損なわれない。
高音パイプどうしの音の摩擦を和らげ、それぞれのパイプの旨味だけを引き出しつつ、中低音となじませる妙技。
高音パイプは決してうるさくならず、中低音とうまく溶け合う。それでいて中低音は明瞭に発音し、旋律を生き生きと歌う。
そこにはあるのはシュニットガーならではの秘伝のパイプ作り、パイプ配置の妙だろう。
オルガンの響きは、その地の、その教会堂の中にしか存在しない。
教会堂の音響特性やその土地の気候(気温や湿度、気圧)など、音に関係するすべての要素を考慮しながらパイプを配置する。
その極意はまさに秘伝、マイスターの仕事であった。
十字軍の遠征を経て、地中海貿易でイタリア諸都市が栄え、ストラディヴァリのヴァイオリンが西洋クラシック音楽の歴史を塗り替えたように、中世の北海バルト海貿易でハンザ諸都市が栄え、アルプ・シュニットガーのオルガンが北ドイツ・オランダを席巻した。
もしハンザバロックとでも呼べるものがあるとすれば、それはシュニットガーのパイプオルガンだろう。