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夜を照らすものなんてきらい

イヤフォン片耳壊れたー、あぁあ。右耳しか聴こえない。(クリープハイプと逆でした)右耳から救済、左耳から地獄。

「音楽を他の人よりも沢山聴く」という事がアイデンティティで、クリエーターでもないし何かを生み出してるわけでもない癖に偉そうにひてるし利口ぶっている。さいあく。何者にもなれないしなるつもりもない、失った時に気づいて馬鹿だなあって思うから。承認欲求に囚われすぎてしまうから。

あなたの日々はどうですか。元気ですか。げんきだとうれしい。テレビでは綺麗事を(戦争が無くなりますように・子供たちの未来があかるいものでありますように・容姿で悩むことがありませんように・このダイアルに電話をかけてください・新しい出逢いに悩み事を抱えないでください)と並べられて、スマホ越しに桜を摂る季節のことや、湿気で髪の毛と神経が逆立つ鬱屈とした季節のことを段々と、だんだんと忘れてきてしまいました。

地獄を死後に描くのは間違っているとおもう、今生きてるこの時代こそが地獄だけど果たして天国はどこにあるのでしょうか。好きな音楽を聴ける時が、出逢えたことが 天国 という概念ですか。

本当に疲弊してる時は音楽なんて聴けないよって誰かが言ってた、嘘つき、バカ、アホ、おたんこなす! たしかに、音があることがとても怖くなるし、もうヤダ うぜー、こいつ私の 俺の 心情をわかった気になってんじゃねーよクソ他人がよ って思うけれど、音楽を聴くことで自分のモヤを発散してるって節があって。心のなかで叫べばどうにかなるかもね。(みなさん、それは鬱じゃないと糾弾しやがって)癒し・安心・おくるみ ってこと。

あの人の歌が傍にあってここにこの時代にあることがとってもとってもとーっても、その度くちびる噛み締めてるんだよ。どれだけ鬱になっても音楽は離したくないと思うもののひとつ。絶対に裏切らないものなので、って。だからどんな時でも身を任せられるとこもあるよ。

だから、だから、いなくならないで どうか
花びらが、コンクリートの(痛々しい)地面にすり潰されるように 街路樹の根元が、郵便ポスト(真っ赤)の根元に埋まってしまった時のように

わたしは、論理的になりすぎた
わたしは、素っ頓狂になりすぎた
わたしは、頭が悪すぎた
わたしは、肩も思考もこり過ぎた

今すぐ、「蜂の巣があの子の家の屋根に付いてるらしいよ」ってひらがなだけを使って、噂話をしてた頃に戻してください(あわよくば、お腹の中から)

☆°・*:.。.反出生主義・超平和主義°・*:.。.☆

あのロックスターのように27歳までに、さ!

わたしは、昔の私が好きだった

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