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課題研究中間報告会

 私が所属している教職大学院のプログラムでは、年に一度課題研究の中間報告会とフォーラムが行われる。それが今日である。いずれのイベントも、修了生が参加し熱気を帯びたものになる。
 課題研究の中間報告会はあくまで課題研究がどこまで進んでいて、今後どのような計画で何をしていくかといったことを報告する場であるが、その準備を進める中でこれまで自分が何を考え、何を行なってきたかを振り返る貴重な時間になると捉えている。言い換えるなら課題研究を通して自分とどのような対話してきたかを振り返ることに価値があるように思う。
 私の場合、昨年度と今年度の課題研究テーマは異なっている。昨年行っていた研究を深めていった結果、今年のテーマになっていったわけであるから、全く違うことを行っているというわけではない。ただ、少し客観視して自分を振り返ると研究を通して見えてきたものが変わってきたと感じることがある。うまく表現できないが、視座が高くなったというような表現がこの感覚を表しているのではないだろうか。この感覚を得たのは多分、現代ではかなり嫌われる「タイパの悪いこと」を繰り返し行ってきたことが大きな要因の一つになると思う。その「タイパの悪いこと」というのは上記で書いた自分との対話のことである。自分の思考の癖や自分の弱みと向き合い、自分が興味関心のある分野の問題点や課題は何かを深掘りしていくことは文字では伝わらないほど苦しさを感じることが多い。すぐに答えが出ないというだけではなく、答えという概念が通用しないというか、そこに絶対解のようなものはなくただひたすら霧の中を歩んでいくようなものだからだ。先行研究を読みながら自分の考えを整理するだけでは霧は晴れない。同期院生との対話を通して霧の中を歩く勇気や新たな道標を得ることができるが、霧が晴れるわけではない。この霧の中を歩んでいく作業の苦しさは何度かnoteでも書いたが、教職大学院生活が終わりに向かう中でも、苦しさが解消されることはないのである。ただ、苦しさの中でも短い時間でも霧が晴れそうな瞬間というものを経験することができてきたのは少しの成長なのかとも思う。また、濃霧の中で右も左もわからないという状態の院生の背中を押すことも少しはできたのではないかと思う(より濃い霧の中に連れていってしまわないかは不安であるが)。
 霧の中にいるからこそ、自分との対話が不可欠になる。この自己対話を繰り返し行える環境、行わなければいけない環境を経験したということは今後の自分のキャリアにも生きてくように思う。
 課題研究中間発表会の朝に自分を振り返っているのである。でも課題研究中間発表会の朝じゃなければこんなことは考えないのかもしれないなとも思っている。

 来週?私が所属するプログラムの入試があるようです。このようなことを書きましたが、課題研究は別として教職大学院での生活は非常に充実しています。今年度受験される方ファイトです!!!
 今週もご覧いただきありがとうございました🌸皆様良い3連休を!

 
 

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